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細かいことは覚えていないが、一度だけ著者の講演を聴いたことがある。確か創作についての内容だったと記憶しているが、手元にある『天狗争乱』の単行本に著者のサインを頂いており、1994年に『天狗争乱』が大佛次郎賞を受賞されたので、それを記念してのイベントに参加したのかも知れない。いずれにせよ今回本書を再読したのは、NHK大河ドラマ『青天を衝け』で数回にわたり天狗党が描かれていたからである。水戸藩と言えば徳川斉昭、藤田東湖らに代表される尊王攘夷の大藩である。しかし、尊攘派の改革に反発する門閥派(諸生党)の勢力も根強く、更に尊攘派も穏健派の「鎮派」と過激派の「激派」に分かれていた。もちろん、桜田門外の変や坂下門外の変を起こしたのは激派であり、筑波山で攘夷決行を唱え天狗党として挙兵したのもこの激派である。ドラマでは詳しく描かれなかったが、門閥派と激派との権力闘争は峻烈であり、藩内の闘争激化を心配して藩主徳川慶篤(当時在京)が名代として宍戸藩主徳川頼徳を下向させると、門閥派は改革派寄りの頼徳の水戸入城を拒否して戦闘に及んだうえ、頼徳は天狗党の同類であると幕府に讒言しこれを陥れて切腹させてしまう。帰るべき場所を失った旧頼徳勢と天狗党は合流し、徳川斉昭の七男で名君の誉れ高い一橋慶喜に実情を訴えようと、幕府の討伐軍に追われながら京都への苦難の進軍を開始するのである。しかし、京都を目前にした彼らの前に立ち塞がったのは、彼らが敬愛するその「一橋様」であった。著者の淡々とした文体が、彼らの悲憤を却って読者の胸に訴えかけてやまない。
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德川斉昭(烈公)を崇める水戸の尊王攘夷派「天狗党」が挙兵し筑波山に立て籠もって後、幕府軍の追撃をかわしながら、徳川慶喜公を頼って京に上る百里の道半ばにして、非業の最期を迎えることになったのは何故かを思案、苦悶しながら読んだ吉村昭氏の幕末惨劇篇。安政の大獄、桜田門外事変を経てなお、尊攘思想を幕政に訴えるも、変転する時代の趨勢を見誤ったとするだけでは、武田耕雲斎ら352人の斬首刑、妻子や一族郎党を根絶やしにされた者の無念を一片なりとも言い表せない。水戸藩門閥派の調略と慶喜の変心が悲劇を招いた、悶絶の歴史。
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勝者は讃え、敗者は美しく描く。幕末劇の定番。維新で日本は植民地になることを免れ、先進国の一員となる。開国派と攘夷派がせめぎあい幸運にも成し遂げられた奇跡。その過程で生まれた多くの犠牲。…元治元年、栃木町。悲劇が起きる。焼き払われた家並み。路頭に迷う町民。家族を殺され怒りは心頭に発す。天狗党憎し…舞台は水戸へ。門閥派対攘夷派。それぞれの言い分。どちらにも肩入れできない。…敗れた攘夷派と天狗党の合流。京への旅路。様相が変わる。畏敬もされる。…降伏。痛々しい結末。それが綴られるのも歴史。こんな人々もいたのだ。