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みんなのレビュー19件

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18 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。

2009/09/30 17:45

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る



水戸天狗党が尊王攘夷の実行を求めて筑波山に集結したのは明治維新まだあと5年足らずに迫った元治元年3月のことでした。過激な尊王攘夷論者である藤田小四郎が、水戸藩町奉行田丸稲之衛門を大将に仰ぎ、63名の同志とともに決起したのは、京の天皇を尊崇することによって、幕府の権限を強化し、わが国の官民が一丸となって諸外国を打ち払い(攘夷決行)、井伊大老によって開港された横浜を閉鎖することでした。

徳川斉昭が率い、会沢正志斎や小太郎の父藤田東湖を擁する幕末の水戸藩は、この尊王攘夷という思想の淵源の地でしたが、攘夷激派である水戸天狗党は、藩内の門閥派や同じ攘夷の穏健派である鎮派と対抗しながら、この思想を現実の政策として実行するために長州藩や朝廷との共同戦線を夢見ながら武装蜂起したのでした。

激派の武士のみならず神官、農民らも加わっておよそ千名の大勢力に膨れ上がった天狗勢でしたが、公武合体派が牛耳を握っていた当時の幕府執行部の執拗な追跡と徹底的な弾圧をこうむります。そして水戸の門閥派や追討軍と戦いながら故郷水戸からはるばる厳冬の越前までの逃避行を余儀なくされた彼らは、主君である徳川慶喜から無情にも見捨てられ、幕府の敵として人夫をのぞいたほぼ全員が翌慶応元年2月に雪の敦賀で斬首されます。当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。

この天下に名高い天狗党の乱の顛末を、著者は例によって感情を押し殺した冷静無比な筆致で淡々と記述します。

しかし、天狗党の暴れん坊田中源蔵の火つけ強盗の落下狼藉、それとはあまりにも対照的な天狗党本体の見事なまでに清廉潔白な行軍ぶり、西南戦争の西郷軍の可愛岳踏破に酷似した蠅帽子峠の強行突破、千尋の谷底へ落下していく馬の悲鳴、降伏した天狗党総大将武田耕雲斎と加賀藩代表永原甚七郎のまるで歌舞伎の千両役者の舞台を思わせる永訣の場面、水戸藩門閥派の巨魁市川の冷酷非情な仕打ち、そして英傑と謳われた徳川慶喜の武士として、人間としてあるまじき卑怯未練な態度、などを黙々と認める作家の心のなかでは、清濁併せ呑む歴史の奔流に無言でのみこまれていった非命の人々、敗残の民への無限の共感と大いなる悲しみが激しく渦巻いていることが感じられるのです。



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紙の本

これまでに読んだ吉村昭氏の小説でベスト

2022/08/19 00:41

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る

吉村昭氏の歴史小説は、幕末物だけでも『生麦事件』、『桜田門外ノ変』そして『彰義隊』と読んできて、本作『天狗争乱』を読みました。全編を貫く緊迫感、登場人物たちの心音まで聞こえそうな描写力、史実へのこだわりと細部の描き込み(特に、戦にとって最重要なロジ回りや資金調達(ファンディング)の細部にわたる記述は印象的)、人間の高貴さとグロさの対比などなど、読み始めると止められなくなり、二日で完読しました。(司馬遼がモーツァルトなら、吉村氏はベートーベンであることを、改めて実感。)

(文久3年の八月十八日の政変により)「それまで京都において主導権を握っていた尊攘派は、主導権を公武合体派に奪われ、事態は一変したのである。・・・「天誅組の変」や「但馬生野の変」は、尊攘運動の高揚する前後で、尊攘挙兵のさきがけたることを志したが、筑波挙兵の場合は情勢一変後、八か月経っての挙兵である。したがって天狗勢の場合は、対朝廷・対幕府や諸藩、さらに藩内勢力との関係など困難な情況が生じており、しかも水戸藩が徳川御三家のひとつであっただけに、情況をいちだんと複雑化させていたのである」(652頁、田中彰氏解説より、なお同旨146頁)。

それにしても、加賀藩の永原甚七郎との対比で、徳川慶喜の(冷酷さとは違うが)司馬遼のいう「貴族性」(あるいは貴種性)からくる人情味のなさ(これじゃ人望はないでしょう)や市川三左衛門の冷酷さ(彼は、戊辰戦争に入ってから形勢逆転され奥州・越後などを転戦して官軍と戦った後、江戸で捕縛され、水戸において自分の家族の目前で逆さ磔に処された)は特筆もの。先日、水戸市を一日旅して回天神社(鰊倉=回転館もあり)を見てきたのもよい思い出となっています。

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紙の本

ドキュメンタリー映画を観ているような作品

2021/06/15 16:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

桜田門外の変から4年後の元治元年(1984年)、筑波山で挙兵した千余名の水戸尊攘派が引き起こした一連の騒動を「天狗党の乱」と呼んでいる。
 この千余名の中には水戸藩の尊王攘夷の思想の中心であった藤田東湖の息子小四郎や武田耕雲斎といった名の知れた藩士もいればまったく無名の農民や町民も多くいたという。
 彼らは水戸藩内での行き場を失くし、京にいる一橋慶喜を頼って苦難の旅程をたどることになる。
 雪の峠越えなどを経てついには頼る慶喜にも見放され、ついには幕府に屈することになる。
 そして、「天狗党の乱」が今でも幕末の日本史に黒い染みとなって名を残すことになったのは、囚われた敦賀の地で狭い鰊蔵に押し込まれ、多くの者たちが斬首された非道の処置による。
 「この非道な行為は。幕府が近々のうちに滅亡することを自らしめした」と薩摩の大久保利通が日記に記したと、この作品にも触れられている。

 1990年の『桜田門外ノ変』の刊行からまるで歴史の時間をたどるように、4年後の1994年に刊行された吉村昭のこの作品は大佛次郎賞を受賞するなど、その評価は高い。
 小説ではあるが、吉村の筆は古文書など記録を実に丁寧に拾いつつ、天狗勢(この作品では党ではなく勢となっている)の行程をたどっていて、それがまるでドキュメンタリーの映像を見ているような緊迫感を与えている。
 吉村はその終り近く、「慶喜は(中略)自分にとりすがってきた天狗勢を冷たく突きはなしたのだ」と、筆致は冷静だが、怒りを感じる一文を記している。

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2008/07/20 19:38

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2010/12/12 07:49

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2011/10/03 02:49

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2012/04/09 18:48

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2013/11/16 13:31

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2013/03/02 15:55

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2013/08/24 16:22

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2013/09/28 09:36

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2016/06/12 17:46

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2019/05/13 14:59

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