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当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。
2009/09/30 17:45
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
水戸天狗党が尊王攘夷の実行を求めて筑波山に集結したのは明治維新まだあと5年足らずに迫った元治元年3月のことでした。過激な尊王攘夷論者である藤田小四郎が、水戸藩町奉行田丸稲之衛門を大将に仰ぎ、63名の同志とともに決起したのは、京の天皇を尊崇することによって、幕府の権限を強化し、わが国の官民が一丸となって諸外国を打ち払い(攘夷決行)、井伊大老によって開港された横浜を閉鎖することでした。
徳川斉昭が率い、会沢正志斎や小太郎の父藤田東湖を擁する幕末の水戸藩は、この尊王攘夷という思想の淵源の地でしたが、攘夷激派である水戸天狗党は、藩内の門閥派や同じ攘夷の穏健派である鎮派と対抗しながら、この思想を現実の政策として実行するために長州藩や朝廷との共同戦線を夢見ながら武装蜂起したのでした。
激派の武士のみならず神官、農民らも加わっておよそ千名の大勢力に膨れ上がった天狗勢でしたが、公武合体派が牛耳を握っていた当時の幕府執行部の執拗な追跡と徹底的な弾圧をこうむります。そして水戸の門閥派や追討軍と戦いながら故郷水戸からはるばる厳冬の越前までの逃避行を余儀なくされた彼らは、主君である徳川慶喜から無情にも見捨てられ、幕府の敵として人夫をのぞいたほぼ全員が翌慶応元年2月に雪の敦賀で斬首されます。当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。
この天下に名高い天狗党の乱の顛末を、著者は例によって感情を押し殺した冷静無比な筆致で淡々と記述します。
しかし、天狗党の暴れん坊田中源蔵の火つけ強盗の落下狼藉、それとはあまりにも対照的な天狗党本体の見事なまでに清廉潔白な行軍ぶり、西南戦争の西郷軍の可愛岳踏破に酷似した蠅帽子峠の強行突破、千尋の谷底へ落下していく馬の悲鳴、降伏した天狗党総大将武田耕雲斎と加賀藩代表永原甚七郎のまるで歌舞伎の千両役者の舞台を思わせる永訣の場面、水戸藩門閥派の巨魁市川の冷酷非情な仕打ち、そして英傑と謳われた徳川慶喜の武士として、人間としてあるまじき卑怯未練な態度、などを黙々と認める作家の心のなかでは、清濁併せ呑む歴史の奔流に無言でのみこまれていった非命の人々、敗残の民への無限の共感と大いなる悲しみが激しく渦巻いていることが感じられるのです。
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これまでに読んだ吉村昭氏の小説でベスト
2022/08/19 00:41
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉村昭氏の歴史小説は、幕末物だけでも『生麦事件』、『桜田門外ノ変』そして『彰義隊』と読んできて、本作『天狗争乱』を読みました。全編を貫く緊迫感、登場人物たちの心音まで聞こえそうな描写力、史実へのこだわりと細部の描き込み(特に、戦にとって最重要なロジ回りや資金調達(ファンディング)の細部にわたる記述は印象的)、人間の高貴さとグロさの対比などなど、読み始めると止められなくなり、二日で完読しました。(司馬遼がモーツァルトなら、吉村氏はベートーベンであることを、改めて実感。)
(文久3年の八月十八日の政変により)「それまで京都において主導権を握っていた尊攘派は、主導権を公武合体派に奪われ、事態は一変したのである。・・・「天誅組の変」や「但馬生野の変」は、尊攘運動の高揚する前後で、尊攘挙兵のさきがけたることを志したが、筑波挙兵の場合は情勢一変後、八か月経っての挙兵である。したがって天狗勢の場合は、対朝廷・対幕府や諸藩、さらに藩内勢力との関係など困難な情況が生じており、しかも水戸藩が徳川御三家のひとつであっただけに、情況をいちだんと複雑化させていたのである」(652頁、田中彰氏解説より、なお同旨146頁)。
それにしても、加賀藩の永原甚七郎との対比で、徳川慶喜の(冷酷さとは違うが)司馬遼のいう「貴族性」(あるいは貴種性)からくる人情味のなさ(これじゃ人望はないでしょう)や市川三左衛門の冷酷さ(彼は、戊辰戦争に入ってから形勢逆転され奥州・越後などを転戦して官軍と戦った後、江戸で捕縛され、水戸において自分の家族の目前で逆さ磔に処された)は特筆もの。先日、水戸市を一日旅して回天神社(鰊倉=回転館もあり)を見てきたのもよい思い出となっています。
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ドキュメンタリー映画を観ているような作品
2021/06/15 16:26
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
桜田門外の変から4年後の元治元年(1984年)、筑波山で挙兵した千余名の水戸尊攘派が引き起こした一連の騒動を「天狗党の乱」と呼んでいる。
この千余名の中には水戸藩の尊王攘夷の思想の中心であった藤田東湖の息子小四郎や武田耕雲斎といった名の知れた藩士もいればまったく無名の農民や町民も多くいたという。
彼らは水戸藩内での行き場を失くし、京にいる一橋慶喜を頼って苦難の旅程をたどることになる。
雪の峠越えなどを経てついには頼る慶喜にも見放され、ついには幕府に屈することになる。
そして、「天狗党の乱」が今でも幕末の日本史に黒い染みとなって名を残すことになったのは、囚われた敦賀の地で狭い鰊蔵に押し込まれ、多くの者たちが斬首された非道の処置による。
「この非道な行為は。幕府が近々のうちに滅亡することを自らしめした」と薩摩の大久保利通が日記に記したと、この作品にも触れられている。
1990年の『桜田門外ノ変』の刊行からまるで歴史の時間をたどるように、4年後の1994年に刊行された吉村昭のこの作品は大佛次郎賞を受賞するなど、その評価は高い。
小説ではあるが、吉村の筆は古文書など記録を実に丁寧に拾いつつ、天狗勢(この作品では党ではなく勢となっている)の行程をたどっていて、それがまるでドキュメンタリーの映像を見ているような緊迫感を与えている。
吉村はその終り近く、「慶喜は(中略)自分にとりすがってきた天狗勢を冷たく突きはなしたのだ」と、筆致は冷静だが、怒りを感じる一文を記している。
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桜田門外の変から4年―守旧派に藩政の実権を握られた水戸尊攘派は農民ら千余名を組織し、筑波山に「天狗勢」を挙兵する。しかし幕府軍の追討を受け、行き場を失った彼らは敬慕する徳川慶喜を頼って京都に上ることを決意。攘夷断行を掲げ、信濃、美濃を粛然と進む天狗勢だが、慶喜に見放された彼らは越前に至って非情な最期を迎える。水戸学に発した尊皇攘夷思想の末路を活写した雄編。
1997年6月29日購入
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「桜田門外の変」の続きとして、その後の水戸藩と天狗勢のお話。前半は田中の極悪非道ぶりが書かれており、後半でやっと京都へという明確な目的を持った行動が書かれている。その京都へ行くまでのお話が、あまり面白くなくて★3つ。後半は、面白し。幕末の各藩の内情、今の日本の政党の内部と同じように、混乱を極めています。自分たちの考えを通すのは、いつの時代も大変。TOPの人たちは自分の保身に走るし。「結局、日本って昔からこうなんだ」と思います。
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相変わらず小説としては「なってない」 (同じテーマなら山風の「魔群の通過」のほうが面白い) 。でも「こんな凄まじいことが現実としてあったのか」という事件としての衝撃性は相当なものだ。
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この天狗争乱が、はじめて読んだ吉村昭の本。
独特の淡々とした文は、はじめ何も感情を感じ取ることができなく、
これは小説なのかと戸惑った。
しかし、読み進めていくうちに、この独特の文章から圧倒的なリアリティを感じることができるようになり、読後には、吉村昭の中毒にかかったように吉村昭の小説ばかりを読むようになってしまった。
今でも、司馬遼太郎の次に好きな作家。
もちろんストーリーも素晴らしかった。
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今回2回目の読了。
1回目に読んだ時は、党派の関わりが非常に複雑だったので、地元出身者の自分であっても話の筋を追うだけで精一杯だったが、2回目はだいぶ余裕を持って理解し楽しむことができた。
天狗党の歩んだ道は、巻末にある地図で確認するだけでもよいが、wikiやGoogle map等を適宜参照しながら読むと、より面白いと思う。
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幕末時、水戸藩の尊王攘夷派である天狗党の悲劇を描いたもの。
水戸藩は、御三家でありながら尊王の旗を立て、当初は政治思想的に幕末をお膳立てした藩であったにもかかわらず、内ゲバを繰り返すことにより、維新時には全く政治力を失った。その中心にあったのが天狗党の争乱であり、この過程で多くの有為な藩士を亡くしている。
士道にも反するような数百名の天狗党の処分は、幕府及び徳川慶喜の権威を大きく損ね、結果的に幕末を早めるひとつの要因になった。
その意味でも、この史実の考察を確りと行うべき。
(薩摩藩の暗躍、一橋慶喜と幕府の関係、水戸藩と彦根藩の怨念等、興味深い歴史背景も理解できる)
明治維新後に、今度は門閥派が厳しい処分を受けるのだが、その悲劇までは描かれていない。
以下引用~
・西郷は、一橋慶喜との対立をふかめていて、天狗勢と京都から出陣している諸藩との全面衝突にとって、慶喜を窮地におとしいれようとはかっていたのである。
・慶喜は、狼狽した。追討の任をあたえられながら戦闘を回避しようとしている、とみられては、幕府の怒りをまねき、自分の立場が危うくなる。
・天狗勢を加賀、福井、彦根、小浜の四藩にあずけることも決定した、と伝えた。
・公(慶喜)は、かなり微妙なお立場におられる。幕府との関係は好ましくなく、ささいなあやまちをおかせば、たちまち身が危うくなる。
・352人が首をはねられたが、このような大量斬首は全く前例のないものであった。
・薩摩藩大久保利通は、「この非道な行為は、幕府が近々のうちに滅亡することを自らしめしたものである」
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幕末の水戸藩の尊皇攘夷の過激分子・天狗党が天皇に、そして頼みの綱と仰いだ一橋(徳川)慶喜に見捨てられ討伐の対象とされていく。武田光雲齋、藤田小四郎などの知っている名前はあるとはいえ、はっきりとした小説の主人公がいないようで大変読みづらかったのですが、京を目前にして越前へ向けて冬山を越える決死行から俄然盛り上がってきました。900人にも及ぶ日本大縦断の結果、慶喜に裏切られて無意味に死んで行った人たちが何とも悲惨です。そして57歳の女性が1人最後まで共について行ったのは驚きです。つい150年前ほどの世界が今と同じ地名(石岡、日光、本庄、藤岡、甲府、大野、勝山・・・)で登場し、非常に身近に感じられます。明治維新前夜は考えてみれば、全くの近代ですね。著者が登場人物の係累に直接会って取材した様子が目に浮かぶようです。
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桜田門外の変から4年。
水戸藩では尊王攘夷派が台頭し、横浜から外国人を打ち払おうと挙兵した。
天狗勢と呼ばれる集団は、水戸で反攘夷派の市川ら門閥はと対立し追放された頼徳軍、武田耕雲斎と合流し、一橋慶喜への望みを抱いて進軍する。
幕末の波に翻弄されながらも志を高く死んだ天狗勢の生き様を描く。
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水戸藩尊攘派による「天狗党の乱」を叙事詩的に描いた長編大作・・・だが、主人公もなく、ひたすら局地的な事実を時系列に追いかけるのみで、小説というより年代記に近く、あまりにも無味乾燥で途中で眠くなり、半分ほどで挫折した。歴史学において当該時期(元治・慶応年間)は、京都を震源とする朝廷・幕府・西南雄藩の関係の変容が重視され、「天狗党の乱」はある意味幕長戦争の先駆をなす内戦であったにもかかわらず、水戸藩の没落を招いただけで何ら有益な果実を残さなかったこともあって(維新後の水戸藩の存在の軽さ!)、東日本のローカルな武装蜂起として軽視されており(その暴虐ゆえに民衆から徹底的に忌避されたこともある)、そうしたアカデミズムの潮流への問題提起の意味があろうことはわかる。
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歴史小説は普段読まないのだがこの本は読んでいて少々疲れた・・・以下に詳しい感想があります。http://takeshi3017.chu.jp/file5/naiyou20201.html
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吉村昭氏の天狗争乱は、桜田門外ノ変の刊行後、まわりの人から次は天狗争乱ですね。と催促されるほど関係の深い内容である。幕末は、3年という年月で価値観が変わっていく時代であることを象徴する出来事でもあった。桜田門外ノ変で井伊直弼を暗殺した水戸浪士の攘夷派の者たちが、粛清されたように、かつて、時代の象徴であった攘夷派は、水戸藩内部の有力派からも弾圧される立場に追い込められていた。すでに幕府にかつての力はなく、天狗勢が頼りにしていた慶喜までも、同様であり、天狗勢の最後は、最悪の形で幕切れとなったのであった。いつもながら、天狗争乱の中に身を置いて取材しているような緻密な書きっぷりに楽しく読了した。
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「天狗党は気の毒な人たちだ」という記述をどこかで見かけ、名前ぐらいしか知らなかった天狗党のことが少しだけ気になっていたので、吉村昭の小説が読みたかったので、これを選んでみた。
吉村昭の小説の小説としての面白さは今まで幾度も書いてきたしいつも大好きなのでそれはそれでいいとして、歴史としての天狗党については、読みながらずっと納得できないでいた。
挙兵の段階で、武力放棄としては脆弱すぎるし、社会運動としては過激すぎる。そもそも落とし所が分からない。
こういうのを「政治集団」ととらえるか「大犯罪者集団」と取られるかは微妙だが、結局大犯罪者集団として扱われてしまった。まるでオウムみたいだ。
慶喜を冷淡だというが、それは仕方がないと思う。割拠して武田耕雲斎だけ表に出るみたいなIRAみたいな活動はできなかったかとか思う。それは歴史をあとから見る者の勝手な言いぐさなのは分かるけど。
「この非道な行為は、幕府が近々のうちに滅亡することを自らしめしたものである」
という大久保一蔵の日記の記述(P531)が最後に残ったことなんだろうな。