ジャーナリズムから批判精神を取ったら、何も残らない。
2008/09/12 02:53
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルから、「日本のジャーナリズムはここまで崩壊している!」という嘆き節が展開されているものと思って読み始め、‥‥予想は少し裏切られた。
日本の新聞社が実質的には海外で言う「通信社」や「政府公報」的な活動ばかり熱心にしていること、「記者クラブ」が「負の世界遺産」に登録申請可能なのでは?と思えるほど閉鎖的・排他的であること、記者の目線が庶民から離れ「あちら側」になりがちなこと、NHKの記者になるには政治家の推薦状を持っているのが有力なコネとして働くこと、不偏不党で客観的な報道など人間には不可能である事実を日本の各メディアが無視し続けていることなど、現状での多くの問題点が指摘されている。
つまり「崩壊している」の意味合いが違っていた。「昔はまともだったが今は崩壊している」という指摘ではなく、「現状ここまで崩壊している、でもこれは最近のことではない。ここ数十年ずーっとこんな感じである。」という、崩壊の開始ではなく継続が指摘されているのである。
おもな「崩壊」ターゲットは新聞であるが、NHKその他TVもひどい。宮内庁関連の「報道」が完璧に横並びなのがジャーナリズムとして如何に異常事態であるのかがよくわかった。また国内政治に関する報道内容が各メディアまったく同一である理由もよくわかった。‥‥逆に言えば、日本のジャーナリズムは一体何をしているのか、これで本当にジャーナリズムを名乗っていていいのか、まったくもって、よくわからなくなって来る。
指摘されてみれば、大新聞やTVでいっせいに同じ報道がなされるのは非常に不思議なことなのである。また、記事の引用元を明示せず「一部週刊誌によると」や「‥‥であることがわかった。」などと言ってぼかし、読者を意図的に一次ソースから遠ざけてはいけない。そう、言われてみれば指摘される通りだ。今までなぜ気にせずに新聞を読めていたのか不思議でならない。
要するに、盗作・剽窃・カンニングが日常的にすぎる現状が最大の問題であるのだろうと思う。
報道を鵜呑みにするなどとんでもない。批判精神を持たない不健全な日本のジャーナリズムと付き合うには、ジャーナリズムが忘却の彼方にやってしまった批判精神をこちらが自覚的にもって臨むしかない。
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記者クラブ批判を主に、フリーランスのジャーナリストの取材がどのようなものかを記している。日米の新聞社の違いや、通信社と新聞社の違いから、ジャーナリズムのあり方について筆者の考えを述べている。
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日本の新聞記者について
記者クラブの害悪について
元ニューヨークタイムズの記者である著者が
外国メディアと比較して書いた作品。
これが全貌とは思わないが、現状の新聞の問題を知る上で参考になったと思う。
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この本を読んで
1、ジャーナリズムに関する日本と外国との考え方の違い。
2、日本で報道されるニュースの内容が、どこもほとんど一緒
3、記事の発信者がわからない
というのはやはりおかしいと改めて思うようになった。
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昔から心あるジャーナリストからは指摘されていた記者クラブ問題であるが、ここまで単刀直入に指摘した本は無いだろう。読みすすめていて記者クラブ制度の疲弊っぷりにムカムカさせられるが、果たしてこの状況をどうやったら打破できるのかその方策が簡単に見つからないことが更にイライラさせられる。
やはり一度新聞は潰れないとこの状況は変わらないのだろうか。
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海外と日本のジャーナリズムの姿勢を事細かに記述していて、新聞記者の実態を浮き彫りにした。この本を読んで感じたのは、週刊誌や雑誌は半分が本当ではない、ゴシップだと思うが、残り半分は新聞が書けない・書かないことが記述されていると感じた。
そうだよねぇと思ったのは、結局は会社員。危険を冒してまで攻め込む根本的な姿勢が日本人には持ちにくいと思った。アメリカのタイムズの話を引き合いにだし、日本のジャーナリズムは奇異であると断言し、書籍化していいるあたりが、勇気あるジャーナリストだ。
人と変わったことをやろうとすることがこれほど勇気のいることなのだ。自分の信念を決して曲げない芯の強さが著者にはある。
アメリカを代表して論じているが、アメリカのジャーナリズムこそが真のジャーナリズムなのか。的がずれているとは思うが、そう思った。
日本人のマスコミの体質は、たぶん変わらないと思うよね。著者もそう感じているのではないか。
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日本のジャーナリズム、特に新聞記者に対する痛烈な批判の書。NHKとNew York Timesに勤務した著者の経験から、閉鎖的な記者クラブ制度の問題点と、ジャーナリストとしての自覚に欠けるサラリーマン記者の問題点を指摘してる。海外の記事を紹介する「クーリエ・ジャポン」を読んでいると、これが新聞に掲載されているのかと驚くほど文量が多く、深い記事が多い。それに対し、日本の新聞は一つ一つの記事が短く、まともな分析がされていないものがほとんど。ただ、その背景には日本には欧米でいうところのインテリ向けな「高級紙」が存在しづらいことも背景にあるんだろうと思う。記者クラブが解放されるべき、という結論には多いに頷けるけど、それで新聞社の体質がどれほど変わるかな。外国メディアの日本版といった「黒船襲来」でも起こらないと、日本の新聞がダメダメなのは変わらない気がするな。
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「ジャーナリズム」の馴れ合いやら構造的欠陥をさらりとした筆致で記した新書。
基本構造やら、権力におもねく御用体制についてなど、現行のジャーナリズムにもいろいろ慣習上の不都合が多いものだ。
フリーで闘う筆者に、すこし勇気を貰った。
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本のところどころから、何者にも屈さない著者の”強さ”が伝わってきます。
日本の記者クラブってのはこれほどまで傷んでいたのかと驚かされるばかりです。
ということは、政治欄の記事を読んだところで、本質的な部分は何一つ見えないわけですね。
アメリカのジャーナリズムと比較すると、日本の報道といわれているのは通信に近いと。
自分の頭で考え、確認していく作業が必要だと改めて思いました。
そして、冒頭にも書きましたが、そのような体制のまずさを改善しなければという以上に、筆者の生き方にみとれました。
僕が浸かっているのはまだまだぬるま湯。
周りの人の白い目を気にせず、信念を貫いて結果を出すことの大切さと大変さを再確認しました。
あと、著書で紹介されていた櫻井よしこ氏の
「匿名で批判されても相手にしないが、名前を出して批判する方にはそれなりの対応をする。」
という話は関心させられました。
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2008/10
記者クラブ制度を中心に、日本のジャーナリズムというものがどれだけ酷いものか、強く論じている。実際に著者自身が体験したことを基に書かれているので臨場感を強く感じることができ、メディア論としてはなかなかのもの。
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『再び結論を先に述べれば、日本でいうジャーナリズム精神とか、海外でのワイヤーサービスメンタリティに相当する。ワイヤーサービスとは、日本でいうとこ共同通信や時事通信のような通信社のことを指し、速報性をその最優先業務とするメディアのことだ。いわゆる海外でのジャーナリズムとそれとは一線を画す。単に、時事的な事象を報じるだけではなく、さらにもう一歩進んで解説や批評を加える活動を一般的にジャーナリズムと呼んでいる』
TVニュースで地方の祭りなどを報じていると見ているほうは「今日はニュースがないんだね」と言い合ったりするが、報じることは沢山あるはずだよな…と思う。
新聞にしても、旬じゃない記事(発覚から少し時間が経ったニュース、新しい大事件に取って代わられた話題など)を思い出して取り上げるということがあまりに少ないのも不満。見ているほうも「それもう古いよ」という感性はマジでなんとかしたほうがいい。
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『官邸崩壊』など話題の本を執筆している筆者が、日本のマスコミ(主に新聞記者)の現状を報告した本。世界の中でも、特殊な組織である「記者クラブ」と、ジャーナリストのあるべき姿について、詳しく書かれています。(2008.9.14)
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日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論
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ジャーナリズムの世界がよく理解できた。
日本のジャーナリズムが世界の中でも、特殊な世界ということが理解できた。まさしく、「和をもって尊しとなす」の世界だ。
筆者は盛んに日本独自の制度、記者クラブ、を批判する。
日本の新聞は、ジャーナリズムでないとも言う。
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かなり楽しく読めた。本人がテレビで発言していたが、同業者から「こんな内容はすでに周知の事実だ。いまさらこんな内容陳腐だ」と言われたそうだ。それにしても日本のジャーナリズムの幼稚?というか無責任さ!記者クラブという談合組織。匿名による責任の所在の曖昧さ。さらに誤報記事に対する新聞社の無責任さ。どれをとっても、新聞社が企業や会社を糾弾していることと同じことをやっているのだ。はたしてこんなジャーナリズムを信用することはできるのか!