投稿元:
レビューを見る
前半おもろい。
後半は難しくておもんなかった。
政治をどう理解すればいいか、
政治へどう接したらいいか書かれた本。
投稿元:
レビューを見る
政治哲学の本。
10年くらい前に刊行されているが、今読んでも古びていない。
誰が、いつ、政治的な決断をするのか。
誰かが誰かを代表するとはどういうことか、可能なのか。
権力の源泉は。そして自由とは権力をなくすことか。
アトランダムに書き出したが、こんな原理的な問題が検討されていく。
いま、ここにある問題を外部化するのは危険なことだという話が印象的だ。
政治家のせい、官僚のせい、外国のせいとすれば、気持ちは楽になるが、問題は解決しない。
自分(たち)の中の、変化を嫌う何かを見極めなければならない、というのだ。
その通り、とも思うが、難しいだろうな、とも思う。
投稿元:
レビューを見る
今の政治システムは完全なものではない。全員の意見を汲み取ることは不可能だし、構造上の欠陥があるのは事実である。だからといって、闇雲に制度を批判したり、政治参画を放棄しても良いわけではない。そもそも政治から逃れることは不可能で、どのように向き合っていくか、問題に対してどのようにアプローチをするのか、深く考えることができた。
投稿元:
レビューを見る
792
政治の向き合い方へのスタンスって学校で習えないけど重要なことだと思った。社会で生きていくために大事なことはほとんど学校で教えてくれないことだけどね基本。化粧の仕方とか人との付き合い方とかもそうだけど。政治っていうのは社会の最大公約数の妥協点を探ることで個人の理想を追求するものではないという事が書いてあった。政治というものにはある種の押し付けがましさ不愉快さが付きまとうもの。過度の期待は政治への絶望に繋がり、政治そのものへの興味を失うから気をつけた方がいいらしい。
杉田 敦(すぎた あつし、1959年4月30日 - )は日本の政治学者。 法政大学教授。 専攻は、政治理論、政治思想史。 群馬県伊勢崎市生まれ、東京育ち。 みんなで決めよう「原発」国民投票の代表を務める。 [略歴] 筑波大学附属駒場中学校・高等学校卒業 1982年 東京大学法学部卒業 1982年 東京大学法学部助手 1986年 新潟大学法学部助教授 1993年 法政大学法学部政治学科助教授 1996年 法政大学法学部政治学科教授 2003年 - 2007年 放送大学教養学部客員教授 [関係者] 制度的な指導教官は福田歓一。 1期上の兄弟子に川崎修がいる。
まして政治は、みなのことについて決める営みです。複数の人びとの間の集合的な決 定にかかわるわけで、そのために、政治は個人的な決定とは別の水準の理不尽さをもた らすものとして、私たちに意識されることが多い。複数による決定ですから、自分の意 のままにはいかないことも少なくないのです。全体を称する多数派の都合のために、 分が損をすることだってある。だからといっていつも従わなければ、決定すること自体 が無意味になってしまいます。この世に自分一人だけで暮らしているわけではないです から、集合的な決定は避けられるものではありません。納得はいかないけれども受け容 れないわけにもいかない。このあたりから、政治というものにはある種の不愉快さ、押 しつけがましさがつきまとうことにもなるわけです。
一般的にいって、政治に過度に期待することはあまりいいことで はありません。過度な期待は絶望と紙一重です。期待が裏切られる と、政治そのものへの絶望につながります。そして、政治などなく てもいいのではないかという話になってしまう。 ただし、政治との問に距離をとるべきだといっても、それは、政 治をなくせばいいという話とは違います。逆説的ですが、政治を活 かすためにこそ、政治に距離をとるべきなのです。政治に距離をと ることで、政治は活きるのです。政治的思考にとって大切なことを 以下にまとめてみましょう。 第一に、政治はさまざまな価値観にかかわるものであり、多様な 価値観の間の調整こそが政治だということを理解する必要がありま す。
よくいわれることですが、ユーモアとは自分に対して距離を置く ことができるような態度と関係しています。深刻な問題であって も、少し距離を置いてみれば、たかだかこの程度の問題だというこ とで、気持ちが少し軽くなる。それがユーモアでしょう。そう考え てみると、実は政治や外交にはユーモアが必要なのかもしれませ ん
政治は、利害関係を異にする生身の人間たちの対立を前提とし て、調整する作業をしなく���はならない。これは簡単な話ではあり ません。自然を相手にしているわけではないですから、すっきりし た結論が出ないのも当然です。政治は複雑な活動です。
投稿元:
レビューを見る
杉田敦『政治的思考』岩波新書 読了。八つのキーワードを元に政治的に考えることについて議論していく。多様な価値観を前提に物事を調整していくこと。絶対的な正否や善悪などなく、多面的で相対的であること。「私たち」が泥臭く考え抜き、手探りで行動することが、今をよりよくする道筋なのだろう。