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二十歳の原点 みんなのレビュー

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みんなのレビュー173件

みんなの評価3.7

評価内訳

169 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

真摯に生きるとは

2024/01/24 14:44

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る

1969年に20歳で自ら命を立った女性の日記。当時の社会状況等を知らなければわかりづらいところもあるかもしれないが、むしろ現在とも通じるところにも目が行く。真摯に生きるとはどういうことかを考えたい若い人はぜひ読んでほしい。

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紙の本

最初は惹き込まれながら(?)読んでいた、のだが・・・

2010/05/24 22:30

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まぎぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る

‘大学に入りたての頃よくきかれたものだ。「あなたは何故大学にきたの」と。私は答えた。「なんとなく」と。勉強もできない方ではなかったし、家庭の状況もよかったから、日本史専攻に籍をおいているけれど、英語でも体育でも何でもよかった。就職するのはいやだし、大学にでも行こうかって気になり、なんとなくきた。なんとなく大学に入ったのである。[・・・]私もたまたま大学にきただけなのである。私にとって大学にくる必然性はなかった。そして私は危うくなんとなく四年間を過して、なんとなく卒業し、なんとなく就職するところだった。大教室での教授にしろ、やはりなんとなく学問をし学生の前でなんとなくしゃべっているのである。まさしく教師はなんとなく労働力商品の再生産を行なっているのである。
  現在の資本が労働力を欲しているが故に、私は、そして私たちは学力という名の選別機にのせられ、なんとなく大学に入り、商品となってゆく。すべては資本の論理によって動かされ、資本を強大にしているだけである。
  なんとなく学生となった自己を直視するとき資本主義社会、帝国主義社会における主体としての自己を直視せざるをえない。それを否定する中にしか主体としての自己は存在しない。外界を否定するのではない。自己をバラバラに打ちこわすことだ。なんとなく学生になった自己を粉砕し、現存の大学を解体する闘いが生れる。’
(pp. 183-184)

ここ(↑)を読んだとき、違うと思った。違う。
私の母は団塊の世代だ。学生運動も経験している。高野悦子さんとは異なる、東京の私大に通っていたけど、やはり10ヶ月間講義のない時期があったそうだ。ちょっと燃えて、というかかぶれて、学生運動に肯定的な発言をした姉(私の伯母)に向かって、父親である私の祖父は、‘学費を払いながら講義をストするなど、映画館に入って後ろ向いてるようなもんだ!’と言ったらしい(爆)。

私の母は、‘なんとなく’大学に入ったのではなかった。4年制大学に行くのは彼女の(つまり私の)家では当然のことで、その点では彼女も確かに当然のように進学したわけだが、それでも当時女の子が、しかも母のように高校で1年間オーストラリアに留学して曲がりなりにも英語が得意と言えた女の子が進む道は、英文科と決まっていた(または、仏文科とかネ)。でも母は、英語はできる方でも、文学には特に興味を持っていなかった。彼女はキリスト教を勉強したかった。彼女が志望した大学にももちろん英文科はあって、偏差値的にもそちらの方が世間体は良かったが、彼女はキリスト教学科を選んだ。‘なんとなく’ではなく、まさにキリスト教を勉強したくて、大学に入ったのだ。

そうしたら、お前もなんとなく進学しただろう、自己批判しろ、と強要されたのだそうだ。母は自己批判すべきことなど何もなかった。‘なんとなく’入った人は、勝手に自己批判すればいい。でも彼女はそういう学生ではなかった。だから家に帰ると言うと、委任状にサインするまで部屋から出さないと言われた。学生運動の問題は、思想に燃えた自己の考えを他者に強要したところにある。確かに高野さんのように‘自己をバラバラに打ちこわす’必要のあった、またその必要を痛感した学生は、多かったのだろう。でもすべての学生がそうだったわけではない。すべての学生が‘なんとなく’大学に来ていたわけではない。
上で引用した'69年5月28日の日記は、続く次の段落で結ばれる:

‘大学の存在、大学における学問の存在は、資本の論理に貫かれている。その大学を、学問を、教育を、また「なんとなく学生になったこと」を否定し、私は真の学生を、それこそ血みどろの闘いの中で永続的にさがし求めていく。大学の存在は反体制の存在でなければならない。’
(p. 184)

私の母を‘真の学生’と呼べるかはわからないが(!)、少なくとも彼女のように真剣に学問したくて入ってきた学生もいたこと、自分たちとは違う人もいたことに対する想像力が、欠けていたと言わざるをえない。

まぁ彼女は二十歳だったのだ。若かった。ある意味ホンモノだった(私の母が本当に幻滅したのは、昨日まで自己批判を強要していたヤツらが、過去を不問に付し授業再開となってみると真っ先に教室の一番前に陣取って、いそいそと善き学生になり済ましているのを見たときだそうだ)。ホンモノだったからこそ、終わりに近づくにつれ発想が極端に、百かゼロの二者択一的なものになっていくのがつらい。若かったね、いっぱい考えたね・・・ほかに、言うべき言葉が見つからない。

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紙の本

高野さんが生きていたら、今日の20歳の若者たちをどう見られるだろう。

2002/12/07 19:03

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:由良 博英 - この投稿者のレビュー一覧を見る

学園闘争に身を投じ、現在から見れば虚妄でしかない思想に翻弄されながら、自らのレゾンデートルを模索しつづけた多感な20歳の女性の手記。恋にも破れ、拠り所を失った彼女は、1969年、鉄道自殺を遂げている。最後に添えられた遺書とも思われる詩が、深く心を打つ。彼女と同世代のひとには、過去を頬かむりして、今日、無気力な次世代を育んでいるものも多い。高野さんが生きていたら、街を歩く20歳の若者たちをどう見られるだろう。

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2004/10/16 14:09

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2005/05/12 15:07

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2006/04/06 10:39

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2006/05/04 08:44

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