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投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
「純愛」といういいかたは、あるいは昭和30年代で終わったのかもしれないけれど、1980年代末、そして現在、何度でも「純愛ブームは」回帰するのではないだろうか? というのも、それはいつの時代でも、誰にとっても、憧憬の対象であるには違いないのだから。
そこで堀辰雄である。『風立ちぬ』である。ここに描かれた恋愛は、驚くべきことに、恋人同士の内、女性の死が、ほぼ確定しているところから始まっている。文字通りの、無償の恋である。それは、死んでいく女性にとってのみ成らず、生きていく男性にとっても、一世一代の恋愛である。そして、その無償さは、まさに「純愛」とよぶにふさわしい。
しかも、そうした日々の中で、この恋人達は、お互いを思いやり、思いやることで残り少ないともに過ごす日々を、細やかな網目として贅沢なまでに味わっていく。
だから、恋人との死別という悲劇が描かれていながら、『風立ちぬ』は、今なお感動できる「純愛」小説である。猛暑に読むには、その関係の、愛のさわやかさに、涼しい心地よさを味わえる一冊である。
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投稿者:セロリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初に読んだときには、少し衝撃を受け、自分の無知を恥じた。日本にこんな小説を書ける作家がいたことを、知らなかったからだ。淡い恋愛を主題にしているが、ストーリーが面白いわけではない。ただ、心理描写が深く、美しいのだ。伝統的な日本の小説にはない、完全な自我の意識を基礎にして構成されており、ふと、風景や外観こそ、日本的だが、本質的にはフランスの近代心理小説ではないかと感じさせられた。短い短編小説で、簡単に読み通せ、読後感は、爽やかな秋風、といった風情だが、その作風の近代性には、心底、驚かされるものがあった。
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投稿者:たぬき - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前読んでいたはずだが、うろ覚えなので、また読んでみました。良い本は良いと改めて思いました。
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“風が吹く! ……さあ、生きなくてはならない!”
結核の療養に高原で暮らす恋人と最後の時を過ごす。堀辰雄の自伝的小説。
芥川龍之介、堀辰雄、立原道造の通っていた中学(現高校)に通うことになって、何気なしに開いた書物だったが、今でもこころに残る作品となった。
高校時代、この内容を真似たごく短い小説を書いて図書館発行の季刊誌に載せたのを読んだ父が涙していたのが印象深い。すいません父さん、あれ私が書きました。
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流れ込んでくるのは、主人公の感情だけではない。周りの美しい自然、色とりどりの四季の風や木々だ。そんな自然と共に、主人公が見守るのは病気の妻である。彼女の呼吸ひとつをとっても、彼は愛しさを持って見守っていく。その姿は儚くそして綺麗だ。時間がこの中には存在しないような、そんな錯覚さえ起こしてしまいそうなゆるりとした感覚。だからこそ、妻の命も、変わりゆく自然も儚く静かに呼吸を繰り返す。別れが来た時、彼は相変わらず静かに変わっていく自然の中にただ一人身を置く・・・。
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「風立ちぬ」の二人は、一見具体的な「生きがい」を明示しないまま、サナトリウムでの日々を過ごしていたように見えるが、よく読みこむと、具体的な何かでなく、二人で他者の介入のない、心を通い合わせる濃密な時間を、静で豊かな自然環境の中で最後の刻まで過ごしたということは、精神性において最高の「死の創り方」ではなかったろうか。
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切ないっていうか何ていうか…こう、ぐっとくる。
地味に『あらの』(漢字出ん…)が良かった!電車の中で泣きそうになったしなー。
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結核文学。
サナトリウムで、何もせず、死にゆく恋人と同じへやで過ごすのは、それは確かに美しかろうが…
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サウンド文学館・パルナス 小説1(日本文学)「風立ちぬ(第三章「風立ちぬ」のみ収録)」 朗読:金内吉男
なるほど、こういうのがサナトリウム文学っていうのか。「マルテの手記」もサナトリウム文学だっけ?療養先でのお話だった気がする。よし読もう。
今に集中しようにも心が千々にちぎれてどうすることもできない。これは時代や場所を越えた悲しみだ。
「僕たちほど幸せな二人はほかにいない」
ヴァージニア・ウルフも遺書の中で同じ言葉を遺していたな。
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3月31日読了。iPhoneの青空文庫リーダーにて。肺結核のため郊外のサナトリウムにて療養する節子の傍らでともに生活する私の懊悩。儚げで今にも崩れ落ちてしまいそうな恋人と自分がこの世に二人きりのような甘美な世界、とはある意味男(だけではないかもしれないが)の夢とも言えるものではないだろうか、実際多くのエロゲーが影響を受けてそうな設定だ。が、作家である「私」自身が、避けられない死を控えた有限の時間だからこそ今が美しく思えるのか、悲しむべきなのか今の時間を明るく過ごすべきなのか、またそうして悩む自分に自分で酔っているだけなのか・・・などと思い悩むさまは当然ながら凡百のエロゲーと深さの点で比較にならない。(比べるのもどうかと思うが)
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愛する人の死。
心理描写が逸脱で、白々しさが全くありません。
淡々と語られているのが、かえって胸が締め付けられるような気がします。とても繊細な作品です。
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「風立ちぬ」と他三篇を収録。「風立ちぬ」が収録されたものは他にも105円で売っていたけど、これを選んだのは「曠野」が載っていたから。あと、色々おまけ的なものも附いてます。"Le vent se l?ve, il faut tenter de vivre."を、堀辰雄はこう訳した。「風立ちぬ、いざ生きめやも」「やも」って何だ? 辞書を引くと詠嘆または反語、疑問の助詞で、上代語って書いてある。なんでそんな古い言葉わざわざ使うんだ・・・ 辞書を引いてもいまいちよく分からなかったので、春休みに入って初めてのフランス語の勉強をしてみることに。その結果出来上がった僕の訳文は、「風が立つ、生きてみなければ」。なんのこっちゃという感じですが、忠実に訳したつもりです。前半はフランス語だと現在形なのに、「ぬ」は完了だったりするけど、やっぱり「風立ちぬ」だとなんかしっくりくるような。元々詩の一節なので、韻を踏むために「やも」を使ったりしたのかも。感想は、誰でも引用しそうな所だけど、「皆がもう行き止まりだと思っているところから始まっているようなこの生の愉しさ」。確かに、死の影が付きまといながらも、なるべく普通に、平穏に生活しようとしていて、それで満足していたような感じでした。それで良いのかな、とも思うのですが、良いのでしょう。「曠野」は芥川龍之介の真似みたいのだけど、ちょっと違う感じ。「曠野」のことは確か阿刀田高のエッセイで知って、その元になった話は昔から有名だったのかは知らないけど、予備校の古文の授業でもやった。他に「窓」、「麦藁帽子」収録。鑑賞・年譜は 池内輝雄。解説は氷室冴子。松岡正剛には「風立ちぬ」関する奇妙な思い出が。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0641.html
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何がきっかけか忘れたけれど、サナトリウムっていうのに憧れた時期があって。いつか読んで見たかった作品。
退屈な話だった。文章は上手いから私に合わないだけだと思う。
これが恋愛小説かどうかと言うより、描かれてる風景が美しい。
そんな描写はなかったし、あらすじにも関係ないんだけど、青い空に新緑の稜線を描く山並、湧き立つ雲に柔らかな風。白いワンピースに麦わら帽子をかぶったお嬢さんと画材を持ちながら彼女の後ろ姿を見送る私。という情景が浮かぶ。ホントに内容と関係ない景色なんだけど。
DS文学全集にて。
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美しい本だった。
西洋の風景画のような柔らかな色彩と、息づまるような静かな熱情。融ける寸前の雪のように果敢ない。
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ジブリの新作に惹かれて、久々に読んでみることに。病気のため死と向き合いながらも、「風立ちぬ いざ生きめやも」と、自然の移り変わりをみながら生きようとする姿が印象的でした。