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通勤時間に読むつもりで購入しましたが、読みやすかったので、休日1日で読み終えてしまいました。
ただ、東京裁判や開国の歴史など、ざっと読むにはもったいない内容も多かったので、時間のある時に再読しようかと思っております。
また、私は福沢諭吉を食わず嫌いにしてきましたが、この本を読んで見直しました。学問のすすめ等、著書に手を付けていきたいと感じました。そのほか、オルテガの思想も引用されていますが、学問の幅を広げていくのに適した本ではないかと思いました。
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現代日本の混迷をとてもシニカルな視点から捉えている。日本の無脊椎化はどこからやってきたのか。敗戦は江戸時代の開国の時点で既に用意されており、その後のアメリカとの従属的な付き合い方も占領と言うプロセスを経たこと以外に説明ができる。福沢諭吉の心情の変化から三島由紀夫の予言した日本の現出まで、知識人と呼ばれる人たちの思想から無脊椎化の正体を炙り出している。
無機質でのっぺりした日本がこうあるべきなどと声高に叫ばず淡々とした筆調はとても読みやすく好感。
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戦後の民主教育を受け、共産主義の失敗を見てきた我々の世代にとって「民主主義を疑う」ことは非常に難しい。というよりそれは前提としてあるもので意識すらしていなかった。しかしギリシア・ローマ時代の昔から、独裁制と民主制は交互に現れるものであり、ある意味表裏一体のものであるようだ。近年の日本の政局を見ると、またもその歴史を繰り返すかのような動きを見せている。民主主義のもと、大衆の民意が力を持つようになると、政治は民意を意識して、あるいはそれに左右されて大局的な思考ができなくなる。その結果あらゆる決定に時間がかかり、効率は落ちる。苛立った大衆は強い指導力を求めるようになり、そこに民主的な手続きのもと、独裁者が登場する。独裁者は常に喝采をもって迎えられるのだ。特に声の大きい者たちの…。
筆者は民主主義を否定しているわけではなく、「民主主義が健全であるためには常に民主主義を疑い、注意深く見守っていく必要がある」と述べているのだろう。民主主義は意外に脆弱であり、独裁制は意外にしぶとい、ということを忘れないようにしなくてはならない。
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幅広い内容があり、ここから他の専門書へと広げることが出来そう。
直接民主主義と間接民主主義、無脊椎、サンフランシスコ講和条約、開国論、福沢諭吉などなど。より知りたいことがたくさん散りばめられている。
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ちょっと読みづらかったかなあ。
『反・幸福論』の続編らしいです。
言いたいことは、要は日本には確固とした思想がなくて、「アメリカ」という「理想」を虚構ででもつくることによって、その「理想」に追いつこうとすることによって国をつくってきた。
日本は、そういうスタンスをやめること、本当の意味での「一国独立」を目指さないとだめだ、というようなことかな?
こういう社会思想系の本はまだまだだめですね。むずかしかった。
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自分のことを棚に上げて書いてしまうけれども、佐伯さんはずるいと思う。
そう感じてしまう理由として、佐伯さんの評論家的立ち位置である。とりあげるどの問題に対しても、結局最後まで解決策や道筋を示すことなく、それぞれの課題に個別に取り組んでいる政治家や専門家、学者、行政等の振る舞いを批評するスタンスをとっている。
その都度、「その問題を論じること自体が目的ではない」と断りを入れて、「その背景にある○○が問題なのだ」というが、その「○○」に対する解決の道筋も示していないように思われる。
とりあげる諸問題の裏には「日本の無脊椎化」がある、と言っているが、「無脊椎化」がどんな価値観の喪失によるものなのか、またそれを回復することが望ましいのか、新たな時代に新たな価値観が必要とされているのか、イマイチ明確ではない気がする。
だから研究者、というより評論家・批評家との印象である。
「1980年代論」の中で、戦後日本が戦争で亡くなられた方々の上に築かれてきたものである、との認識に伴う「疾しさ」の感覚が失われていることを嘆いているが、これが「無脊椎化」でいうところの価値観の喪失なのか?であれば、それが現代の諸現象にどうつながっているのか、もっと解き明かしてほしい。(個人的には、戦後に生まれた世代として「疾しさ」と言われていも今一つ、ピンとこないものもあるが…)
もう一つ気になるのが「開国という強迫観念」の中で西洋的な知と日本的な知を対比させている割には、「日本的な知」についてが曖昧で、「なんとなく」「イメージ的」な議論になっている印象がぬぐえないところである。読んでいて、じゃあ佐伯さんのいう評価されない、下等とみなされている「日本的なもの」って何なのか?それは本当にいま評価されていないのか?下等・劣等とみなされているのか?そもそも「誰に」そうみなされているのか?
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さてと、上までの内容とは別の視点での感想。
この本の中で一番印象に残ったのは第9章の「1980年代論」、この中に紹介されている記述にハッとさせられた。
三島由紀夫や吉田満の文章を引いて、戦後日本が陥ったお金や快適さを求める自己中心主義がもたらした社会の退廃を指摘している。この現象への危機感は右・左関係ないものだったんだ、という気づきにびっくりした。その背景や解釈はことなるかもしれないけど、この危機感は共通しているものだったのだ、ということが新鮮だった。
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日本人として謙虚に歴史と向き合い、自分の立ち位置をしっかり自覚することの大切さを教えられた。アベノミクスなど浮かれているが、結局、今の日本という国は、戦争の疾しさを抱え、西洋・アメリカの従属の上に成り立っている。戦後はいつまでも終わらず、この歴史はぬぐうことはできない。攘夷のはずたっだ開国→文明開化と同時に、「義」を捨てて「利」や「便」を追及することになった我々日本人。その流れは今も続き、ふと「負い目」と「疾しさ」を忘れがちだが、これが消えた時に本当の「無機質で空っぽの国」ができあがる。あがけばあがくほど精神の空洞化が進む中で、この国はどこへ向かうのか。大衆の一人として考え、行動することの大切さを痛切に感じる。
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評論らしい評論を読ませていただいた。大東亜戦争の意味すること、侵略ではないとする言動の根っこにあるものが分かりやすかった。
現在の無脊椎ともいえるニッポンの状況がどこから来たのか、鎖国を開き、明治維新の攘夷と文明開化の側面がどのように大陸進出と太平洋戦争につながり、戦後の経済発展とアメリカへの自発的従属がもたらされたか。
戦争に赴かざるを得なかった人々の犠牲とそれを戦犯とした疾しさについては、個人レベルの感傷として理解できる部分と社会・世情レベルではやむを得ないと感じる部分もある。
福沢諭吉の一身独立、一国独立が、これからの世界への開国にも大切だという主張には納得した。
13-45
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ちょっとこれは読むに耐えない。日本(の政治)はダメだダメだと愚痴ばかりで何の参考にもならない。ただの老人の繰り言集。
著者の本は初めてではないのだが,前からこんなんだったっけ?
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本の紹介に書かれてある 何かがおかしい。「嫌な感じ」は現在の日本人なら普通そう思っている。
その「嫌な感じ」の根源は何なのか。
佐伯啓思氏が、明治の開国に遡り、日本社会が背負っている宿命を見事に解き明かしてくれている。
GHQに押し付けられた歴史観に騙され続けている日本社会、司馬史観とも異なる視点。
佐伯啓思氏は、所謂、学会にも属さない、わが道を行くという生きかただ。
そこらあたりが、私にとって、とっても共感できる部分である。
終始一貫する言説が、信頼の元なのである。
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現在の日本を覆う、何となく筋が通らなくて、リーダーも人々も、どこもかしこもブレている感じ。著者はこれらの根本原因を、江戸時代後期まで遡って、西欧列強との立ち位置を巡っての日本人の態度、思想の変遷に見出そうとします。
以下、本書を思い切ってまとめてみます。
列強からの侵略を恐れた日本人は、武力による防衛を目指すが、あまりの実力差にそれが叶わかったため、西洋文明を取り入れて、国としての力をつけることを優先する。しかしいつのまにか「開国」自体が目的化してしまう。やがて力をつけた日本が欧米と衝突するのは歴史的必然であった。戦後は、防衛を米国に委ね、文化や経済のアメリカ流を受け入れ(これも「開国」といわれる)、自由と経済成長を信奉して経済大国となったが、やがて経済戦争ともいえる80年代の経済摩擦を迎えたのも歴史的必然。85年のプラザ合意以降は、米国を助けるための経済政策に勤しむことになってしまった。明治から一環して、自立自助の精神が欠けたままになっており、これが日本人の肝が据わらない原因である。
福沢諭吉や三島由紀夫など、まだまだ面白い話があったのですが、ざっとこんな感じでしょうか。
いわゆる保守派の意見として、これは正論だと思いますし、なるほどと考えさせられるところが多かった。でも、実際に、目の前にある、政治や経済や、もっといえば自分のビジネスの課題に対して、どうやって日本人として自立した矜持を持って対応していくかとなると、現実的にまた別の難しさがある。
こういう思想は、背骨作りのために、吸収し考えなければならないけれど、それだけでは生きていけないんですよね。背骨と小手先。どちらも大事なんだよな、という、ちょっと本書の筋から外れた感想になってしまいますが。
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現在の日本の抱える問題を「精神の無脊椎症」と批判し、日本は自らが立つ拠りどころ、揺るぎない考え方を得る必要があると主張する。
現象として批判されるものが「アメリカ化」や「政治のポピュリズム」。
なぜ、そのような状況に陥ったのか、黒船来航から遡り検証する。
ひとつの解として明治維新に植民地化を避け、「一国独立」を志した際の志士たちの精神構造を振り返る。福澤諭吉も登場。
政治家としてあるべき姿を論じる箇所では、現代の政治家であればトニーブレアを思い浮かべた。
以下引用~
・ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」、、、ショックによって社会を活性化しようというのです。
・最初に政治学という学問を生み出したプラトンがもっとも警戒したのが民主政治だったということは改めて注意しておいてよいことでしょう。政治学は民主政治への警戒から始まったといっても過言ではありません。
・政治とは、私見では、三つの重要な要素をもっています。
第一に、国や社会の長期的なあり方を国民に提示する。そして、そのための方策をある程度実現する。
第二に、緊急事態など何か大きな事態が生じた時に、決定的に重要な決断をする。
そして第三に、今日の民主政治は多様な利害のからみあいですから、多様な利害を調整する。
それぞれ『構想の政治』、『決断の政治』、『調整の政治』といってよいでしょうが、今日の政治家に求められるのはこの三つの能力です。そしてもうひとつ付け加えれば、以上のことを国民に訴え、説得する能力です。
・少なくとも、戦後、われわれが「世界」といった時に「世界」とは何かというと、実は「アメリカ」なのです。「世界標準」とはアメリカの示したルールなのです。
・すでに、「開国」への強力なバイアスがかかってしまうのです。ではそのバイアスを生み出したものは何か。それはいうまでもなく明治の「開国」でしょう。
・「一身独立」しなければ「一国独立」もありえない。そのためには人は「報国心」をもって自分の「国」を引き受け、各人が「おのおのその国人たるの分」を果たすことが肝要だ、というのです。
・福沢がもっともきらったものは安直な便宜主義であり、簡単に「利」につく性癖であり、義を失っても恥じない奴隷根性でした。
(痩我慢)
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江戸幕府最後からの歴史を勉強しないといけないと思った。大東亜戦争への宿命、必然。
アメリカへの従属。それに、満足というか知らない内に、取り込まれている。それも気づかないまま。
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4章以降の、日本の歴史的考察の部分は、内容としては理解できるが、あまり興味を持てなかった。
ただ、3章までの政治に関する部分は、激しく同意できるし、「そうそう、それが言いたかった」というところばかり。
こういうふうに、自分の考えを文章なり言葉なりにして表現できるようになりたい、と思わされた。
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グローバル競争の中で日本経済は大停滞から抜け出すことができず、仕事も不安定で、将来への見通しも立たない。誰もが殺伐としたものを感じている。大衆の不満や不安は、毒には毒をもって制する指導者、橋下氏を求めた。橋下現象を支えているのは薄く広く引き延ばされたルサンティマン。敵対者を悪者にしたてあげ大衆の不満の矛先と仕向ける。橋下氏を強引で自己中心的でとんでもないという人もいるが、残念ながら筋違い。我々が問題とすべきは橋下現象を生み出してしまうこの日本社会の現状そのもの。ネットなるものをほとんど見ない、橋下氏を全く知らないという著者が橋下現象の核心を突く。2章以降、総理の品格、独立論など、興味をそそるコンテンツが第9章まで続く。資料やデータは一切ない。著者の見識のみをもって思想的な観点で論じられているが、どれも読みごたえがある。自分の思想の遠近を正し軸もしっかり据えてもらえた。