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拙著「本で床は抜けるのか」と同じテーマを扱った本を再読。長年、本に特化して執筆してきた岡崎さんだけに蔵書の数は大変に多いし、本に関しての蘊蓄も膨大だ。体当たりルポ的なテイストの拙著とはアプローチがまったく違う。岡崎さんのはある意味、名人芸。参りました。師匠と呼ばせて下さい。
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タイトルに惹かれ、読み始めたけど、とても同感できる部分がたくさん。どんどん落ち始めている自分の周りの本たちをつい見てしまった。
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本好きのあるあるがいっぱい詰まった本。読んでいてとにかく楽しいし、吹き出して笑ってしまう部分も有った。色んな本も紹介されていて、本にまつわる本としては是非読みたい本である。
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住空間を圧迫するほどに増えていく蔵書の苦しみについて書かれた本。個人的には蔵書が燃えた人々に関する話が印象的でした。震災や空襲の焼け跡に残った白い灰の山。本の燃え方にもいろいろあるらしく,中には活字だけ浮き出て読めそうなものもあったといいます。
本の題名こそ苦しみとなっていますが,岡崎さんの文章からは蔵書の楽しみと喜びが犇々と伝わってきます。何度でも熟読できるような本を一冊でも多く見つけていきたいと思いました。
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「読書の腕前」に引き続き読んでみましたけれども、面白かったですねぇ…自分は氏のように純文学マニアというわけではないので、氏の家宅で開かれたという古本市には行ってもアレですね、めぼしいものは無かった…みたいな反応をしてしまうでしょう…。
けれどもまあ、蔵書の苦しみというのはアレですね、僕なんかもブッ○オフでよく本を買っちゃうので割かし分かる気がするんですねぇ…ブックオフの100円コーナーは本当にもう麻薬みたいなものです…
↑けれども、さすがに本棚が凄いことになってきたので最近は行っていませんが…氏が言うようにアレですね、本などは何度も読み返すもののみを保存する! といった名目でもって買い揃えた方がいいですよねぇ…
床が底抜けて下の住人が死ぬ…みたいな惨事になる前にやはりアレもコレもと本を買うのはよした方がいいでしょうね!
↑こうした教訓を自らに課すことができる…これはそんな本でしたね! おしまい…。
ヽ(・ω・)/ズコー
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著者の来歴、というより蔵書形成(あまりに多すぎて本の山になる、床が抜ける。アパートの下の階の住人や大家から文句が出る)と、それらの処分歴(捨てるか売るか、残すかを逡巡しまくりなど)が面白すぎる。
著者が本書で紹介する方々のそれも大爆笑を生むこと請け合いだ(ただし、戦災・関東大震災等で蔵書を焼失した方は除く)。
そういう意味で、本好きなら絶対に頷くこと間違いなしの一書といえそう。
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著者の職業柄、本の氾濫は必然だろう。著者以外の著名人の蔵書の苦しみとその対処を引きながら、最終章ではその苦しみからの解放のための蔵書処分法へと展開するエッセイをニヤニヤしながら読了した。蔵書数には及ばないが、購入した書籍が自分の本棚から溢れ、息子の本棚へ進出し、そして床の上にも平積みされている様を見ると、自分も同類の末席にいるのだと思う。そして、私もまた電子書籍ではなく紙書籍派である。
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とにかく恐ろしい本です。本の重さで床が抜けてしまった話や、地震によって家のなかがカオス状態になった話など、これまで目を背けていたことに直面させられるわけですから、じっさいのところ、読んでいてこんなに怖い思いをした本はありません。
「ふつう、家を建てる場合、床の積載荷重(床に負荷がかかる重さの許容範囲)をだいたい一平米当たり百八十キログラム以内、と見積もります」「大雑把に四六判の単行本一冊の重量を四百グラムとして、コクヨのスチールの本棚五段に収納できるのが約二百冊。それだけで八十キログラム。前後に列に並べるとその倍。本棚そのものの重量が別にかかる」というくだりを目にした時には、ほんとうに冷や汗が出る思いがしました。
本書に登場する猛者たちにくらべるならば、私自身の蔵書量はまったくささやかなものにすぎませんが、そうはいってもやはり心配になってしまいます。これはもちろん蔵書家たちへの敬意を込めていうのですが、自分は絶対にここに書かれているひとたちのような羽目には陥らないようにしようと、心に誓いました。
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『部屋にいるとギギギギ、ギィーって音がするようになって、ある日本を紙袋ひとつ分買ってきて、仕事部屋にポンと置いた。その瞬間に、床が落ちた。』なんか人ごとでないような気がする。ウチは団地だけど、大丈夫かな?
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書評家の著者が自身や知り合い、著名人の蔵書に関する苦しみの数々を披露。
こんなに沢山本は持っていないけれど、同感する事が多くてニヤニヤしてしまいます。もと図書館員としては、図書館との関係にもニッコリしました。
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"本好きの悩み事、蔵書をどう取り扱うか?に挑んだのが本書。
本との格闘をいろいろな先人のつわものを訪ねて解き明かす。
理想の書棚への志望と憧れ。"
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本の処分は、スペースの問題だけでなく、自分に必要なものを見極めて新陳代謝をはかり、知的生産を滞りなく行うことにつながる。必要な本がすぐ手に届くところにあるのが理想。
著者は2011年春に2000冊処分したが。しかし、効果がなかったため、秋には古本屋に欲しい本を持って行ってもらった。西荻窪の音羽館に売った本は1200冊ほどで、40万円になった。
「退屈男」こと関田正史氏が自らに課したスローガン、蔵書を段ボールに入れないこと、背表紙を可視化することは、もっともだ。
作家の吉田健一は、書棚には500冊の本があれば十分というのが口癖だった。篠田一士は「読書の楽しみ」で、3度、4度と読み返すことができる本を1冊でも多く持っている人こそ、正しい意味での読書かであると書いている。
出版社の羽鳥書店社長が、往来堂に毎日のように通って買い続け増えすぎた蔵書を、古書ほうろうにバックアップしてもらい、一人古本市を催した。著者も3日間の一人古本市を催して3000冊近くを処分した。
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著者は主に書評や古本に関したコラムを書くライターである。
そして職業柄かなりの蔵書家でもある。
その数2万冊超、いやひょっとすると3万冊を超えているかもしれないという。
通常1万冊あれば1軒の古本屋が開けると言われているので、その数がいかに凄いかがよく分かる。
本が増え始めたのは、大学に入学して一人暮らしを始めてから。
以後引っ越すたびに数が増えていった。
理想の読書環境を手に入れたと思っていたはずが、本が氾濫し始め、足の踏み場もなくなってきた。
そして今では探している本が見つからず、あるはずの本をまた本屋で買いなおすという有様。
災害の域にまで達するような状態になってしまったのである。
まさに「蔵書の苦しみ」である。
その行きつく先がどういうことになるか、様々な例を引いて書いている。
まず木造アパートの二階に住んでいた人が、本の重さで床をぶち抜いた話。
同じような話として串田孫一や井上ひさしやマンガ家の米沢嘉博などの例を挙げる。
またこの本にも書かれているが、図書館でいっしょに借りた関川夏央の「文学はたとえば、こう読む」の中にも、これと似たような話として「本の山が崩れて遭難した人 草森紳一とその蔵書」があった。
草森の著書「随筆 本が崩れる」のなかに書かれているもので、3万冊以上の本で埋まった自宅マンションで風呂に入ろうと浴室に入った時、ドアの前に積んであった本の山が崩れてドアが開かなくなり閉じ込められてしまったという話である。
ひとり暮しをしていたため助けを呼ぶことも出来ない。
それをどうやって脱出したかが、詳しく書かれている。
笑うに笑えない話であるが、もうこうなれば事件である。災害である。
これは特殊な例かもしれないが、たとえば地震が起きて本棚が崩れ、その下敷きになることはあり得ることだ。
けっして珍しいことではない。
もちろんこの本なかでも、阪神大震災や東日本大震災の際に、蔵書がどうなったか、様々な蔵書家のケースをあげて書かれており、本棚がいかに地震に弱いか、そしてこうした異変の際には本は凶器と化すのだ、ということを書いている。
蔵書家は本に対する愛着は人一倍強い。
どの本も限られた小遣いのなかから、買おうかどうしようかと煩悶しながら、それでも「これはどうしても買っておこう」と決意したうえで手に入れたものばかりである。
「事情が許せば、買った本は全部そのまま残しておきたい。それが本音だ。」
「それでも、やっぱり本は売るべきなのである。スペースやお金の問題だけではない。その時点で、自分に何が必要か、どうしても必要な本かどうかを見極め、新陳代謝をはかる。それが自分を賢くする。蔵書は健全で賢明でなければならない。初版本や美術書など、コレクションとしていいものだけを集め、蔵書を純化させていくやり方もあるだろうが、ほとんどの場合、溜まり過ぎた本は、増えたことで知的生産としての流通が滞り、人間の身体で言えば、血の巡りが悪くなる。血液サラサラにするためにも、自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放せばいい」
そのような結論���至った著者の蔵書減らしの悪戦苦闘が、そこから始まるのである。
果たして理想の蔵書とは、どういったものか、そして貯まり続ける本の管理を世の蔵書家たちはどのようにしているのか、古今の蔵書家や読書家、身近な蔵書家など様々な事例のなかからそれを探ろうとする。
登場するのは、先の串田孫一や井上ひさしに加えて、谷沢永一、植草甚一、北川冬彦、坂崎重盛、福原麟太郎、中島河太郎、堀田善衛、永井荷風、吉田健一といった文学者たち。
加えて蔵書のために家を建てた人や、保管のためにトランクルームを借りた人など一般の人たちも数多く登場する。
また「明窓浄机(めいそうじょうき)」という言葉が出てくるが、これは宋時代の中国の学者・欧陽脩(おうようしゅう)の言葉で、明るい窓、清潔な部屋に机と本が1冊あり、そこで読み書きをするというもの。
究極の書斎であり、それを実現させたものに鴨長明の方丈記がある。
さらにもうひとつの明窓浄机として刑務所があり、その実例として荒畑寒村の例を挙げている。
こうした探索は映画に出てくる蔵書にも及ぶ。
「遥かなる山の呼び声」、「ジョゼと虎と魚たち」、「愛妻物語」といった映画の中に見られるささやかで個性的な蔵書、さらには「いつか読書する日」の本がぎっしり詰まった「本の家」。
そうした諸々の探索から導き出した結論は、「理想は500冊」というもの。
その根拠となったのが、「書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分」という吉田健一の言葉。
そして「その五百冊は、本当に必要な、血肉化した五百冊だった。」
しかし理想と現実は大違い。
2万冊を500冊に減らすのは、あまりにも至難の業。
理想通りに運ばないどころか、逆に大量の本を処分した同じ日に、またまた古本を買ってしまうという始末。
「バカだなあ、と自分でも思うが、この気持ち、わかってもらえる人にはわかってもらえるだろう。」と書く。
コレクター心理の複雑なところ。
「蔵書の苦しみ」とはいうものの、「本当のところは、よくわからない」のである。
苦しんでいるようであり、楽しんでいるようでもある。
結局「本が増え過ぎて困る」という悩みは、贅沢な悩み、色事における「のろ気」のようなものと結論する。
「自分で蒔いた種」「勝手にしてくれ」というしかないのである。
ましてや古本ライターを名乗る著者にとっては、こうした悩みはどこまで行ってもついて回る宿命のようなもの。
「たぶん、この先も苦しみながら生きていく」と自虐的にボヤキながら筆を置くことになるのである。
しかしそんなボヤキから生まれた本書の、何と面白いことか。
時間を忘れて楽しんだ。
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多すぎる本は知的生産の妨げ。自分の血肉と化した500冊があればいい。机のまわりに積んだ本こそ活きる。―2万冊超の本に苦しみ続けている著者が、格闘の果てに至った蔵書の理想とは?(アマゾン紹介文)
居住空間を圧迫してるんだから、そりゃ家族だけじゃなく、本人たちにとっても「苦しみ」という面はあろう。
だけれど、読んでいて違和感を覚える。どことなく楽しそうなのだ。つまりは著者の言う通り、「惚気」を読まされ知多からなんだろうな。
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本好きにとって、買い集めた蔵書をどのように保管処分するかは重要な問題である。 書評家の著者も、蔵書のあり方処分方法について、周りの人々や先人たちの事例を引きながら考察している。
話は14話にまとめられ、それぞれに簡単な教訓を得る。
蔵書の教訓
1 本は想像以上に重い。 2階に置きすぎると床が抜ける。
2 自分のその時点の鮮度を失った本は一度手放すべし。
3 古本屋さんに買取依頼して、どんな本がどれだけあるかを告げる
4 本棚は書斎を堕落させる。 必要な本が手に届くところに
5 ダンボールに貯める本は死滅。背表紙を可視化すべき。
6 本棚は地震に弱い。 危機管理をする。
7 蔵書はよく燃える。 火災に注意。
8 本は家に負担をかける。 新築の時は重さを計算。
9 トランクルームはすぐにいっぱいになる。
10 三度四度と読み返される本を一冊でも多く持っている人が真の読書家。
11 実生活とコレクターシップを両立させるためには規則正しい生活をすべし。 家族の理解も得られる。
12 紙の本を愛する人間は電子書籍に向かない。蔵書の苦しみは解決しない。
13 地味な純文学の作品は売ってしまっても図書館で再び出会える可能性が高い。閉架図書扱いをチェック。
14 蔵書処分の最終手段。 自宅での一人古本市がおすすめ。 うまく売るためのポイントは値段の付け方。
我が家にも、著者ほどではないが約4000冊の本があり、引っ越しの時に半分を処分したが、この本に出てくる愛書家たちの気持ちがよく分かる。 本に囲まれる幸せが崩壊して、我が家の一部を失ったような感じがした。
この本にはいろいろ考えさせられることも多くて大変面白かった。