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紙の本
家族の状景からひとりの深みへ
2011/05/25 23:54
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
とりあえずの読後感は、一冊の短編集を読んだよう。たっぷりの重量感と濃密さに満足する。なにより端的におもしろいのだ。それぞれの物語に通じるモチーフは表題通り家族――妻とふたりの小さい娘、それに両親と近所の人だ。その人たちがくり返し、少しずつ重なり、時間をずらしつつ登場する。
でも当然のことに、これは私小説ではなく、1編ごとにひとつの世界を構築した27編の詩からなる一つらなりの詩集だ。
ではなぜひとつの物語を読んだような気持ちになったのか、考えてみた。ひとつには、わたしが詩的な人間でないからなのだが、それより思い当たるのは、著者がたしかどこかで言っていた「詩で書けないことはなにひとつない」ということだ。「このテーマは小説でなければ表現できない、詩では書ききれない、というものはない」という著者の言葉を覚えている(まちがっていたらごめんなさい)。著者は自分の生活と家族を題材にして、自分の表したいことを詩のかたちで書いたのだ、詩人だから。わたしはそれを、わたしなりにだが、受けとった、そういうことだと思う。
それにしても、本の帯に「子育て詩集」とあるのはどうしたことだろうか(もちろん著者の責任ではない)。わたしはそうは読まなかった。
「カントを読んでいると
三歳になった娘がやって来て
「あそぼう」と言う」
「パパはお仕事――
と言って本に目をもどすと
「どうして?」と問う」
(略)
この箇所だけ読めば「子育て詩集」と言えるかも知れないが、この詩の題は「他者」というのだ。
娘たちを書く「平易な言葉」(これも帯にある)は、平易で平和なまま深層に達する。人が生きていれば必ず見る、闇と言ってしまってはまちがいだろうが、深み。家族を愛することのすぐ隣に確実にある、一人の思い、孤独。この本にある全ての家族の詩は、1編ずつ、平易と平和の世界から深淵まで降りていく。
たとえば「罪と罰」という詩。
「朝ごとに
わが家のまえに
黒い塊が落ちている
ぷよぷよとした豚のレバーのようなその塊を
夜明けまえに捨てにゆく
細い橋を渡って
王地山のふもとまで」
(略)
塊は日ごとに大きくなり、やがて妻とふたりで捨てにゆくようになる。
「まもなく私たちは
リヤカーを必要とするだろう
やがて子どもたちもそれを押すだろう
細い橋を渡って
王地山のふもとまで
黒い染みが点々と
私たちの軌跡を刻むだろう」
またたとえば表題作「家族の午後」では、公園で上の娘と右左をあてる遊びをしていて、
(略)
「「パパ、うしろを向いてて……さあ、どっち?」
右の木を覗いても、左の木を覗いても娘はいない
うえの娘がいなくなった!」
「すると川に小舟がやって来て
したの娘と妻を載せて
そのまま河口へと旅立った」
「優しい陽が照りつける
さびしい午後
やがて私もいなくなる」
はじめに読後感の満足と書いたが、怖ろしさを含んだ満足と言い直したい。
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