投稿元:
レビューを見る
へえ〜、マルクスを誤解(=誤理解)していたなぁ、と思うことと、何かを分析し理解しようとすることそのものの意味を誤解(=理解不足)していたなぁ、というのが感想。
一番驚いたのは、共産主義社会という理想像があり、そこを目指すのが革命ではない、という指摘。
確かに、マルクスは「空想的社会主義」とは異なる「科学的社会主義」と言っていたんだった。
「つまり共産主義は、理想の国(ユートピア)の手前勝手な設計図から生まれるものではなく、資本主義がもつ問題をひとつひとつ解決していったその先に、結果として形をさだめるものとなる」(p.179)
著者の一人が内田樹氏なので、正統なマルクス研究者は眉をひそめるかもしれないけど、以下のくだりは一顧に値すると思う。
(引用者注:共著者の石川氏と必ずしも同じ意見ではない、と述べて)「ぼくはここまで書いてきてわかったんですけれど、ぼくたちは若い人に『政治について礼儀正しく語る』という、今の日本ではたぶん誰も推奨していないことのたいせつさを知ってほしいと思って書いているんじゃないですかね。対話におけるディセンシー(礼儀正しさ)はしばしばそこで交わされている意見の当否や命題の真偽よりも重要である、と。」(p.142)
投稿元:
レビューを見る
内田先生とマルクス経済学者の石川先生の対談。帯にある「マルクスを読むと、頭がよくなる」というキャッチコピーは内田先生らしい、人目を引くセンセーショナルでかつわかりやすい物言いだと思う。内容的には石川先生の部分はかなり噛み砕いてくれてるんだろうけど、どうにも学術的で堅苦しい印象を受けるから、余計に内田先生の言葉が頭に入ってくる。やっぱり、全く知らない人に知らないことをわからせる、そしておもしろがらせる文章をかける人は稀有なんだな〜と思わずにはいられない。
投稿元:
レビューを見る
内田氏と石川氏のメール対談形式でマルクスの著作を読み解く内容になっている。
社会科学のリテラシーを磨くためにもマルクスは読もうと思い、手始めに本書を読んだのであるが、御二方が自由に書きまくっているせいか、本筋がわからず、全体としてうまく捉えることができない。それほど、難しい内容であるマルクスだけれど、本書の主旨から言えば、わかりづらいの一言になってしまうだろう。
内容的に、原書を読まなければわからないと思われるので、別の副読本とともに読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
石川康宏先生の書簡部分は、正直内容が難しかったのですが、難しいなりに読み飛ばしながら(すみません)読み切りました。
でも、難しいと諦めずに最後まで読めてよかったです。
内田樹先生の部分は、読みやすかったです。
マルクスってすごいなーと漠然と感じ、
マルクスの言葉の力にカリスマ性を感じました。
マルクスかっこいい。
という、カジュアルな気持ちでマルクスに触れることができてよかったです。
投稿元:
レビューを見る
対談形式ではなく往復書簡。すらすら読めるような本ではありません。
とはいえ、「マルクスを読むと、頭がよくなる」という感覚は読んでいくと少し分かります。
共産主義は失敗したものだから読んでも仕方ない、なんていう考えは本当に勿体ない。難しいことは分からなくても、元気が湧く本でした。
まえがきと『共産党宣言』くらいまで読んでマルクスの情熱と知性に引き込まれたら、実際のテキストをパラパラ見ながら石川先生のパートを読んでみるのがいいかもしれません。内田先生のパートはいつも通りなので、さきに全部ざっと読んでしまうのも手。
投稿元:
レビューを見る
最近(2014年の暮れ)本屋で「マルクス」や「資本論」という言葉がタイトルにつく本が増えている。
世界中の人が資本主義に対してうっすらと違和感を持ち始めているからだろうか。トマ・ピケティの「21世紀の資本論」が世界的に売れているらしいが、これも経済格差について論じている。
社会主義とか共産主義というのは歴史上、成功している例がないためにネガティブな印象を持ちがちだが、対義語である資本主義が必ずしも正義かというとそれは盲目的すぎる。
内田樹さんと石川康宏さんの往復書簡という形で交互に書かれている。
正直言って石川さんのほうはちょっと固くて難しい。(正確な説明なのだろうと思うが)
一方内田さんのほうは軽くて読みやすい。(薄っぺらいのかも知れないが)
青年期マルクスの代表作を取り上げている本作。若いエネルギーと、世界を変えなければいけないという使命感をひしひしと感じる。
取り上げられている著作
『共産党宣言』
『ユダヤ人問題によせて』
『ヘーゲル法哲学批判序説』
『経済学・哲学草稿』
『ドイツ・イデオロギー』
自分もマルクスについて誰かと語らえるくらいになりたい・・・と思いました。というのが現時点での感想。
続編も文庫化された時にもう一度読み返してみようと思う。
—
memo:
44
「共産主義者は、これまでの一切の社会秩序を強力的に顚覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。(中略)万国のプロレタリア団結せよ!」※『共産党宣言』より
79
反ユダヤ的な感情はヨーロッパ世界においてはごく自然なものでした。それは、キリスト教がユダヤ教から「分派」した宗教として登場してきたから当然のことです。(中略)彼らがもともと足していた「母体」が腐りきっていて、使い物にならないものであることを主張しなければなりません。
179
つまり共産主義は、理想の国(ユートピア)の手前勝手な設計図から生まれるものではなく、資本主義がもつ問題をひとつひとつ解決していったその先に、結果として形をさだめるものとなる
202
「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである。」
211
「かれらがなんであるかは、かれらの生産と、すなわちかれらがなにを生産し、またいかに生産するかということと一致する」※『新訳 ドイツ・イデオロギー』より
『ドイツ・イデオロギー』史的唯物論を「ひとこと」で言えば、これに尽くされる。
投稿元:
レビューを見る
内田樹先生が冒頭で「哲学することで客観的な利益を得ることは思想の副産物でしかなく、哲学の醍醐味は彼らの思考を知ることそのものの楽しさ」というような内容を言ってくれる。本書を購入したのは、その一言に感化されたからと言っても過言ではない。
私はもうマルクスの著作からその原文まで読んでいるが、それでも内田先生や石川先生の解釈や談話には知的好奇心を刺激された。勉強のやる気がでないときにまた読もうと思う。
投稿元:
レビューを見る
フランス文学研究者で思想家の内田樹と、マルクスの思想に造詣の深い石川康宏の2人が、それぞれの思うマルクスのおもしろさについて語り合った往復書簡形式の本です。取り上げられているのは、『共産党宣言』『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』で、『資本論』などは続巻で扱われるとのこと。
まずは石川が、それぞれの著作の内容にある程度即した形で解説をおこない、次に内田が大胆におもしろいところを語るという構成になっています。ただ、マルクスの思想そのものよりも、現実の問題に向き合った思想家マルクスその人のおもしろさが前面に押し出されているような印象があり、マルクスの思想の入門書としては、あまり親切とは言えないように思います。
投稿元:
レビューを見る
共産主義が敗北したかにみえる現代に、マルクスを読む意義とは何か?それは彼が残した主張やその結果にあるのではなく。マルクスという天才が世界をどのように観てどのように発想したのか、というプロセスを知ることにあるという。世界中を熱狂させ、歴史の中で大きな影響力を持った彼の思想がどのような思考回路から生まれたのかを知ることこそが、答えのない現代を生きるための武器となることを、この二人の著者は心から信じている。10代、20代で読むべだった。答えが出てしまう前に…(それは危険な毒だったかもしれないが)。
投稿元:
レビューを見る
20代のマルクスが残した書物を、内田樹と石川康宏が往復書簡の形で読み解く本。
石川氏による専門家ならではのしっかりとした解説と、内田氏による極限まで噛み砕いた説明のバランスが良く、知識がなくても読んでいて楽しめた。
「AがBであるのではなく、BがAなのだ」(内田氏書簡、p.218)という修辞に代表されるように、既存の枠組みそのものを問い直すマルクスの姿勢はとても魅力的だと思ったし、読んでみたくなった。古典的なテキストを読むことの醍醐味を感じることができる本。
投稿元:
レビューを見る
小説ではない本が久しぶり。
マルクスは読んだことない。
今年65の親父の時代はケインズが主流で、マルクスはやらなかったって。
そんなマルクス。
全然基礎知識なし。
共産主義の源流ってくらい。
でも、この本はそうじゃない現状の問題点に向き合い、自分の頭で考えた人の話。
流されて日々を送っている自分は背筋が伸びる思いがした。
投稿元:
レビューを見る
誰の思想でも年月の経過による変遷があるのは当然で、それはわかってはいる。しかし、門外漢がマルクスの思想を理解しようとすると、どうしても様々な時代に展開された考え方をひっくるめて「これがマルクスの思想です」と言えるようなものを求めてしまい、結局よくわからなくなってしまう。その点、この本はマルクスの著作を年代順にとっつきやすく紹介していてくれるので、ありがたい。石川の強烈なマルクス愛にややひきそうになるが、そこに挟まれる内田の文章がよい箸休めとなって、最後までおもしろく読める。ちなみに、高校生が読めるような本にした、とのことだが、普通の高校生には無理な気がする。
投稿元:
レビューを見る
後半にかけて内容が難しくなっているように感じ、ちゃんと読めていないのでもう一回読みたい。前書きから伝わってくる2人のマルクス愛が、この本の中で正直いちばん印象に残っている。笑
投稿元:
レビューを見る
久々に内田先生の本。
まあ読みものとしてはいいのではないだろうか。マルクスくらい読んでおかないと....
投稿元:
レビューを見る
自然にあるものはすべての人にとって平等に出現する。でも、「額縁の内側のもの」はそうではない。それは平等には与えられない。額縁の中で示された物語をどう受肉するかという仕事は個人の責任で果たさなければならない。額縁というのは、「そこの中にあるものについては、一人一人が違う意味を汲み出しなさい」というメッセージの解釈についての指示のこと。額縁をどこにつけるのか、何を額縁で囲むのか、ということは、思いがけなく大切な仕事。
人間が何者であるかは、その人が「何であるか」という本質的な条件によってではなく、「なにを生産し、いかに生産するか」によって決定される。
自分のことを善良で有徳な人間であると思いこんでいる人の方がむしろ卑劣な行為や利己的な行為をすることをためらわない。
マルクスのイデオロギー批判というのは、「人間たちが語ること、想像すること、表象すること」の適切性は、「現実に活動する人間たち」に即して、「彼らの現実的な生活過程の側から」検証されなければならないという考え方のこと。
脳がどれほどすばらしいことを考えても、身体の方は脳についえいけない。「生身が許すうちで最良のこと」を選び出して、「やれるところから、ぼちぼちと」と。
「共産主義社会では、各人はそれだけに固定されたどんな活動範囲ももたず、どこでもすきな部門で、自分の腕をみがくことができるのであって、社会が生産全般を統制しているのである。だからこそ、私はしたいと思うままに、今日はこれ、明日はあれをし、朝に狩猟を、昼に魚取りを、昨夜に家畜の世話をし、夕食後に批判をすることが可能になり、しかも、決して漁師、漁夫、牧夫、批判家にならなくてよいのである。」分業によって人間が、「ある特定の範囲だけにとどまること」を強いられ、特定の職業に縛り付けられるおき、その労働は「かれにとって疎遠な、対抗的な力」となる。マルクスはそのような言葉づかいで分業を批判した。