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装画:長瀬典子
装丁:泉沢光雄
“「ほんとうの存在とは何か」を求めて繰り広げられる、傑作サスペンス・ファンタジー”
長野さんのおはなしはいつも、生と死、そしてアイデンティティの問題を描いていると云って良いと思います。
それを、少年や近未来、小宇宙的象徴を使って描き出そうとしているように思います。
(文庫版)
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面白かったー!なんでこう、長野さんの書く少年たちは可愛いかな!百合彦も野茨も葡萄丸もみーんなかわいい!!!話の方は、誰が誰だか分からない怖さがあった。
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物だけではなく、人物までレプリカとして作ってしまう世界。自分のレプリカが自分の知らない所で活動してたらどうしますか?結局、誰が本物だったのか・・・?
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こういうおもちゃ箱やら岩石標本やらを一緒くたにひっくり返したみたいな世界観が好きでたまらない。模造だと分かっていても息を止めたまま見入ってしまいたくなる極彩色のそれ。
長野作品の魅力の一端とは即ち、彼女の持つ「少年」という種族に対する美学。未分化で人間的な生身の体を持たない者たちへの無上の愛であり憧憬であり賛美は、長野少年たちに与えられた名前に具象化されているように思われる。彼らの名前リストとかあったら一日眺めていたいくらいだ。今作の『葡萄丸』は大ヒットだった。素敵過ぎる。
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この人、最初の導入間違えると、印象かなり変わってくる。私は処女作の『少年アリス』から入ったが、近年の著書から読んだ人は、どういった感想を持っているんだろう。
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ミステリーにすっかり慣れた私には新鮮な内容でした。最後は「えっ!?」って感じだったけど、このおもちゃみたい(無機質な感じ)な世界にはアリなのかも・・・。
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レプリカたちで溢れたら、と思うと興味深いような怖いような。葡萄丸の目は持っていたい。百合彦のように、大切な人を見付けられないのはひどく恐ろしいことだ。
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行方不明の野茨を探して、百合彦と葡萄丸は「仔犬座サーカス団」を訪ねた。そこには野茨そっくりの少年はいたが…。近未来世界を舞台に、“ほんとうの存在とは何か”を求めてくり広げられる、傑作サスペンス・ファンタジー。
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結構お気に入りのお話です。話が面白い。
レプリカ。本人そっくりの存在。ほんものかレプリカか。
自分のことをレプリカと言い出す野茨が不安な百合彦。
ほんものとレプリカを見分けられない百合彦が不安な野茨。
葡萄丸にははっきりと見分けられるのに、百合彦はわからない。
ぼくには誰もいないという葡萄丸。
少年たちのいろいろな想いが交差するのが好きです。
不可解な終わり方をする話が多い長野まゆみですが、
この話の終わり方は結構おもしろくてお気に入りです。
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彼がホンモノかレプリカかというのは、それほど問題ぢゃないんだ。ぼくが気にしてるのは、野茨自身の意識はどこに属しているのかということなんだよ。極端にいえば、姿かたちはどんなに変わってもいい。
(P.155)
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設定は近未来っぽいのにそれでも漂うレトロ感。言葉の選び方によるものなのだろうけどやっぱり好きなんだなあ。
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少年たちのいろいろな想いが交差するのが好きです。
http://feelingbooks.blog56.fc2.com/blog-entry-110.html
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内容(「BOOK」データベースより)
行方不明の野茨を探して、
百合彦と葡萄丸は「仔犬座サーカス団」を訪ねた。
そこには野茨そっくりの少年はいたが…。
近未来世界を舞台に、
“ほんとうの存在とは何か”を求めてくり広げられる、
傑作サスペンス・ファンタジー。
*☆*――*☆*――*☆*
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誰が本物で、誰がレプリカか。
誰もが本物であって、誰もがレプリカなんだ。
本物とレプリカは必要なのか。
なにを考えどう生きるかが大切であって、本物もレプリカもないんだ。
そんなことを考えながら読みました。
煽りにはサスペンスとありますが、私には穏やかな時間が流れているように思えます。サスペンス特有の切迫感はありませんでした。
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どれが本物でどれが偽者…?目の前にいる人物や事実を今の時点で信頼するかどうか、ということがたぶん重要なんだろうけど。自分の存在が危うくなるようで収拾つかなくなるようで…あ、なんかもやっとする。正解を教えてください(泣)(というか、発売時点で入手しておいて、今まで本棚にあったのに実は一度も読んでなかった事実が自分で怖い)