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史上に名高い「騎馬民族征服王朝説」を唱えた本。もうこれだけで歴史に残る名著だ。この説自体は現代では否定されているが、日本の歴史とアジアの歴史を密接にリンクさせて考察するというスタイルは常識となっており、そういった意味では先駆的な考え。チマチマとした狭い視点での学説より、こういった壮大な学説は読んでいて気持ちが良い。
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高校時代、世界史の先生から紹介されて読み、日本の古代史を世界的な視野で捉えることにロマンを感じ、考古学を志すきっかけになった。結局、文学部には行ったものの考古学は専攻しなかったけど。
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騎馬民族説として広く知られている著者の考えがコンパクトに提示されている本です。
著者は、弥生文化と古墳文化のあいだに断絶があり、これは東北アジアの騎馬民族が朝鮮半島を経由して日本に征服王朝を築いたために起こったと主張します。本書では、スキタイや匈奴、突厥、鮮卑などの騎馬民族国家の歴史と文化の概観をおこなったうえで、日本に目を移し、大和朝廷と古墳文化に共通点をさぐっています。
本書で語られている騎馬民族説は、佐原眞などの研究者によって批判されており、アカデミズムでは認められていませんが、梅棹忠夫の「文明の生態史観」と同様、戦後の歴史学・人類学においてこのような説が提出された思想史的な意味にかんしては、考えるべき興味深い問題がひそんでいるように思います。
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現代では否定されている「騎馬民族征服王朝説」の筆頭本。
日本民族の起源は、騎馬民族であるとしていて、弥生文化のあと、東北アジアの騎馬民族が朝鮮半島を経由して日本に征服王朝を築いたとしている。
征服というと一方的なものに感じるが、実際に読むと徐々に支配浸透していったことがわかる。
前期古墳時代と後期古墳時代とに文化・特徴の根本的相違がみとめられることを考察したうえで、自然な推移を認めがたく急である。
馬牛の少なかった日本が、後期古墳文化の時代になって、急に多数の馬匹を飼養するようになった。ウマだけが渡来してくる可能性は極めて低く、騎馬を常習とした民族が馬を伴って多くの人間が、大陸から日本に渡来したと考えなければ不自然なことであるとしている。
日ユ同祖論と同じく、当たり前におそわった歴史を疑う教養であり、ロマンと言える。
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中公新書
江上波夫 「 騎馬民族国家」
騎馬民族日本征服論という試論を展開した本。天孫族を夫余系騎馬民族とし、加羅(任那)を拠点に、北九州(筑紫)や畿内を占領し、大和に入って 土着豪族と大和朝廷を樹立したという説。
日本民族の一つであるツングース族を想定し、ツングース族が 任那から筑紫、畿内、大和に入り、ヤマト王権を作ったということだと思う。
騎馬民族日本征服論には驚かないが、最初の日本民族を弥生時代人として、縄文時代人を 日本民族から外している点は驚いた。少し狭すぎるように思う
この説でいくと、ヤマト王権が主体的に中国圏の文化を輸入したのでなく、騎馬民族が征服事業の中で 日本列島に自文化を普及させたということになる。騎馬民族には 掠奪と不定住のイメージしかないが、未開の日本のために、定住し文化を育成してくれるだろうか
「ほんとうの意味で 日本の天皇となったのは、大和朝廷が朝鮮半島から完全に絶縁した天智天皇以後」
記紀の神武東征との考察から日本国家の実現は2段階で行われたものとした
1. 崇神天皇を代表とする天孫族が、任那から北九州(筑紫)に侵入
2. 応神天皇らが 北九州から畿内へ進出
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東北アジアの騎馬民族が日本を征服し、大和朝廷を立てたというトンデモ理論。
傍証ばかりで、肝心の征服についての論証がないのと、「日本の歴史は騎馬民族型だから、日本民族は騎馬民族」のような民族観自体に疑問を感じる。
いろいろな人から批判されているが、小説にすればよかったのでは。