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「今は大変な時代だから…」って毎日のように言ってる気がするな。でも昔だって大変だったわけだし、どの時代だって大変なんだ。今が大変だと思うとラクなんだよね。特に震災後は、国民が一致団結して復興支援みたいな風潮が強いけれど、一歩引いて社会を見ていきたい。
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内容はまさにタイトル通りの本。
最近追い詰められて、神経過敏になっている社会や日本人や私のような人には、肩の力が抜けてしっくりくるものだ。
全9章あるタイトル、例えば「第5章 子供の名前を自由に付けてはいけない」や「第6章 無縁社会はみんなの努力の結果である」というのは本当に納得できる。科学に対する批判はパラダイム論とも違い、「正義を放棄してみよう」という程度の意見だとも思う。
日本の政治や外交が2流だとも3流だともいうのは、政治家個人の素質に依拠するのではなく、日本人の政治と外交の意識が2流であり3流である証左なのだけど、そうえいば、外交1流国というのは結局人情が死滅した世界に住んでいる国だなとも思う。
私たち日本人はこの列島に住んでから、ずっと大変な時代に住んでいる。そしてこれからもずっと大変な時代を過ごす。
ぼちぼちやるしかないな。
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今をどうしても切り取れないもどかしさを感じます。この今にいる私たちには今を語れないのでしょうか?今を生きているとしか言いようがないのでしょうか?
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何でも調べるフリーライターの「日本人論」
http://www.amazon.co.jp/review/R1UPTRFEVVI9UW/ref=cm_cr_rdp_perm
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「ずんずん調査」から「落語」へ、そして「教養」モノと堀井憲一郎の作風も、ある意味堕落(!?)したなあというのが率直な感想。落語までは本人の好きな物を書いていたのであろうが、ホリイ本はそこそこ売れるもんだからきっと編集者が騙してこうしたお手軽本を書かせた、というが実際の話しなのかも知れないけど、ホリイの真髄たる「ずんずん調査」物が読みたい!
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常に、今が「大変な時代」だと思いたがっている(ように見える)世の中の空気について考える本。1つ言えるのは、死を意識しない人ほど、「生きるのは大変だ」と考えがち、ということ。いつも死と隣り合わせで生きている人は、決して「大変だ」などと意識しない。大変なのは当たり前だから。今の時代は、閉塞感こそ漂っているものの、客観的に見れば決して「大変な時代」とは言えない(それどころか、有史以来、もっとも「大変でない時代」ですらある)。もっとも、「大変だ」と考える人は、決して過去と比較しているわけではなく、漠然とした主観でそう思っているだけなのだけど。まあ、多くの人が「今は大変な時代だ(から頑張ろう)」思うことが、社会の発展を推進するエンジンになるのであろう。…というようなことが淡々と書かれていて面白かった。多くの面で私の価値観と合っていたかな。
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「今は大変な時代だ」というのは、人である限り、普通に考えることだ。
東北で大地震があったから、原発事故があったから、ではない。
それとは無関係に人はいつだって、いまは大変な時代だと答えてしまう。
なぜならこれは、「自分が特別だ」「選ばれた」と思いたい自己愛の発露であるから。
しかし頭の奥底では、「そうとも言えないぞ」という視点、内なる他者性ももっておいたほうがいい。
いろいろ便利だし、時にはラクだし、ほんとに大変な時にはそれがまた有効な考えである、ということに気づかせてくれる本である。
「今は大変な時代だ」とはペテン師の常套句でもあるのだよ。
以下目次
第1章 歴史は繰り返し美しく歪められる
第2章 科学とはただの妄想かもしれない
第3章 19世紀的ハイテンション気分の果て
第4章 個性の尊重で世界はどんどん歪んでいく
第5章 子供の名前を自由に付けてはいけない
第6章 無縁社会はみんなの努力の結果である
第7章 政府も東電も「他者」ではない
第8章 だから、いつだってふつうの時代
終章 ほんとに大変なときのために
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著者みたいにこんなふうに、世間を醒めた目で見ていたい。確かにいつだて「大変だ」「大変だ」って、先走っていたような気がするなぁ。いつだって「世の中は不景気」だったし「未曽有の事態」だったし「正念場」を迎えていた気がする。そんなことないんだよね。と、大震災後に熱の上がった頭に水をかけてくれた。
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よく使われる「~が今ほど重要な時代はありません。」って言葉に違和感を感じていた。このもやっとした感覚を明快な言葉で整理して解決してくれる。腑に落ちる解釈がちりばめられていて嬉しかったな。
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いつだって大変な時代なのだ。
事後に大変だと塗り替えられることもあれば、突き詰めていくと実はぜんぜん違うものがみえることもある。
著者は、あれ?と思ったことをなぜ?に置き換えて、思索を続けるているのだろう。
梅雨入り宣言なんて大きなお世話だし、歴史的な転換点など当事者にはわからない。
いつのまにやら個人が尊重されていると錯覚してしまったことで世の中がねじれちゃった。
無縁社会を嘆くのはナンセンスでそれは団塊の世代が望んだことじゃないのか。それをいまさら大変だとは。
社会で起きていることへの人々のカンチガイを指摘する。
とはいえ、東日本大震災のときにツイッターは役に立ったかというくだりは、明らかに甘い。
ツイッターは生存確認で役に立っただけではなく、帰宅難民の情報収集にとても機能したのである。
ほかにも、若干、思考が浅いところがあるのがやや難。
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「いまは大変な時代だから」は、いつの時代にも言われていたこと。だから「いつだって大変な時代」。
気象予報・少子化・無縁社会・子どもに付ける変な名前など、ある意味達観した諦念と独自の歴史感で鋭く突っ込んでいく。
カンケーないけど、最近の本は震災以前に書いた内容を、震災を材料に論拠を補強するパターンが多い。
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ものの見方はさまざまであるということ。改めて感じさせられた。
「第六章 無縁社会はみんなの努力の結果である」
だけでも読んで欲しい。
血縁・地縁など、さまざまな縁から自由になるために、われわれは無縁社会を選んだのではないか?
結びつきというものが、一義的にいいもののように語られているが、それはわれわれが重荷として切り捨ててきたものではなかったか?
その結果、本当に「さびしい」だけの人生を送ってきたのだろうか?
どちらがいいというのではなく、両方、またはさまざまな視点で見ることが大切。
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今の日本の社会のシステムの中でのもやもやしているものをこんな風にもやもやしていますと教えてくれている本。人の考え方のベースになる部分、当たり前の部分の考え方を揺さぶってくれる本です。
読後のもやもや感は今も晴れませんが、物事ちょっと深く考えてみようと思わせてくれました。
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今が特別に大変ではないという意見は良く理解できた。面白いといえば面白いが、筆者が考えないようにしていることに関しては自分なりに考えていることもあり、人それぞれだと改めて感じ方、考え方の違いが見えて興味深い。
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最初にタイトルから受けた印象とはかなり違う本だった。
「いつだって大変な時代」という、さも当たり前な共通認識を疑ってみる。
そしてそこから派生する自己愛だったり身体性の無い情報だったり、世界は発展し続けるという幻想だったりと、いろいろな観点から切り込んでくる。
ハッとさせられる良書だった。