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タイトルの通り,論文が捏造された事件を追ったノンフィクションです.
捏造は超伝導の開発に関する研究で起きました.
超伝導とは電気抵抗がほぼゼロになるという夢の様な現象で,砂漠地帯に広大な太陽光発電などを作れば,超伝導の技術で世界中にロスなく電気を送れるのです.その砂漠地帯は潤い,世界の電力は非常に安価になるでしょう.
問題は,超伝導はマイナス269℃というとてつもない条件で発見されたことにあります.世界中の研究者がその温度を上げるのに取り組んだのは想像に堅くなく,その一連の研究の中で「捏造」は起こりました.
具体的にいうと,捏造を犯したシェーンというドイツ人科学者の開発した,画期的な方法が技術的にとても難しく,同じようにやっても誰も成功しなかったのです.世界中の技術者が多大な費用と時間とエネルギーを使い,その実験に取り組みました.しかしその工程が実際には不可能であり,成功したといって理論値からデータを作り出していたのでした.
この本のポイントは,なぜ捏造が発覚するのにこれほどの長い期間がかかってしまったのか?という点にあります.
同じ研究者から見て,追試実験がうまくいかないとき,「自分の技術や方法が間違っているのではないか?」と疑う気持ちは痛いほどわかります.
「…たかだか数カ月程度では自分のやっていることに確信を持てるようにはならないと思います」と専門家の話が引用されています.
そしてその専門家が「鼻薬」と呼んでいるような,常識的にはできないことにちょっとしたことでできるようになる最後のひと工夫を,シェーンは知っていたのだろうと,皆思ってしまったのです.シェーンはとても優秀で,「実験の限界を超えた」のだと信じたのです.
さらにシェーンの所属していた「ベル研究所」が,世界で最も有名な施設であったことと,最高の科学者の一人であるバトログという科学者が参加していたことが,その論文の信ぴょう性を保証していました.
もう一つ,「確証バイアス」という言葉がありますが,ひとたび相手の言うことを信じこんでしまうと,矛盾や疑問が出てきても,こちらで理屈を作り正当化するようになるというものです.
一方で,多くの捏造論文を載せた「ネイチャー」や「サイエンス」はどういう態度をとったでしょうか.
どちらも同じような対応でしたが,かれらのような科学ジャーナルには,「そもそも捏造を確認するようなことはできず,責任の範囲ではない」と断言します.
つまり,不正のチェックはしていないのです.
そして「これらのジャーナルに掲載されている論文が100%正しいと信じてはいけない.あくまでも問題の部分的な解釈を提示するものであり,いろいろな解釈が可能である」とも言います.
そうでであれば何を審査しているのでしょうか?
それに対しての回答は,「審査の目的は間違った論文を載せないために,著者のミスによる可能性に気づくことです.言ってみれば品質管理です.」
いやここまででも,数多くの気付きに満ちた内容です.
またシェーンのボスであるバトログは事件後のインタビューに答えて言います.
「科学者がベル研究所に来るということは,すでに教育を終えているのであって,もはや1人の独立した科学者なのです.」
う〜ん,自分に甘えがあるのか,共同研究における「責任」とはそういうものなのか?
私の持っているイメージでは,ボスは全体の進行具合や結果を鑑みて,指導や助言,提案などで全体の進行,成長を促す存在なのですが,根本的に間違っているのでしょうか?
今回は特殊なケースで,しかも責任がかからないための発言でしょうから,こういった話になるのだ,と信じたいです.
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世紀の変わり目に起きた,一人の若手研究者による大規模な捏造事件を追ったドキュメンタリー。この事件は解決までに3年を要した。なぜこんなに時間がかかったのか。どうすれば捏造は防げるのか?
エピローグでは執筆の動機について書いてある。急速に変化する世界の中で,科学は,あるいは我々はどのように「わからなさ」に対処すればよいのか。この本の内容は科学界だけにとどまるものではない。
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物理学の世界、それもベル研を舞台にした一大捏造事件の顛末を丁寧に追ったルポタージュ。著者とそのチームの仕事には敬意を払います。物理学に遅れること数年で、自分の専門界隈でも捏造がらみで色々起きていて、そのパターンの一致にもめまいを覚えたりもします(スーパー測定器とか天才的な実験屋とか)。でも、でもなー的なところも。
なんかね。捏造が発覚するまでに数年もかかった!科学界はどうなってるんだ!時代の変化に科学のシステムが追いついてないんじゃないか!的なことで盛り上がってるんですが。でもね、警察組織も司法組織も持たない科学社会が、それこそ真実を追求するというその姿勢だけで捏造を数年で明らかにしたわけですよ。それは、科学という方法論がきちんと機能していることを示しているんじゃないですかね?「数年もかかった」っていうけど、どんな発見だって「事実」として確立されるにはそれくらい時間かかるでしょ、科学の世界では。「世間はそうは思ってない」って言うなら、そういう科学のありようを伝えてきてないジャーナリスト様たちの責任はどうなの?そもそもジャーナリズムの世界はそんなに公正明大にやってるの?君たちの領域では怪しい報道について事前チェック機能が万全に働いていているの?闇に葬られた問題は数年以内に業界の良心で暴かれているの?とかいろいろ。
しかしこういう自分の感想って、結局は自分のアイデンティティが攻撃されたことへの反発に過ぎないなーということも分かっております。ただなー、それが「科学」というやり方がヌルいからだって批判されると、いやそれは違うんじゃないかと言いたくなる気持ちがね、どうしても。
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12年前に発覚した,科学史上最大の捏造事件。その経緯と背景,科学の抱える課題について,綿密な取材に基づいて描き出した好著。
現在日本を騒がせている事件との共通点の多さに改めて驚く。若き研究者,権威ある科学者との共著,有名研究所,メディアへの露出,再現実験の不首尾,同業者からの告発,図の使い回し,「単純なミス」との弁解,インパクト重視の学術雑誌の問題,熾烈な研究資金獲得競争,行き過ぎた成果主義…。違っているのは,分野が捏造の起きにくい物理系(超電導)であったこと,三年の長きにわたって発覚しなかったこと,その間ヘンドリク・シェーンは『ネイチャー』と『サイエンス』に計16本もの論文を載せていること,それと,弁護士なんかは登場しなかったこと,くらいだろうか。
12年も経って,なぜ教訓が活かされなかったのか。幸い今回は発覚が早かったが,それはあくまでもネットにおける匿名研究者たちによる検証が功を奏した恰好と思われる。もっと未然に防ぐ方法もあったのではないだろうか。今度の騒動が落ち着いた頃,本書やそのもとになった番組のような形で今一度総括があることを,一国民として期待している。
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STAP細胞が話題になっていたから読んでみたけど非常におもしろかった
また、今回の小保方騒動と類似している点も多く見られたように思う
組織としての問題
大学の教育体制
悪意の有無
再現性
などなど、今回の騒動を考える上で重要な要素が多く含まれているのでSTAP細胞について興味を持っている人にはぜひ読んでほしい
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有名科学誌に掲載された、それまでの常識を覆すような「コロンブスの卵」的大発見が世間を驚かす。
舞台はかつては「科学者の楽園」と呼ばれた名門研究所。
登場人物は、それまで目立った実績のない若手研究者、野心満々の共同研究者、一発逆転を目論む研究所上層部。
しかし、一向に追試は成功せず、世紀の大発見はほころびを見せ始める。
大発見の興奮が醒め、よくよく考えてみると、「神の手」によってなされた実験が成功した瞬間を見たものは本人以外おらず、実験ノートは存在しない。成果物も行方しれず。再現実験と称する実験データには、本来であれば数十年がかりのはずの結果がしれっと載せられている。本人の実験スキルや知識もどうも怪しい。
遂に発覚した実験データのコピペが動かぬ証拠となり、研究所も重い腰を上げ、徹底的な調査が行われる。
関係者は“実験データの取り違え”を主張して取り繕おうとするが、結局「世紀の大発見」は跡形もなく崩壊する。
当事者は研究所を追われ、ついでに、学生時代からの捏造癖までも疑われ、学位を剥奪される。
途中までどこかで聞いたことのあるような話ですが、これは、本書で描かれる、2002年にアメリカで起きた論文捏造スキャンダルの顛末。
我が国では、スキャンダルにまで独自性がないのかと、なんとも言えない気持ちになりました。
(いや、割烹着だの釈明会見で着ていたワンピースのブランドのといったワイドショー的要素は、オリジナリティがあるか)
考えてみれば、研究者の良心に依拠する科学のあり方は変わらない一方、科学を取り巻く環境が変化したこと(内的には極端な専門分化、外的には国家プロジェクト化や行き過ぎた実績主義)は世界共通の病理であり、科学者とて功名心があることを併せ考えると、スキャンダルのあり方も世界共通なのかもしれません。
本件の捏造者がかくもハイリスクな論文捏造にあえて手を染めた動機については本書では特に語られていません。
研究所上層部は発覚までの間は“成果”を最大限に活用して組織の生き残りを図り、発覚後も共同研究者の多くはお咎め無し、研究責任者とて致命傷までは負わず、捏造者本人に全責任が被せられたという結末からは、本書で捏造者の友人が述べているように、陰謀論に与してみたくもなります。
しかし、捏造者が「自身の思い描いた実験成功の空想を、頭のどこかで現実に起きたこととして置き換えてしまっていたのかもしれない」(本書p206)というのが、何かヒントになるような気もします。
本書は、NHKのドキュメンタリー番組が元になっているそうで、平易で、構成も優れており、まさに良質なドキュメンタリー番組をみているように、一気に読めます。
とくに、科学者たちが、「世紀の大発見」を信じてしまう心の動き(そしてそれは無理もない)を描くくだりは興味深く読めます。
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学術雑誌を「世界に関して発見された真理を報告する場」「そこに掲載された論文はすべて絶対に正しいものであるべき」と見る(素朴な?)見方は研究者としては賛同できませんが、それ以外の点については非常によく書けている本だと思いました。
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スタップ細胞で小保ちゃん捏造か?と騒がれているとき、なんというタイミングだろう。こんなに早く、そのものずばりの本が出るなんて、と驚いたが、本書はいまから8年前の2006年に、NHKのディレクター村松秀さんが取材報道したあと新書にまとめたものである。疑惑の人物はシェーン。ドイツからアメリカのベル研究所に採用され、有機物の上に酸化アルミをのせる研究で、ネイチャー、サイエンスといった自然科学の一流紙に3年にわたり、つぎつぎと論文を発表し、ノーベル賞は時間の問題と騒がれた。しかし、2年後に論文捏造が発覚し、シェーンは研究所を追われ、行方もしれないという。科学界がなんと3年にもわたってだまされていたのである。本書は、なぜこのようなことが起こったのか、なぜ多くの科学者たちがだまされたかを、普遍的な問題として提起する。そこには、科学者たちの社会には、性善説が浸透していたからである。ネイチャー、サイエンスはもちろん査読制度をとっているが、それを審査する専門家の間でさえ、一部の人を除き、シェーンの業績を疑うことをしなかったのである。シェーンの共著者であったバトログの行動も、さらに問題が発覚したあと、シェーンが捏造を認めなかったというあたりもなんと今回の事件に似ていることか。(もっともぼくは小保ちゃんを信じたいが)
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常温超伝導のシェーン事件を扱う。
彗星の如く登場した物理界の若手スター。
サイエンスやネイチャーに多数の論文を投稿。
しかし、世界中が追試を試みるも成功する者はいない。
やがて、グラフの使い回しという論文不正が告発され、生データや実験ノートがないことが明らかになる。
捏造が発覚したとき、ベル研調査委に対するシェーンの主張は、「ミスはあったが、意図的な不正行為はまったくやっていない。自分はたしかに実験を行い、実際にデータも得ていた」(同書221-222頁)
共著者は不問に付され、シェーンのみ懲戒解雇。出身大学のPh Dも剥奪。
学問の自由のためには、基本的に性善説に立つ必要があるが、競争、特許、国家予算が絡むと、どうしてもおかしなことになってくる。
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tvの方で見ているかも、NHKで放送されたものの文書化です。2000年におきたアルミ酸化物による超伝導の論文不正の事が書かれています。stap細胞の事もあって読んでみようと、もう、そっくり同じ事が起きた感じですね。賢い頭が、人間、学習しないみたいな、なかなか、科学も大変、論文公表する前に内部討論があってもよいのでは????
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例のなんとか細胞絡みで読んでみた。
最初は捏造なんてすぐ分かるだろ、とか思ってました。この世界だと再現試行するだけで年単位で時間が浪費されるのね。。。目からウロコ。
結局、シェーンがなぜ捏造したのかは分からず。調査委員会の追求にも全く堪えることもなく。モヤモヤする。
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ある国の超一流研究所からそれまでの常識を覆すような発見が発表された。ノーベル賞級だとはしゃぎ、いろんなところで発表する上司。世界中で追試は成功しないが、それはその部下の実験技術が高度だから、と言われている。まさしくどこかで見た光景、ではないか。
雑誌論文の図が別の論文の図とあまりに類似しすぎていることがわかり、結局流用だったことが判明する。ちゃんとした実験ノートは存在せず、実験データの真偽は確定できない。本人は不注意によるミスだと言う。これまたどこかで見た光景、である。
栄光と転落までの過程は一気に読んだ。面白い。
ただ、最終章の説教めいたまとめは必要なかったのではないか。
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ベル研究所において2002年に発覚した論文捏造事件を題材にしたものです.今回のSTAP細胞事件(まだ真相が完全に解明された訳ではありませんが)とあまりにも共通点が多いように感じます.
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超電導の分野で次々と画期的な成果を挙げ、将来のノーベル賞受賞は間違いないとされた米国ベル研究所の若きエース、ヤン・ヘンドリック・シェーン。彼の画期的な発見、有機体に金属薄膜を付着する事で実現する「高温超電導」の追試に、世界中の科学者が参加するが、誰一人として再現できなかった。徐々にシェーンの発見には疑惑が浮かび上がり、最終的には全てが実験を行わずに「捏造」された結果である事が判明した。
権威ある研究機関の権威ある研究者がチームリーダーとなり、そのチームで、これまで無名だった若手研究者が画期的な成果を発表する。しかし、実際には実験が行われておらず、実験ノートも存在しない。図表は過去の別実験の使い回し。周囲の研究者も、研究機関とチームリーダーの名前で、この研究成果を信用してしまう。STAP細胞の捏造事件と全く同じに見える構図。正直驚きを隠せないが、この前例があったからこそ、STAP細胞の捏造は数カ月で発覚したのだろう。
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自分自身が清くはないし、人間社会で不正は決してなくならないとは思う。しかし、世界中の研究者を驚嘆させた発表、しかも相次ぐ発表論文の捏造がここまでまかり通るものなのか。論文を重ね重ね掲載した科学ジャーナルの無責任な態度には憤りを感じるが、誰にも増して共同研究者がまったくノーチェックだというのにあきれる。リーダーのバートラム・バトログさえ一度たりとも実験成功の世紀の瞬間に立ち会っていない。実験の生データはなく、サンプルはすべて処分されている。これで不正を否定してもむなしい。