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紙の本
井上ひさし全著作レヴュー25
2010/10/07 18:12
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『雨』『四谷諧談』『それからのブンとフン』の3篇の戯曲を収録。
『雨』の初出は「野生時代」1976年7月号。初演は1976年7月、演出:木村光一、制作:パルコ=五月舎、上演劇場:西武劇場(現パルコ劇場)。『四谷諧談』の初出は「季刊芸能東西」75年雁秋号。一か月の地方巡演を経て1975年11月紀伊國屋ホールで上演、演出は早野寿郎。『それからのブンとフン』の初出は「新劇」74年11月号。テアトル・エコー公演として75年1月~2月に上演、演出は熊倉一雄。
『雨』は、江戸で金物拾いをしている徳が、ひょんなことで羽前国平畠藩の紅花問屋の当主喜左衛門に瓜二つだと知らされる。色(美貌の新妻)と欲(莫大な財産)の二兎を手に入れるべく必死になって平畠ことばを練習し、本物の喜左衛門に成りすまそうとする徳だが・・・。欲に憑かれた男が必死でのし上がろうとするものの、最後はあっけなく破滅してしまう――という筋立ては傑作『藪原検校』を想起させたりもするが、本作の場合主人公が自爆するに至る「経緯」が全く異なる。毒をもって毒を制すというか、徳を雁字搦めにしてしまう計略の巧みさとその意図が「民衆」の狡猾さと強かさと怖さを浮き彫りにしていて、単に、欲に狂った人間の「自己破綻」の物語に収斂していないところが素晴らしい。
『四谷諧談』は、本作上演の翌月に時効が成立した「三億円強奪事件」をネタにした推理劇。事件当時にも巷で囁かれた体制謀略説を「真相」として提示してみせるのだが、面白いのはその提示の仕方がつかこうへい『熱海殺人事件』のパロディになっている点。刑事が明らかにしていく「真相」の意外さと、刑事と容疑者の遣り取りが生み出す滑稽さ・可笑しさが二重に展開していく辺りは、実にスリリングだ。
『それからのブンとフン』は処女小説『ブンとフン』を戯曲に脚色しつつ、小説の後日談を付け加えたもの。『十一匹のネコ』もそうだったが、井上ひさしという人は、なかなか物語を無条件のハッピーエンドで終わらせられない人だ。限りなく希望と明るさに満ちた戦後民主主義が幾つもの挫折を経て変節していった歴史が頭をよぎるのかもしれないが、現に本作では70年安保闘争の失速が大きく影を落としている。しかし個人的好みからすると、ナンセンスで楽天的な結末を迎えたオリジナル(小説)よりも、現実の苦味を色濃く反映したカヴァー・ヴァージョン(戯曲)の方に魅かれる。少年少女なら『ブンとフン』のハッピーエンドに何の疑問も無く浸ることが出来るだろうが、年をとって世俗にまみれた大人は、『それからのブンとフン』の大いなる屈折とかすかな希望が交錯する結末の方に、より親近感を持つからである。
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