紙の本
井上ひさし全著作レヴュー46
2011/03/06 11:37
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投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
初出は『新劇』1980年10月号。初演は1980年10月、演出:木村光一、三越・五月舎提携公演、上演劇場:呉服橋三越劇場。
井上ひさしの宮沢賢治に向ける熱い思いはエッセイ「風景はなみだにゆすれ」(中央公論社『風景はなみだにゆすれ』収録)で率直に吐露されているが、この戯曲でもその心酔ぶりは十二分に伝わってくる。しかし、だからといって一方的礼賛に終始していないのがさすがである。
初演時にパンフレットに寄せた一文「賢治の上京」(中央公論社『聖母の道化師』収録)に作者はこう記す:宮沢賢治の生涯や彼の作品を素材にした戯曲は、「作品そのものを忠実に脚色するという方法」、「舞台を花巻に設定して賢治の伝記的事実を――そのほとんどが「聖者」としての伝、「求道者」としての伝という形をとるが――劇化するというやり方」、「『銀河鉄道の夜』などを発条に宇宙メルヘンを展開する方法」と大別すると三つの型に分けられるが、「わたしはまったくちがうやり方で賢治とその作品群に接近したいと考えた」――というのである。では具体的にどういうアプローチを試みたのかというと、9回にわたる賢治の上京に、その生涯を凝縮させるという方法である。『表裏源内蛙合戦』『道元の冒険』『藪原検校』等のクロノロジカルに主人公を追う手法、『しみじみ日本・乃木大将』『小林一茶』のように時間と場所を最小限に限定する手法の、丁度中間的アプローチと言える。「地方」と「中央」の相克、賢治が抱いた「理想」と「現実」の重みのきしみ、地方の名士たる「父」と所詮は「坊っちゃん」に過ぎぬ自分等々、賢治を取り巻く様々な側面が二項対立的に提示されていく。
しかし、乃木大将や小林一茶を描いた時のような観客の胸を抉る鋭さよりも、様々な矛盾を内包した賢治という人間を丸ごと受けとめて愛そうとする、慈愛の念の方がより強く伝わってくる。随所に、賢治作品の名場面、名キャラクターを散りばめているのも心にくいが、これは、ただ戯曲として読むより、舞台で生の実演に接する方が一層深く味わえる作品であるように思える。つまり、戯曲で隅々までカッチリ構成し尽くすのではなく、随所に「余白」があり、その「余白」を演出家が自在に演劇空間として創造した時に初めて、本作品は戯曲として完成するのではないか、と思えるのだ。
この芝居に活字でしか接したことが無い筆者は、是非一度「演劇空間」が現出する瞬間に立ち会ってみたいと強く願う。
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久しぶりに戯曲を読みました。リズム感があって楽しく読めました。機会かあれば実際の舞台でも観てみたいです。一方でリズムの良さに押し流されて、主題や主張を読み取り損なったので、これではダメですね。
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家庭内宗教戦争…。信仰って、理屈でどうにかなるものではないと思うが、賢治と父が繰り広げる論争的な対話シーンが好きだ。お手玉でジャッジする稲垣未亡人の様子が、なんとなくかわいらしい。設定描写が丁寧なので、情景をイメージしやすかったです。(観劇前日に予習がてら読了)
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「あ、母ちゃは上野の方さ、汽車のえぐ方さ背中ば向けた方がえーべなす。」
このセリフは今でもそらで言える。
この戯曲の初っ端の宮沢賢治のセリフである。
『イーハトーボの劇列車』 井上ひさし (新潮文庫)
「おら、東京さ出張ってえぐなー、これで三度目だはんて旅馴れしてえっからゆうんだども、汽車が脱線だの転覆だのしたとすっと、背もたれさ背中ばくっつけでえる方が安全なんだこったよ。」
と続く。
花巻弁が楽しくて、何度も音読した。
もうずいぶん前の話だが、あたしは花巻弁が喋れるんだぜすごいだろーと、自慢していたのが懐かしい。
先日、劇作家の井上ひさしさんが亡くなられた。
井上さんは優れた宮沢賢治の読み手で、井上さんの書く賢治の話は、常に読者に近いところにいて、いつも楽しく読みやすく、私は大好きだった。
この「イーハトーボの劇列車」は、その中でも特別に大好きな本だ。
私の本棚の一角にある賢ちゃんコーナーの二十年来の住人である。
芝居の初演は1980年だそうだ。
文庫本の奥付を見ると、昭和63年となっている。
この戯曲では、宮沢賢治の四回の上京が描かれる。
とし子の看病、日蓮大聖人の御書(おふみ)が背中にばっさり落ちてきたときの家出、エスペラントやセロ、タイプライターを学ぶための上京、そして最後は40キロのトランクを抱えた満身創痍の晩年の賢治である。
西根山の山男や、淵沢小十郎の弟だという淵沢三十郎が出てきたり、「注文の多い料理店」の「序」が現代に内容を置き換えて、農民たちによって語られたりする。
さらに、「dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah」というお馴染みのフレーズが汽車の走行音になっていたり、賢治童話の作中の言葉がたくさん出てきたりして、賢治ファンには楽しくてたまらない仕掛けが随所に散りばめられている。
もちろん、賢治の思想や理想、例えばビジテリアンのことや法華経のこと、農民芸術のことなどもきっちりと描かれている。
しかし、作中でそのすべては、彼と関わりを持つ登場人物たちによって否定され、完膚なきまでに論破されてしまうのだ。
さて、井上さんが以前書かれた文章で、「彼のやりたかったことのリスト」というのがある。
『宮沢賢治に聞く』(ネスコ/文藝春秋)という本に収録されており、同じ文が、1996年の賢治生誕百年の年に開催された「宮沢賢治の世界展」の冊子にも掲載されている。
この文章の中で、農民になろうとすればするほど悉くトンチンカンなことをしてしまう賢治に対して、初めはいかにも良家のおぼっちゃんらしいと微笑ましくも感じるが、そのうち賢治がやりたかった、しかし十全にはできなかったもののリストの列がじんわり涙でかすんでくる、というくだりがある。
そんな作者の想いがこの芝居にはいっぱい詰まっている。
ラストは、“思い残し切符”を持った農民たちが、あの世行きの列車に乗り込むシーンである。
その中にはもちろん賢治もいる。
死者たちを見送ったあと���車掌が万感の思いを込めて、彼らの“思い残し切符”を最後に観客席めがけて力一杯撒くシーンは、心を揺さぶられる。
“思い残したこと”なら、賢治にはたくさんありすぎるほどあっただろう。
農民たちと一緒にあの世へと旅立つ賢治を、やはり万感の思いを込めて観客も見送るのだ。
宮沢賢治を読むときは、作品と人となりを大いにごっちゃにしよう、という井上ひさしさんの考え方に私は大賛成だ。
これは宮沢賢治研究史上に残る名言だと思っている。
なんだかカナシクテ眠れない夜は枕許に「賢治全集」を並べておく、という呟きには、わかるわかると共感した。
賢治に会いたいばっかりに、その人をざしき童子にしてしまう井上ひさしさん。
いっぱい聞きたいことがあったらしい。(笑)
沢山の人が井上さんの死を悼んでいるとテレビで見ました。
心からご冥福をお祈りします。