紙の本
継ぎ接ぎの進化史
2010/01/17 20:37
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
動物の遺体を解剖し、生態、進化の謎を追究する「遺体科学」を提唱する遠藤秀紀が、人体の進化を豊富な動物解剖の知見を援用して解説する。
この本では、ナメクジウオ(グールドの「ワンダフル・ライフ」にも登場するピカイア)のような単純な海生脊索動物が魚類になり、そして陸に上がり、さらに四足歩行から二足直立歩行に至るという、人体の進化の歴史をたどる、という王道ともいえるスタイルなのだけれど、その進化の歴史の捉え方が新鮮だ。
本書では進化というものを、既存の生体デザインのその場凌ぎの仕様変更、と捉えている。たとえば、陸生動物の四肢は、魚類のヒレが起源なのだけれど、では魚類のヒレはどうして骨を持つ四肢へと進化したのかという疑問が起こる。
それを知るには、ユーステノプテロンという骨のあるヒレを持つ魚の観察が必須だけれど、すでに絶滅している。しかし、直接の繋がりはないけれど類縁の、骨のあるヒレを持つシーラカンスの観察から、ヒレは骨を持つことで繊細な身体コントロールを可能にし、海中での複雑な行動に活用されていることが分かった。
つまり、骨のあるヒレというのはそもそも海中での行動に適応したもので、その肉厚のヒレが、後の陸上で行動する支えとなる。骨のある肉厚のヒレは元々陸上生活のために作られたのではないのだけれど、結果として四肢への可能性を胚胎していた、ということだ(これを「前適応」という)。
「動物というのは、基本的な設計を持つ祖先がいる。そして次の段階は、その祖先の設計図を借りてきて変更するしか、新たな動物を創り出す術はない。だから、新しい設計は、所詮は祖先の設計図のどこかを消しゴムで消し、何か簡単にできることを付け加えることでしか、実現できないのだ」47P
骨盤や、耳小骨、肺など、進化の結果うまれた様々な器官を、そうしたその場凌ぎの仕様変更の連続、蓄積として捉える。この認識を具体的な遺体解剖の知見を駆使して叙述するところが白眉だ。
途中まで読んでいて、本書は「失敗の進化史」というよりは「継ぎ接ぎの進化史」の方が適当だなと思っていたら、著者は最終的に人間が失敗した動物だと結論する。ここまで自分の暮らす土台を崩してしまった生物は動物としては失敗作だと言うほかない、と。やけに冷徹な認識だ。
で、この本で面白いのはなによりも著者自身かも知れない。遺体解剖に臨むプロフェッショナルとして、どんな遺体が目の前に現れても最善の解剖を行えるように、つねにシミュレーションを欠かさないとか、現在の大学、行政での科学研究が目先の利益に直結しない研究を排除していく拝金主義にまみれていると批判したり、博物館や動物園はただ客に金と引き替えに安楽を提供するのではなく研究施設でもあるのだという、様々な主張はどれも情熱的で真摯な科学研究への意気込みを感じさせる。
紙の本
進化の軌跡を原生生物の体から探りだし、知的好奇心を刺激する好著
2006/08/28 00:39
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Skywriter - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間がどうしてこのような形をしているのか。また、それによってどんな利点と欠点が生じているのか。
その謎を明らかにするには二つのアプローチがあろう。一つは分子生物学。こちらの方がより思い浮かべた方が多いのではないだろうか。もう一方は、人間と人間以外の生物の行動及び解剖学的な所見を比較することである。本書で行っているのは後者の方法。
人間に限らず、現生生物は進化の過程でそれぞれのが直面した環境に合わせて体を変化させてきた。その結果、ある者は発達した脚と武器となる牙や爪を、ある者は捕食者から身を護る鎧や警戒装置としての目、逃走するための脚を身に付けてきた。
しかし、進化は決して遥か彼方の理想の姿を追い求めてきたわけではない。行き当たりばったりで、使えるものなら何でも使う、というのが基本姿勢であった。
そんな事実を、多くの証拠から説明している。たとえば、空を飛ぶための手段として、翼竜、鳥、コウモリと異なる生物が進化を遂げてきたが、その進化戦略はそれぞれ全く異なる。その解剖学的な違いは知的好奇心を大いに刺激する。
著者が、そして我々が最終的な目的として興味を持つ人体もその場しのぎの進化の寄せ集めである。四足の動物がただ立ち上がっただけではなく、多くの設計変更があった。その証拠を、専門用語をほとんど用いずに平易な言葉で説明してくれているところが親切で、面白さを増しているポイントだろう。
解剖から得られる所見によって、海で発生した太古の生物がいかにして人間まで至ったのか、進化のプロセスの好い加減さと面白さを実に上手く表現しているように思う。我々の体に、数億年に渡る生物の進化の軌跡があるというのはそれだけで興奮するし、その秘密を覗き見ることができるということは大変な知的好奇心を刺激すると思う。生物の体にはまだまだ沢山の不思議が隠されていることを実感させてくれる一冊。
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進化とは、手近なパーツのいきあたりばったりの設計変更の積み重ねであるとし、そうした設計変更の中でも脳を巨大にしたヒトは最大の失敗であるとする。先端先鋭化するホットな部分=分子生物学に対して、遺体は知の宝庫とする著者の検証学は、失敗学にも通ずる、実は今一番アクチャルな相互作用の現象科学となりえるかも。
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わかりやすいような、わかりにくいような。面白い視点だったけれど、著者が自分の世界にのめりこんでいくスピードに私はついていけませんでした。
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著者の解剖学にかける熱い想いと問題意識は十分に伝わってきた。直立歩行が身体の進化にとってとんでもないことであるというのは、目から鱗。面白い。
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内容は面白そう。でも白黒の写真が非常に見づらく、だけどその写真が内容を理解するために大きな意義を持っていて。
ただいまSTOP中。。
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人は2足歩行を選択したことによって、大幅な身体の構造の変革を遂げなければならなかった。背骨、骨盤、踵の骨、手のつくり…などなど。肩こりも心臓の病も、それが原因らしい。ゆえに、失敗の進化だったと、筆者はまとめている。
『パンダの死体はよみがえる』の筆者だけに、動物の解剖写真、ホルマリン標本、骨格標本などが満載でかなりグロいが、真摯な研究者根性だけはひしひしと伝わってくる。
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進化とは神秘的なもではなく,かなり「いいかげんな」ものであることを,解剖屋さんが書いた本.面白かったが,末章の愚痴はいらなかったと思う.
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「私たちヒトとは、地球の生き物として、一体何をしでかした存在なのか」二足歩行という、ある意味とんでもない移動様式を生み出した私たちヒトは、そのために身体全体にわたって、「設計図」をたくさん描き換えなくてはならなかった。そうして得た最大の“目玉”は、巨大で飛び切り優秀な脳だったといえるだろう。
ホモ・サピエンスの短い歴史に残されたのは、何度も消しゴムと修正液で描き換えられた、ぼろぼろになった設計図の山だ。その描き換えられた設計図の未来にはどういう運命が待っているのだろうか。引き続き、描き換えに描き換えを続けながら、私たちは進化を続けていくのだろうか。
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序章 主役はあなた自身
第1章 身体の設計図
第2章 設計変更の繰り返し
第3章 前代未聞の改造品
第4章 行き詰まった失敗作
終章 知の宝庫
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何かの書評で見かけて、面白そうだったので読んでみたんですが…
元は単純な構造の生物から、海を泳ぎ陸に上がり、空を飛ぶといった多種多様な生物への身体の構造の変化を説明し、人間の身体へとたどりつくまでにどのように人体の設計図が変更されてきたかということが書かれた本。
一つの生物が陸へ、または空へと骨格、筋肉、内臓を変えていく様子を遺体の解剖から知る様はとても興味深い。
素材(題材)はすごく面白い、でも、調理法(文章・書き方)がどうも苦手でした。
?まず、こちらの著者は遺体の解剖によりこういったそれぞれの動物の骨の形、役割を解説してくれるのですが。
遺体解剖について熱く語りすぎていて若干引きます。ホントすいません。
?そして、タイトルが「人体 失敗の進化史」となっていますが、人体が失敗していることを述べている下りが249ページ中、22ページしかありません。
地を這う四足歩行から、それまでの生物では考えられないほどに前肢を活用し、道具を作り出した二足歩行への転換が、全然失敗とは思えない。
むしろ大革命過ぎてマイナス要因があまり目立ちません。
(ヘルニアとか肩こりとか。マイナス要因としてあげるには瑣末な気がする)
もともと野にいたころの人間の寿命が30〜40才だとして考えて、今の80〜100まで生きていけるようになってしまった環境を考えれば、元の寿命からそんな倍以上生きているんだからそりゃなんだって故障くらいするだろ…のレベルの話だと思う。
?そして特に「人間の失敗」だというのが、”小さな体に大きな脳を設置してしまった点(ずば抜けた知力)”だというのがどうもなぁ。
核のボタン一つで他の動物を絶滅させるだけの力をもってしまった故に地上を荒らす乱暴物。
確かに人間が居なくなれば地球はもっと綺麗で長生きできる星になるとは思うけど。
ずいぶん荒いまとめ方したなぁオイ。
科学から文学的な悲観に切り替わったみたいな急な印象を受ける。
おかしなことは言っていないとは思うんですが。
本のまとまりとしては齟齬を感じる。
?そして最後に一つ。
遺体を解剖することによって生物の構造・進化を知るための知を得るのはすばらしいことだとは思うんですが。
末章が動物園のご遺体を解剖させてください。無理にとは言いません。っていう趣旨の話をずっと書くのはどうも…
だからさ、タイトルと内容違うよね?って感じがさらに倍増。
「動物の献体を受け入れています」っていうポスターの写真が掲載されているんですが、亡くなったサイをクレーンで吊り上げている写真を使用していて。
サイ、重たいからしょうがないけど。そんなクレーンでグイグイ引っ張るなよ。
もうちょっと丁寧に運んであげてよサイ。って感じの画像で…
シュールすぎてやっぱり引いてしまいます…
雑なんだよなあ。運び方。
なんかなぁ。
夕飯は「カレー」だと思っていたら「うどん」だったみたいな。
そんなガッカリ感がなんとなく漂う。
うどんもうまいんだけど。カレーの気分だったのにな的な。
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進化史面白かった!
専門用語を知らなくても読めるけれども、多少生物の知識があれば良かったと感じた。勉強するかな…。
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著者は「遺体科学」の専門家ですでにいくつか著作もあります。
最近は遺伝子から進化をみるのが流行りだと思うのですが、表現型としての身体(遺体)を直接見ることで進化の過程を推定するという学問的方法についての物語になっています。もちろん、人類史が遺伝子と考古学の知見を合わせることでより精緻化されたように、生物進化についても遺伝子と解剖学を合わせることで大きな成果が得られるということも書かれています。個人的には遺伝子から見る方がロジカルな感じがして好みなのですが。ちなみにきちんと最新の生物進化史を見るのであれば書店に手に入るものだとドーキンスの『祖先の物語』は外せないと個人的には思います(参考文献にはないですが)。
この本も含めて科学者による新書版の一般向け解説書が最近いくつか出ています。その中でも超ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』と比べるとエピソードの扱いが一段落ちます。一般向け著作も多い著者ですが、その辺はもう少しですね。
本の最後は、著者自身の研究分野への研究開発費含めたリソースの貧弱さを訴えた、ある意味愚痴にもなりそうな、アピールで終わっています。研究分野の選択と集中というのもあってしかるべきではあるとは思います。そうなると「遺体科学」などは弱いんでしょうね...
とりあえず、自分を悩ませている腰痛と肩凝りが、二足歩行の進化の代償だということはわかりました。
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-2006.09.02記
著者の遠藤秀紀は、現役の動物遺体解剖の泰斗であろう。動物の遺体に隠された進化の謎を追い、遺体を文化の礎として保存するべく「遺体科学」を提唱する第一線の動物学者である。
この人の著書は初めて読むが、「人体 失敗の進化史」は決して奇を衒ったものではなく、専門の知を真正面から一般に判りやすく論じてくれた好著だ。
失敗ばかり、間違いだらけの進化史、その言やよし、ものごとはひっくり返してみるくらいの方がいいと常々私も思う。諸手を挙げて賛成だ。
「偶然の積み重ねが哺乳類を生み、強引な設計変更がサルのなかまを生み、また積み上げられる勘違いによって、それが二本足で歩き、500万年もして、いまわれわれヒトが地球に巣喰っているというのが真実だろう。」という著者は、本章の1・.2章で、耳小骨の話を軸に、爬虫類から哺乳類、さらにヒトへと、顎と耳の作り替えの歴史を、見事に具体的に語り、われわれヒトの手足が、3億7000万年の魚類の肉鰭へと遡ることをこと細かに解き明かしたうえで、「脊椎動物の多くは、設計変更と改造を繰り返した挙句、一皮剥がしてしまえば、滅茶苦茶といっていいほど左右非対称の身体をもつことになってしまったのである。その典型が哺乳類などの高等な脊椎動物の胸部臓器なのである。脊椎動物の5億年の歴史のなかで、我々ヒトの心臓や肺に見られるごとく、脊椎動物がどう酸素を取り入れて、血液を流すかという作戦は、身体の左右対称性を継ぎ接ぎだらけに壊しながら、改良に改良を重ねてきたものなのである。」という。もちろん、心臓や肺について、あるいは腰椎や骨盤について、いかに設計変更や改造をしてきたか、具体的な説明にはこと欠かない。
著者いうところの「前代未聞の改造(第3章)」が、ヒトのヒトたる所以の二足歩行であり、自由な手の獲得であり、直立したヒトの脳の巨大化であるのだが、一方でそれらは垂直な身体の誤算-かぎりない負の遺産を我々にもたらし、現代人の誰もが悩まされる数知れぬ慢性病として現前しているのだが、著者は「ヒトのトラブルの多くは、ヒト自身の設計変更の暗部であると同時に、ヒト自身が築いた近代社会が作り出す、予期せぬ弊害なのだ。」と説き、われわれホモ・サピエンスとは「行き詰まった失敗作(第4章)」であり、「ヒトの未来はどうなるかという問いに対して、遺体解剖で得られた知をもって答えるなら、やはり自分自身を行き詰まった失敗作と捉えなくてはならない。」と結論づけている。
年間200から500頭の動物の遺体を、毎年のように、解剖し標本にしてきたという著者は、終章において、自ら立ち上げた「遺体科学研究会」の名で、動物の献体を声高に一般市民に呼びかけている。
行政改革の大号令のもと、全国各地の動物園や博物館には指定管理者制度の導入や民営化の嵐が襲い、著者の遺体解剖の現場も研究も、現状を維持していくことがより困難になりつつあるのだから無理もない。
最後に、これは著者には関わり合いのないことであろうけれど、遺体・献体の話題といえば、この数年、日本の主要都市で連続的に開催され、多くの観客を集め注目されている「人体の不思議展」につい���、嘗て私は「学術に名を借りたいかがわしい見世物」と批判しているのだが、是非にもご意見を拝聴したいものである。
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動物の解剖を通して、生物の進化が如何に行き当たりばったりに進んでいたかを説く。また、人間が二足歩行を始めたが故に生じた無理な進化いより故障を生じやすい事が判るのである。
人間が予定調和的にエレガンスに進化してきたわけでは無いことがよく理解でき、それでも無理無理にも進化してきた不思議を感じるのである。