紙の本
読むに耐えない部分多し
2010/02/01 14:42
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:武井啓蔵 - この投稿者のレビュー一覧を見る
つっこみどころ満載の本だが、既に大半の論点は他の書評で指摘済みなので、ここでは「指摘されていない論点」について記す。
著者は天下の名門女子進学校桜蔭女子中学校の2006年の国語の試験問題の方が1995年の国立和歌山大学の国語の試験問題より遥かに難しいという事実を示しつつ、「難関大学へのパスポートは12歳の段階で配り終えられている」などと言うが、そんなことはない。まあ、「学べや学べ、やよ学べ」をモットーとする桜蔭は数少ない例外になるが、首都圏の進学校は旧制府立中学以来の根強い伝統「本当に頭の良い奴は勉強しない」というのがあって、入学と同時に「勉強しないごっこ」「ナンパに勤しむごっこ」がはじまるのである。男子校でこの傾向が特に強く麻布や駒場東邦がその筆頭だが、名だたる進学校のどこでもこういう現象は起きている。開成も例外ではない。諸君も一度、開成中学の入試問題を解いてみると良い。こういう問題をスラスラと解いてしまう小学生なら「東京大学に現役合格してアタリマエ」と思うに違いない。ところが現実はそうはなっていない。開成から東大に進学するのは浪人含めて200人に満たない。開成は中学で300人、高校で100人を募集する。そして「開成の合格実績を支えているのは高校入学組」という都市伝説がまことしやかに囁かれている。諸君も一度、「どうして開成から東大に300人進学できないのか」を深く考えてみるとよろしい。女子でいえば名門女子学院や双葉の進学実績はもっと見劣りする。女子学院では、とても恥ずかしくていえないような大学に進学する子も結構いる。パスポートは12歳では配られないのである。せいぜいが予約券程度である。
あと、桜蔭受験の風景を著者は全く知らないようである。自分が知りもしないことを勝手に書くのは自由だが、文字にして出版する以上、少しは桜蔭を受験する12歳の娘たちがどういう子なのかは、調べてから書いたほうがよい。ちなみに私は娘が昨年桜蔭に合格しているので良く知っているが、彼女たちの受験風景は決して「息苦しさ」なんて無い。もちろん彼女たちはSAPIXや日能研といった大手中学受験塾に通う。6年生も後半になると土日含む週の大半を塾で過ごす。土日なんか朝の9時からほとんど休みなしで夕方5時まで塾で勉強である。しかし、しかしである。彼女たちにとって、塾は「楽しくてたのしくて仕方がない息抜きの場」なのである。そもそも彼女たちに勉強は苦痛でない。好奇心旺盛で理解力に優れ習ったことがスッスと頭に入るから塾の勉強が面白い。しかも塾は完全能力別クラス編成になっていて、彼女たちが席を同じくするのは女子なら桜蔭か女子学院、男子なら筑波大附属駒場か開成、麻布を目指している選ばれしトップ中のトップばかりである。だから話が合う。ネタが豊富で飽きない。地元の公立小学校にいるボンクラどもとは雲泥の差である。進学塾は朝から晩まで詰め込み勉強に明け暮れているようにイメージしている人も多いと思うが、トップクラスは違う。中学受験塾は5年生の1月までに受験範囲を学習し終え、6年生の1学期、夏休み、2学期と総復習を3回行うようにプログラムされているが、最上級のトップクラスは4年生、5年生からその全てをほぼ満点で通過してきた子ばかりである。授業をやろうにも過去問は別にして、既に知っていることばかりで飽き始めている。そこで授業といいつつ最高学年のトップクラスは徒党を組んで先生をからかって遊んだりしている。そこへ激励と称して昨年桜蔭に合格した先輩たちが乱入してきて桜蔭の生活や受験の思い出話を語ったりする。こうして笑いの中で進学塾の1日は過ぎていくのである。私はこの様子を娘から聞いて、「これが本当のゆとり教育だな」と思ったりした。そして初めに戻るが、彼女たちは高階秀爾が書いた『日本美術を見る眼』などという文章は難しくもなんとも無いのである。すらすら読めて理解できてしまうのである。これくらいのことは著者も知っておいたほうがよい。
それにだ。日本の大学生が一般に勉強しないのはその通りだと思うが、それは日本の大学の社会的位置付けが欧米その他とは異なるということが大きいのであって、日本の受験システムに欠陥があるからでもなんでもない。早い話、日本の大学は「役に立たない」授業ばかりしている。簿記会計を勉強するならTACや大原簿記学校のほうが丁寧に教えてくれる。数百ページもあって学生に理解を促すより、ただこけおどしのためにのみ作られたような簿記会計の本の、なんと多いことか。法律学だってそうである。法科大学院を経て司法試験突破を目指す学生の多くが東京リーガルマインドや辰巳法律研究所のような司法試験予備校へ通っている。世に言うダブルスクールである。この傾向は東大を筆頭とする名門校ほど顕著となる。これは会計学科や法律学科の指導法が破綻している何よりの証左である。それにだ。こうした資格試験突破を志さない一般の学生がなぜ勉強しないかといえば、就職の際、企業サイドが大学の成績をあまり問わないからだ。せいぜいが優の数を見る程度で、そこでは体育の優も法学部債権各論の優も同列に扱われる。問われるのは「英語力」くらいである。だから勉強なんかしないのだ。むしろ勉強ばかりして妙なプライドをもって周囲を見下す社会性のない学士様を企業は厭う風潮さえある。
それに日本の文部科学省は莫大な助成金を盛大に全国の私立大学にばら撒いている。日本の私立と国立の学費はいまや東大と早稲田、慶應で大差が無くなっている。東大含む国立の学費は60万円弱。早稲田は90万円弱だ。私の頃の国立は年間学費が17万円だったが、いまや国立大学といっても苦学生は寄り付けないくらい、その学費は高騰している。要するに全国のゾンビ私学に助成金をばら撒いたつけが国立大学の学費高騰となって現れているのだ。ここもきちんと指摘しないと、河本くん、片手落ちだな。
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今まで読んできた「学力低下」関連本とは異なる視点。
日本の大学は、入るのが一番難しく、中での勉強と出るのは簡単、という統計データは見たことがあるが、これを人口の変化や女子進学率の上昇などと組みあわせて、大学の入試制度と大学教育の問題だと論じている。
大学関係者からは反論もあるだろうが、考え方としては非常に参考になった。
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2010/1/23 Amazonより届く
2010/1/24 一日で読了
最近の大学生の学力低下を主題に現在の教育制度の矛盾を論評している。大学教員が自分達の無策を棚に上げて学力低下の原因を高校などに押し付けている、というのは一理あるとは思うが、問題はそれだけではないだろう。途中ででてくる校内暴力、援助交際やモンスターペアレントの出現の原因について、一概には言えないが、としつこいくらい繰り返し結論的には自分の言いたいところに落とす論理構成はフェアではない。著者は大学入試をまず変えることで、高校以前の教育はがらりと変わるはず、というが、それだけではおそらく変わるまい。一流大学出の人間しかとらない企業、大卒だけが価値がある、とする日本人の認識全体を変えなければ。最近の政治の世界もそうだが、誰か、どこかに責任を押し付けてすむ問題ではないと思う。
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少子化の影響で誰でも大学に入れる。現役大学生としては確かにこのまま学校に通っていても・・と思うことがある。日本の大学は入ってしまえば出るのは簡単。アメリカの大学は入るのは簡単だが、出るのがものすごく大変。だから一生懸命勉強する。学力低下の根本にはゆとりが大きく関わっていると思う。日本の学力低下を正すには根本からの改革が必要だろう。
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現代の大学を取り巻く問題についての本。
日本の上位大学は確かに入るのに比べて出るのは楽に感じる。
下位大学は入るのも出るのも楽らしい。
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一概に「学力=受験に必要な能力」というイメージだが、それだけではないと感じた。
秋田や福井が基礎学力が定着しているにも関わらず受験成績が芳しくないということからも、日本の教育や学力論が何かおかしいと感じられる。
大学が、障害児にとっての支援学校のように、地域になにか還元できたらいいと思う。難しいとは思うが。
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社団法人全国学力研究会理事長、東進ハイスクール講師の河本敏浩による大学生論。
【構成】
1章 学力は本当に低下しているのか?
1、学力の現状
2、大学生の増員と少子化
3、二一世紀の大学生は、七〇年代の暴走族レベル
4、定員を絞ればいい?
2章 競争の激化は何をもたらすか
1、狭き門の問題
2、管理教育
3、荒れる女子高生
4、いびつな競争のかたち
3章 「学ぶ意欲」を奪うシステム
1、受験の現代史
2、絶望的な学力格差
4章 学力日本一・秋田の大学進学実績はなぜ伸びないのか?
1、秋田は成功事例なのか
2、勉強をやめる高校生
3、難しい試験の意義は?
4、奇妙な論理、奇妙な大学生
5章 日本の大学システムの問題点
1、名ばかり大学生は今日も行く
2、まとめと展望
少子化が進んだにもかかわらず、私立大学の学生定員はいっこうに減らない。その結果として、40%以上という高い大学進学率が達成されている。1970年代と比較すれば、当時は学力不足により大学進学ができなかった下位3割~4割のレベルでも、現状は希望さえすれば大学進学できると言う状況である。
本書は、全体として、私立中高一貫進学校を引き合いに出して、単純な学力低下批判・ゆとり教育批判は退けながらも、試験一発の大学入試についての疑義を投げかけている。
最後の提言が、大学のオープンキャンパスの奨励、高校の学費無償化、古典の読了義務づけと並んでいるが、何だかなぁという印象である。
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タイトルを見ると安直なゆとり批判の本かと思いきや、大学生およびそれを取り巻く環境の問題点を「ゆとり」の一言で片付けず資料を元にわかりやすく指摘している良本だった。最近の若者の学力が問題なのは「ゆとり世代」だからではなく、少子化・大学増加・AO悪用による「勉強させない環境」にあることがわかった。と同時に日本の教育行政に危機感・末期感・無力感をおぼえた。
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学校が就職の予備校であるわけはないのだが、そのようになりつつあるようにおもえる。しかし昨今、一流大学にして就職できない学生が居て、競争入試から推薦入試、特技入試の学生の習熟度低下が大学の教員側から嘆かれている。
そのためかここへ来て、大学が学生にとっての通過地点で、学生という名の熟度不足の製品を世に送りつつ、経営だけがつづけられる大学を皮肉っているようでもある。
入試地獄や詰め込み教育がいわれるが、教育が勝組にわかれるのか、負け組みに分類されるのか。その線引きになっていることを言いたいのではと、思いはせるのであるが。
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本題とは裏腹に大学生を批判する本ではない。むしろ、そういった状況を作り出した大人たちや批判だけし続ける大人たちへの批判をした本。
予備校の先生であるから多くの大学生・高校生を見てきているのだろう。とても明快ではっきりとした批判をしてくれていて気持ち良い。
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面白かったです。
タイトルを見たときに、近頃の大学生を嘆き、大学までの教育
(小、中、高)について批判する本なのかと思いました。
しかし、筆者は大学や社会の変化に名ばかり大学生を生む原因があるとし、大学入試制度が変われば、高校、中学、小学校などが変わっていくとしています。
ちょっと言いすぎだな~と思う部分もありますが、勉強になりました。
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[ 内容 ]
21世紀の大学生は、70年代の暴走族レベル?
入試問題や教育関連の統計データの分析から、新たな視点で教育問題に対する処方箋を提示する。
[ 目次 ]
1章 学力は本当に低下しているのか?(学力の現状;大学生の増員と少子化;二一世紀の大学生は、七〇年代の暴走族レベル;定員を絞ればいい?)
2章 競争の激化は何をもたらすか(狭き門の問題;管理教育;荒れる女子高生;いびつな競争のかたち)
3章 「学ぶ意欲」を奪うシステム(受験の現代史;絶望的な学力格差)
4章 学力日本一・秋田の大学進学実績はなぜ伸びないのか?(秋田は成功事例なのか;勉強をやめる高校生;難しい試験の意義は?;奇妙な論理、奇妙な大学生)
5章 日本の大学システムの問題点(名ばかり大学生は今日も行く;まとめと展望)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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この本は、最近の学生の学力低下を統計などを使ってあれやこれやと謳った内容のものではない。
そうではなく、現状をきちんと認識しなぜ学力低下が起きたのかを提示する。もちろんこれはただゆとり教育がだめだ、などという一般論で終始しているわけではない。
この本を読めばいかに現在行われている方策が実態にそぐわないものであるかわかる。
興味深かったのは、問題であるのは学力論ではなく、大学論である、というところ。
偏差値競争の問題はいったんその競争に脱落してしまったものは生涯勉強しなくなる、ということである。それだけならまだしもそれが子どもに続くからたちが悪い。
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現代の大学生に、ではなく日本の教育制度に危機感をもった。
現状への憤りをあらわにし、先入観やメディアに囚われずに分析して、今後の大学生の在り方や周りの大人達の態度に指針を示す著者の姿勢に好感が持てる。
学力低下はゆとり教育のせいだという報道にはじまる責任の押し付け合いや、異常な学費・アクセスの悪さ、学力社会において自身に価値を見出す難しさを述べている。現代の大学生が置かれている環境を知るには良書
もしもこの環境が、学ぶ・生きることへの意志を阻害しているのなら今後改善しなければならないと思う。
「なりたい自分の形成のために何を学びたいか」を問い、自分と向き合っていきたい。
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現在の大学入試、ならびに教育のあり方について考えさせられる一冊。
AO入試枠が増えつづける私立大学と、筆記試験の難易度が右肩上がりの国立大学。
「大学で何を学ぶかが大事」なんてきれいごとは、もはや言ってられないレベルにまで、教育格差は広がっている。
現実的な問題点を突きつけるのみでなく、解決策についても検討していて、現状批判にとどまらない点がすばらしい。