紙の本
世に教育を論じた著作は多い。そんなに教育が大事なら、これだけ財政が逼迫し、ほとんど国家が破産しかけているのだから「増税してでも文教予算を増やせ」というのが筋であろう。ところが本書を含め世に出ている大学論、大学生論、教育論のほぼすべては増税のゾの字もいわず、ひたすら「大学をタダにしろ。欧州の大学はほぼすべて国立大学でタダだ」「義務教育の教員を大増員して少人数学級を実現せよ」と叫ぶばかりである。
2010/02/01 11:30
17人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もうこの手の大学生論はうんざりである。特に本書のように著者の知的レベルにかなりの疑問符がつく(論理の矛盾や牽強付会が多すぎる)ものは、いい加減にやめてもらいたい。俗に「無い袖はふれない」という。そんなに教育が大事なら、全国民に教育のための大増税をお願いし、しかる後に教育予算充実を求めるのが筋だと思うがどうか。
本書には数少ないが面白い指摘も散見される。例えば日本の「大学生」の総体としてのレベルはどんどん低下しているが、それは少子化の影響で大学受験者数がどんどん減っているにもかかわらず大学定員は減らないので、「かつての暴走族レベルが大学に入れるようになった」だとか、その中で大学のレベル底上げに貢献したのが「女子学生の大移動」で、要するにかつては短大に通うこと(や女子大に通うこと)で良しとしていた女性たちが、短大(や女子大)を見捨てて大挙して四年生の大学に進学するようになったからという指摘だ。著者が西村和雄らが示した「分数の出来ない大学生」の中での議論の欠点を「大学教員による中学高校への責任転嫁」と一刀両断したのは清々しい。「生物学を知らない医学部生」「数学を知らない経済学部生」を嘆くなら、入学試験で生物や数学を必修とし、一定の水準に達していない生徒は落とせばよい、ただそれだけのことなのに、それでは生徒を定員通り集めることが出来ないので、大学が勝手に生徒を水増し合格させておいて、それを中学高校の教育レベルの低下であるかのごとく論じるのは筋違いだという著者の指摘には100%首肯する。特に面白かったのが、東京にある名門女子進学校の桜蔭中学校(2006年)と国立の和歌山大学(1995年)の入試問題を比較した箇所だ。両校とも同じ高階秀爾の「日本美術を見る眼」を出典とした国語の問題を出題しているのだが、ほぼ同じ制限時間ながら桜蔭の問題が字数にして400字超の回答を要求しているのに対し、和歌山大のそれは110字程度で難易度は桜蔭の方が遥かに上だと著者は指摘する。それもそのはずで桜蔭は卒業生240人中70人前後が東大に進学し、国公立の医学部や一橋・東工大も含めると約半分の120人程度が国公立の難関校に進学する。そしてそこにいけなかった生徒がやむやむ早稲田や慶應に行くのだが、それらの偏差値はいずれも70前後である。一方の和歌山大は偏差値で言えば、54前後。桜蔭に進学する12歳の小学生が解く問題の方が和歌山大を目指す18歳前後の高校生よりも遥かに高い学力を既に保持しているという指摘は重い。
でも面白いのはここまで。その他は、著者の論理の破綻というか、牽強付会が目に付く。例えば著者は大学生の学力低下問題を嘆く。そして「学ばぬ大学生は中途退学に追い込め」といわんばかりに日本の大学中退率が世界標準に比し異様に低い様を、あたかも問題であるかのごとくP.31にグラフまで添えて紹介する。しかし、日本と諸外国では大学と言う機関の社会的位置付けが違う。この違いを無視して、例えばかつて明治大学法学部の新見教授が試験の採点を厳格化し大量の落第生を出したところ、そのうちの少なからぬ学生が就職内定済みだったとかで社会的問題に発展したことを記憶している人も多いだろう。著者は大学生のレベルを上げるには競争が必須だという。それに私は完全に同意する。だが同じ著者が、小学校、中学校、高等学校での受験競争を「負けた人に心の傷を残し、百害あって一利なし」であるかのごとく論じるのは如何なものか。大学受験に失敗したくらいでトラウマになるなら大学で中退せざるを得なくなって就職先が見つかれなくなったら、もっと心の傷は深くなるのではないか。
著者が大学定員の削減に強硬に反対しているのも説得力に欠ける。「少子化で子どもが減っているにもかかわらず大学定員が減ってないから、かつての暴走族レベルまで大学に紛れ込んで来た」というなら、定員を絞るのが筋だが、それは「諸外国ではありえない愚作」などと断定する。諸外国は、この穴を海外からの留学生で埋めたケースが多いわけだが、日本語と言う特殊な言語環境で、かつ愚者の楽園化している大学の現状、更にはその蔭でろくな研究も業績もないまま定年まで居座る教授陣の現実をみると、そうそう海外から日本の大学に勇んでやってくる学生が増えるとも思えないが。それに留学生が増えるということは、日本人にはそれだけ入りにくくなることでもある。
著者の管理教育批判も噴飯ものだ。著者は自身の出身地である愛知県が実践した管理教育を口を極めて非難する。校内暴力の激増も援助交際も果てはモンスターペアレンツの出現もその淵源は管理教育にあると言い張る。しかし人口比に対し愛知県の校内暴力が明らかに多いといいつつ、著者がP.76に示したのは事件の件数であって人口比率ではない。それに著者は「管理教育に暴力と暴言は必須アイテム」などとほざくが、これは管理教育を履き違えた暴論だ。そもそも80年代に公立高校が教育熱心な父母から見捨てられ私立の中高一貫校に殺到するようになったのは公立中学高校の管理が破綻して不良が暴れまわる自然状態の中で、公立の教育レベルが暴落した「噂」が勢いを得たことが大きい。そもそも中学高校の教育なんか公立高校トップの都立日比谷や戸山だって、実はたいしたことはやっていなかった。ただ出来る生徒が勝手に集まって勝手に勉強していたのが実体で、だから出来る生徒が都立高校に来なくなった途端、こうした都立進学高校の実績は暴落したわけだ。だから公立がその地位挽回のためにまずやらなければならないのは「法と秩序」の回復なのだが、それをなぜか著者は批判する。筋が通らない。
東北大学が実践しているAO入試を無闇に称揚するのも問題だ。東北大がそれで成果をあげているなら、あげさせて置けばよい。日本の教育制度の最大の欠陥は全国一律という同一基準の全国適用で、個々の大学が個性的な方法で競い合う自由を公平の観点から縛り続けてきたことにある。ただ一般論として、暴走族が大学に闖入してくる手段になっているAO入試が、なぜ東北大では成功しているのか、納得できる説明はない(単に東北という地理的要因が背景か?)。
「ゆとり教育批判」を著者が批判しているのも変だ。この人のクセは「私は必ずしもゆとり教育を肯定しているわけではない(p.160)といいつつ基本的にゆとり教育を肯定する論法だ。しかし栗田哲也氏が『なぜ教育が主戦場となったのか』で指摘している通り、基本的に「総合学習」は知的レベルが相当高い特殊な集団相手にしか成り立たず、その他に無理やり押し付けても「何を調べていいのか分かりません」という幼稚園状態になるのが落ちであると私は思う。
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今まで読んできた「学力低下」関連本とは異なる視点。
日本の大学は、入るのが一番難しく、中での勉強と出るのは簡単、という統計データは見たことがあるが、これを人口の変化や女子進学率の上昇などと組みあわせて、大学の入試制度と大学教育の問題だと論じている。
大学関係者からは反論もあるだろうが、考え方としては非常に参考になった。
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2010/1/23 Amazonより届く
2010/1/24 一日で読了
最近の大学生の学力低下を主題に現在の教育制度の矛盾を論評している。大学教員が自分達の無策を棚に上げて学力低下の原因を高校などに押し付けている、というのは一理あるとは思うが、問題はそれだけではないだろう。途中ででてくる校内暴力、援助交際やモンスターペアレントの出現の原因について、一概には言えないが、としつこいくらい繰り返し結論的には自分の言いたいところに落とす論理構成はフェアではない。著者は大学入試をまず変えることで、高校以前の教育はがらりと変わるはず、というが、それだけではおそらく変わるまい。一流大学出の人間しかとらない企業、大卒だけが価値がある、とする日本人の認識全体を変えなければ。最近の政治の世界もそうだが、誰か、どこかに責任を押し付けてすむ問題ではないと思う。
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少子化の影響で誰でも大学に入れる。現役大学生としては確かにこのまま学校に通っていても・・と思うことがある。日本の大学は入ってしまえば出るのは簡単。アメリカの大学は入るのは簡単だが、出るのがものすごく大変。だから一生懸命勉強する。学力低下の根本にはゆとりが大きく関わっていると思う。日本の学力低下を正すには根本からの改革が必要だろう。
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現代の大学を取り巻く問題についての本。
日本の上位大学は確かに入るのに比べて出るのは楽に感じる。
下位大学は入るのも出るのも楽らしい。
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一概に「学力=受験に必要な能力」というイメージだが、それだけではないと感じた。
秋田や福井が基礎学力が定着しているにも関わらず受験成績が芳しくないということからも、日本の教育や学力論が何かおかしいと感じられる。
大学が、障害児にとっての支援学校のように、地域になにか還元できたらいいと思う。難しいとは思うが。
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社団法人全国学力研究会理事長、東進ハイスクール講師の河本敏浩による大学生論。
【構成】
1章 学力は本当に低下しているのか?
1、学力の現状
2、大学生の増員と少子化
3、二一世紀の大学生は、七〇年代の暴走族レベル
4、定員を絞ればいい?
2章 競争の激化は何をもたらすか
1、狭き門の問題
2、管理教育
3、荒れる女子高生
4、いびつな競争のかたち
3章 「学ぶ意欲」を奪うシステム
1、受験の現代史
2、絶望的な学力格差
4章 学力日本一・秋田の大学進学実績はなぜ伸びないのか?
1、秋田は成功事例なのか
2、勉強をやめる高校生
3、難しい試験の意義は?
4、奇妙な論理、奇妙な大学生
5章 日本の大学システムの問題点
1、名ばかり大学生は今日も行く
2、まとめと展望
少子化が進んだにもかかわらず、私立大学の学生定員はいっこうに減らない。その結果として、40%以上という高い大学進学率が達成されている。1970年代と比較すれば、当時は学力不足により大学進学ができなかった下位3割~4割のレベルでも、現状は希望さえすれば大学進学できると言う状況である。
本書は、全体として、私立中高一貫進学校を引き合いに出して、単純な学力低下批判・ゆとり教育批判は退けながらも、試験一発の大学入試についての疑義を投げかけている。
最後の提言が、大学のオープンキャンパスの奨励、高校の学費無償化、古典の読了義務づけと並んでいるが、何だかなぁという印象である。
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タイトルを見ると安直なゆとり批判の本かと思いきや、大学生およびそれを取り巻く環境の問題点を「ゆとり」の一言で片付けず資料を元にわかりやすく指摘している良本だった。最近の若者の学力が問題なのは「ゆとり世代」だからではなく、少子化・大学増加・AO悪用による「勉強させない環境」にあることがわかった。と同時に日本の教育行政に危機感・末期感・無力感をおぼえた。
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学校が就職の予備校であるわけはないのだが、そのようになりつつあるようにおもえる。しかし昨今、一流大学にして就職できない学生が居て、競争入試から推薦入試、特技入試の学生の習熟度低下が大学の教員側から嘆かれている。
そのためかここへ来て、大学が学生にとっての通過地点で、学生という名の熟度不足の製品を世に送りつつ、経営だけがつづけられる大学を皮肉っているようでもある。
入試地獄や詰め込み教育がいわれるが、教育が勝組にわかれるのか、負け組みに分類されるのか。その線引きになっていることを言いたいのではと、思いはせるのであるが。
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本題とは裏腹に大学生を批判する本ではない。むしろ、そういった状況を作り出した大人たちや批判だけし続ける大人たちへの批判をした本。
予備校の先生であるから多くの大学生・高校生を見てきているのだろう。とても明快ではっきりとした批判をしてくれていて気持ち良い。
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面白かったです。
タイトルを見たときに、近頃の大学生を嘆き、大学までの教育
(小、中、高)について批判する本なのかと思いました。
しかし、筆者は大学や社会の変化に名ばかり大学生を生む原因があるとし、大学入試制度が変われば、高校、中学、小学校などが変わっていくとしています。
ちょっと言いすぎだな~と思う部分もありますが、勉強になりました。
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[ 内容 ]
21世紀の大学生は、70年代の暴走族レベル?
入試問題や教育関連の統計データの分析から、新たな視点で教育問題に対する処方箋を提示する。
[ 目次 ]
1章 学力は本当に低下しているのか?(学力の現状;大学生の増員と少子化;二一世紀の大学生は、七〇年代の暴走族レベル;定員を絞ればいい?)
2章 競争の激化は何をもたらすか(狭き門の問題;管理教育;荒れる女子高生;いびつな競争のかたち)
3章 「学ぶ意欲」を奪うシステム(受験の現代史;絶望的な学力格差)
4章 学力日本一・秋田の大学進学実績はなぜ伸びないのか?(秋田は成功事例なのか;勉強をやめる高校生;難しい試験の意義は?;奇妙な論理、奇妙な大学生)
5章 日本の大学システムの問題点(名ばかり大学生は今日も行く;まとめと展望)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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この本は、最近の学生の学力低下を統計などを使ってあれやこれやと謳った内容のものではない。
そうではなく、現状をきちんと認識しなぜ学力低下が起きたのかを提示する。もちろんこれはただゆとり教育がだめだ、などという一般論で終始しているわけではない。
この本を読めばいかに現在行われている方策が実態にそぐわないものであるかわかる。
興味深かったのは、問題であるのは学力論ではなく、大学論である、というところ。
偏差値競争の問題はいったんその競争に脱落してしまったものは生涯勉強しなくなる、ということである。それだけならまだしもそれが子どもに続くからたちが悪い。
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現代の大学生に、ではなく日本の教育制度に危機感をもった。
現状への憤りをあらわにし、先入観やメディアに囚われずに分析して、今後の大学生の在り方や周りの大人達の態度に指針を示す著者の姿勢に好感が持てる。
学力低下はゆとり教育のせいだという報道にはじまる責任の押し付け合いや、異常な学費・アクセスの悪さ、学力社会において自身に価値を見出す難しさを述べている。現代の大学生が置かれている環境を知るには良書
もしもこの環境が、学ぶ・生きることへの意志を阻害しているのなら今後改善しなければならないと思う。
「なりたい自分の形成のために何を学びたいか」を問い、自分と向き合っていきたい。
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現在の大学入試、ならびに教育のあり方について考えさせられる一冊。
AO入試枠が増えつづける私立大学と、筆記試験の難易度が右肩上がりの国立大学。
「大学で何を学ぶかが大事」なんてきれいごとは、もはや言ってられないレベルにまで、教育格差は広がっている。
現実的な問題点を突きつけるのみでなく、解決策についても検討していて、現状批判にとどまらない点がすばらしい。