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エスノグラフィーからメディア表象までレビューしつつ、多義的なヤンキー≒族の変容を論じている。『族の系譜学』と合わせて読むとおもろい。個人的には、ファンカルチャー文脈で「ヤンキー的な男子の一部は、70〜80年代の女性アイドルブームと共鳴し」(128)、「アイドル親衛隊は単なるファンの集まりではなく、厳しい上下関係と統制のとれた声援、鉄の規律と結束を暴走族より継承していた」(130)という指摘がおもしろかった。あとバンギャルのヤンキー的な文脈や、サッカー・ファンダムの類似性。ヤンキー・メディアから再生産されるヤンキーとか。ソーシャルメディアとファンダム、あるいは分化するトライブを考える上の前提としてとてもヒントになる。
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ヤンキー文化が大好きでもない著者がこの一冊を仕上げるのは結構な苦行だったのではと想像する。ただ、学術的には埋もれてしまってもおかしくない内容を体系的にまとめようとした努力は評価。資料だけに頼っている点は著者も述べているようにやはり弱い部分ではあるか。(出典が追えるという面もあるが)
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ヤンキーとは?
70年代に流行った「反両親、反学校の文化に、アメリカ文化(米兵由来)」が混ざり、日本に土着したもの。
彼らの特徴は、
・社会の下層
・旧来の男女の役割に忠実。総じて、早熟・早婚、で地元志向。
現代においても、もちろん彼らは、健在である。
漫画、ファッション、その他の文化に食い込み、居場所(ジモト)を確保する能力は見過ごせないものがある。
就活においても強みを発揮する。
彼らは社会的にタフなのである。
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日テレでいまさらの「今日から俺は!!」のドラマ化がなぜかヒットという、コンテンツとしての不良モノの底力は時代を超えて鉄板化している気がします。ヤンキーという言葉の成立、文化の変遷をメディアから細かく丁寧に拾い集めていく、10年前の新書をなぜか今、読みました。10年前に提示されたヤンキー的なるもの、は実際の不良行為と離れてますます、日本人のDNA化しているように感じるのは、ますます格差社会は固定化して社会の流動性がなくなっているからなのではないか、と思いました。ジモトへの偏愛の延長にある愛国マインド、絆という同質性の閉鎖コミュニティ、気合上等などの精神性への過信、そんな日本に入管法が改正され外国人労働者がドドーンとやってきます。BREXITやメキシコ国境の壁とか、日本も世界のポピュリズム現象、追っかけそうな予感。音楽とかファッションのバッドテイスト好みのレイヤーで止まっていればいいのですが…
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20190310~317 「ヤンキー」の語源、その発生過程、ファッションや独特な文化の変遷を、色々な媒体(ヤンキー漫画や雑誌、映画など)からひも解いている。とはいえ、引用文献や取り扱っている題材が、普段自分が読んでいる文章や親しんでいる価値観からは間遠なため、読み進めるのに苦労した。おそらく本当のヤンキーはこの本(新書)を手に取ることはないだろう。自分自身は、ヤンキー的なものは、面白いと思うし興味があるからこそ本書を(買ってから数年たつが)読んだのだけど、わが子がこうなったらちょっと困るかなあ、と思った。
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ヤンキーは、意外と新しい。竹の子だったり、パンクスだったり、親衛隊だったり、暴走族だったり。ツッパリというのもある。ヤンキーといえば…というイメージは後でから作られたものというのがおもしろい。