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[ 内容 ]
政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって経済成長率を高め、豊かで強い国を作るべきだ―「経済学の祖」アダム・スミスの『国富論』は、このようなメッセージをもつと理解されてきた。
しかし、スミスは無条件にそう考えたのだろうか。
本書はスミスのもうひとつの著作『道徳感情論』に示された人間観と社会観を通して『国富論』を読み直し、社会の秩序と繁栄に関するひとつの思想体系として再構築する。
[ 目次 ]
序章 光と闇の時代
第1章 秩序を導く人間本性
第2章 繁栄を導く人間本性
第3章 国際秩序の可能性
第4章 『国富論』の概略
第5章 繁栄の一般原理(1)―分業
第6章 繁栄の一般原理(2)―資本蓄積
第7章 現実の歴史と重商主義の経済政策
第8章 今なすべきこと
終章 スミスの遺産
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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道徳感情論が新鮮だった。
国富論の見えざる手に疑問を持っていた僕にとって、
アダムスミスの見方が、変わりました。
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アダム・スミスの代表的な著書である「国富論」がどのような背景で書かれたものなのかを、同じく代表的な著書である「道徳感情論」とあわせて解説する。
一般に「見えざる手」で有名な国富論。規制・規則をできる限り排除し、自由に任せれば、市場は自然と繁栄していくという考え方。しかし、じつはなんでもありの自由ではなく、ある程度のルールを定めないと、破壊を招くという警鐘をしていた。
「社会秩序」と「社会の繁栄」
共感は人類皆が持つ感情。
自己とは異なる、内なる公平な比較者を通して、相手の気持ちを理解する心の動き。共感が働くということは、社会秩序が形成されるような安定化の仕組みになる。
幸福とは、「平静」と享楽である。完全なる平静があれば、それ以上の幸福はない。
しかし、一方で、社会が「繁栄」する為には、内なる虚像、虚栄心、野心などにだまされる「弱さ」が重要である。平静であるのに必要である以上の富は、さらなる幸福をもたらさない為、最低限の富さえあれば、「賢人」はそれ以上の富を欲しないが、「弱いもの」は富の最大化が幸福の最大化だと信じている。
そして、その弱さによる富の最大化を目指すことが、社会の繁栄に通じる為、悪いことではない。
足るを知るということかな。
資本の分配。
資本は農業→工業→外国貿易の順に投入していくべき。
18世紀ヨーロッパはこれが逆に動いた。
日本も農村の票を気にするのではなく、農業を近代化する為に、農民改革をして、効率的な農業のみ生き残るようにするべきである。
効率的な農業をすることにインセンティブが働くような規制緩和が必要。農協による保護政策も悪いが、経済界による貿易重視政策も良くない。
日本を始め、先進国は発展途上国などを搾取している。先進国は国自体が既得権益者であり、日本の既得権益者の保護政策を笑うことはできない。
世界の食糧事情や水の事情が悪いのであれば、先進国は積極的に利益分配を行い、世界中の人々の最低限の生活を保障する世界を作るべきである。
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今、景気の回復が世界中の最大の関心であるが、そもそも経済発展の先に、私たちが求める幸福とはなんだろう。一人ひとりが幸せになれる社会とは、経済の仕組みとはどのようなものだろう。一人ひとりが幸福になれる経済社会を作るには、目の前の数字を上げることだけが大事なのではなく、信念や思想、人間に対する深い洞察が必要だということを改めて実感させてくれます。経済ニュースを見る目が変わると思います。
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断片的に都合よく使われるアダムスミスだけど、
本当は
人間の共感力とか
畏怖する気持ちとかに基づいて
それらがあるので、
数字だけじゃ、
やっぱり組み立てられないわけですよ。
人間だもの。
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読んでる途中なので、書きかけです。ご了承下さい。
一応、大学では経済系の学部を出たのですが、よくある話で勉強的に覚えていることは少ないです。(^_^;)
バブル崩壊以降なかなか復活しない日本経済、リーマン・ショック後に再度疑問を投げかけられた自由主義経済、新興国の発展によって拍車がかかるエネルギー問題・環境問題。
これらに対して経済学は薬になるどころか、むしろ「悪」って印象が世の中にある気がします。
じゃぁなんで経済学があるんだろう?経済学ってホントは何なんだろう?と思いこの本を読むことにしました。
この本を選んだ理由
堂目先生・・・大阪大学の教授。雑誌で経済学者1人を1ページで説明する連載をやっていた。判りやすく面白かったのだけど、惜しくも雑誌が廃刊に。堂目先生が書いた本を1冊読んでみたかった。
アダム・スミス・・・言わずと知れた「経済学の父」。やっぱりまずはオリジンにあたってみるべきかなと・・・。
ところが実はアダム・スミスは元々道徳哲学の教授だそうです。有名な『国富論』とその前にだした『道徳感情論』の2冊しか世に出さず、死ぬまでこの2冊を改訂していたそうです。
『道徳感情論』・・・「経済学の父」が「何で道徳?」っていう単純な興味です。
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今途中まで読んだが、面白いし読みやすい。
筆者の方も、アダムスミスの考えを、全体的に理解しているし、正しく理解していると、あくまで思う。というのも、私はアダムスミスを読んだことがないからだ。
しかし、逆に言えば、アダムスミスの著書を読もう、読みたいと言う気持ちになってきた。そういった意味で、この著者の方の目論見は半ば達せられていると言える。アダムスミスの思想がうまいことまとめられている感じはするので、国富論や道徳感情論を読もうか迷っている人はこの著を読むといいと思う。
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まとめなど
歴史を見てみると、確かに諸個人が私利を追求することで社会は反映してきた。
農村社会において地主が富を求めることで、土地改良が行われ生産性が増大した。工業、商業の発展においても富を持つもののいい生活を得たいという野心によって投資が行われたことが寄与している。
だが市場は参加者の不正や独占によって歪められ、富を分配するという機能が十分に働かないことが歴史によって証明されている。そのため市場を監視する中立機関が必要となるが、腐敗した政府によってしばしば国内市場は歪められ、貿易によって国際紛争も引き起こった。
よってそのような機関が存在することも必要であるが、それら機関に従事する人や市場に参加する人が胸中の公平な観察者によって規制され、行動する必要がある。
そのためにはその社会が道徳的に成熟していなければならず、諸個人が自らの生活、平静な生活において何があれば足りるのかを心の奥底で知っていなければならない。
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「道徳感情論」を踏まえて、「国富論」をどのように読むべきか。終章がよく整理されており、これで充分、という感なきにしもあらず。秩序と繁栄につながる人間の性質など興味深く、一度「道徳感情論」も読んでみたい。
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本書は、アダム・スミスの二大著書『道徳感情論』『国富論』を俯瞰することによって、アダム・スミスの描く世界、および両書の関係性を紐解くことを試みた本である。
アダム・スミスは自己と他者との感情、とりわけ同情に関心があり、その相互作用のいかんによって国家の繁栄が決定づけられることを論じた。彼の論じた内容、すなわちアダム・スミスの描く世界は、思うに徹底した人間観察から得られる経験的な推論と、そこから想像力を駆使して論理的に導かれる帰結を描いた実証研究、および世界がどのようになるべきかという規範研究の両方が含まれており、その内容は現代社会をよりよくするための含意も多い胃に含まれているように思える。
一方で、『道徳感情論』と『国富論』の関係性についてだが、『道徳感情論』は上述した内容を理論的に説明したものであり、一方で『国富論』はその理論を実施に社会に反映するにはどうしたら良いかという具体案であると述べられている。
本書は、アダム・スミスの思想のエッセンスを、具体的に、しかし分かりやすく解説しており、とても良書のように思えた。この本を読んで、『道徳感情論』を実際に読んでみたいと思うようになった(『国富論』も読んでみたいと思うが、個人的にはアダム・スミスの道徳哲学に興味があるので、どちらかというと『道徳感情論』の方が読んでみたい、という気持ちである)。
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最近ならアベノミクスが流行ですが、新聞なんかの経済の解説記事でケインズとアダム・スミスがちょろっと引き合いに出されることが多いが、本当のところは良く分からない。でもだからといって例えばスミスの「国富論」を読むのはしんどい。そういうときにこの様な解説本がとても便利です。この本によると、スミスは「道徳感情論」と「国富論」しか書籍としては出版していないらしい。「道徳感情論」では、経済活動を担う単位としての社会的存在としての人間の本質を論じている。社会の規範とか正義、慈恵、道徳感情などがどのように形成されるか、個々人はどのような感情で行動するか、幸福な状態とは何か、そういうものが分析されています。面白いのは人間の「弱さ」を認めていること。その「弱さ」こそが欲を産み、結果として社会に富をもたらす。有名な「神の見えざる手」は市場価格の決定の話とか、自由な市場のおいて誰もが自分の利益だけ考え利己的に振る舞って競争すれば自然と社会が豊になる、というような放任主義的に思われているが、スミスは自由な市場においても個々人の「フェア・プレイ」つまり公正さが必要であるということには言及しているらしい。自由な市場では道徳に反するような悪いこと、不公正なことをする奴がいたらダメ、ということ。スミスは非常の現実主義的な人であったようで、そのような自由で公正な市場が理想的ではるが、現実は全く違っていて富を独占する人々がいる。だからといってその状態を急激に改革しても反発があるからダメで、徐々に向かわなければならない、と考えていたようです。
これらの書物が書かれたのは1700年代後半、つまり、重商主義的な政策(スミスはこれを批判する)のもとイギリスとフランスなどが植民地を巡って戦争ばっかりやっているなか、アメリカで独立戦争が始まった時期。
スミスの有名な「国富論」って原題は「Wealth of Nations」だから、正確に訳すと「諸国民の富」とか「万民の富」らしい。別に、ある特定の国家の繁栄の方法の解説というのではなく、いわゆる自由でかつ公正な市場経済が世界中で発達すること、保護貿易的な規制は無くした自由で公正な貿易を通じてやりとりをすることが絶対的に全ての人に富をもたらす、ということが考察されている。
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おすすめ教養本として紹介されていたので購入。
著者は堂目卓夫氏は阪大教授。
感想。アダムスミス→「国富論」、と世界史の一問一答的な理解しかない私みたいな者でも読みやすい。文章もわかりやすく丁寧。
ただ、一部興味の惹かれないテーマが出てきてた時、読む気がなくなる。何とか飛ばし読みで読破。
備忘録。
・アダム・スミスの著書は、「道徳感情論」と「国富論」の二つしかない。
・「道徳感情論」。人間には、胸中の公平な観察者を通して、他人の行為や感情の適切性を判断する能力(=同感)がある。例えば、私があなたと同じ立場なら同じように嬉しい、とか、いやいや喜ぶことではない、とか。この経験を積み重ねることで、自分の行為や感情についても、公平な観察者ならどう思うかを想像するようになる。道徳を学ぶってっことか?。こうして社会の秩序は保たれる。
・同感を通じで人間は「嫉妬」を覚える。嫉妬は野心を産む。特に当時は富と地位に対する野心を産み、これが社会の繁栄に繋がるという。
・「国富論」。「見えざる手」→市場メカニズムの価格調整メカニズムってのが有名だが、「見えざる手」というフレーズは1度しか出てこないらしい。国富論では「道徳感情論」の社会観に立って、社会繁栄を促進する原理として、資本蓄積と分業を考察。資本+分業→労働生産性向上→社会繁栄→非労働人口の割合が高くても生活できる富める社会。
・「交換」する習慣が「分業」を可能にする。
ほぼ本文引用。まとめるの無理。
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高校で教わったスミス像と全然違っていた。ミクロやマクロが経済学だと思っている人は、これが経済学の出発点なのかと驚くこと必至。
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アダムスミスといえば「神の見えざる手」
しか知らなかった私です。
こんなにも優しくて情熱に溢れる人だとは思わなかった。
「道徳感情論」「国富論」通して
人に対する微細なまでの分析と“弱さ”も受け容れて
それもまた必要な要素であるとするところに愛が感じられる。
スミスが求めた“経済成長”は、
社会の最下層の人までもが恩恵を受けるためには
という想いが根底に流れていることに感動。
貿易を通して海外への知見を深め
不要な“国民的偏見”を取り除くという考え、
また、富を使うことで人々が繋がるなど
とても有機的な社会のあり方を経済学が目指していたんだということを知れてよかった。
「国富論」そのものも読まなあかんのやろうけど、
とりあえずは本書で読んだ気になっておこうと思います。
最後に、
「資本家はそれを意図することなく、経済成長の真の目的ー最低水準の富すらもたない人びと、世間から無視される人びとに仕事と所得を得させ、心の平静、すなわち幸福を得させることーを達成する。私たちは、市場の価格調整メカニズムと同様、成長の所得調整メカニズムをも「見えざる手」と呼んでよいであろう。そして、この場合の「見えざる手」とは、貧困と失意の中で苦しむ人びとに自然が差しのべる「救いの手」であるといえる。」P202 L4〜L9
に著者の暖かさが宿ってる気がする。
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いwwwまwwwさwwwらwwwとは思うけど、代表的な思想くらいは知っとこうと思って長らく積んでおいた本。とても面白かった。優れた古典経済学者は、同時に優れた人格者でもあるというのがよく分かる解説本だった。
そもそも「神の見えざる手」が成り立つには、経済に参加している各人が道徳心を持ち個人の幸福を探求していることが前提になるというのが氏の唱えたことらしく、その例として出てきた「胸中の公平な観察者」という考え方にすごく感銘を受けた。
人は経験をもとに「公平な観察者」を自分の判断基準の外に形成し、彼の是認/否認により自分や他人の感情・行為は第三者的に判断される。と同時に、主観としての私は判断をフィードバックされ、その基準で是認されるような価値観・生き方にするよう努力していくという。正にそんな人生を作りたい。
あまりにもレベルの低い例だが、お腹が減ったから無意味にファーストフードを食べたり、コンビニに寄ることは公平な観察者からすれば堕落に繋がるものであり否認されるべきことであるから、僕は彼の判断に従ってその行動をするべきではないと判断せざるを得ない。
その考えに基づき、個人の幸福を求めることで経済活動に参加するというスタンスを取るのが市場におけるフェアプレーの精神なんだとか。英出身の大学同級生が、一番侮辱的なのは「あなたはフェアじゃない」と言われることだと当時言っていたが、少しその心持が分かった気がした。実行できるかなーw