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なんか自分には染み入らなかった。常々へんてこに対する人間の苦悩恐怖もがき羞恥、そういうのを追いかけてる気がするが、この作品は自分には美しいファンタジックな世界への賛美としか感じとれず薄味だった。丁寧に作られた郷土料理をふるまわれ、素材の良さを感じ取れなかったみたいな。
冒頭に、聖者とは罪人とはその本質を
語る部分がある。我々は自分にとって不愉快な人間を罪人と考えたがるが、その行動事態は人情である。盗人は未発達な人間にすぎない。悪とは関係ない。非常に興味深い匂わせが書かれているがそれが具体的じゃなかった。
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表題作は「パンの大神」や、NLQ.Vol17収録の「変容」を読んでいたからか、あぁマッケンってこういうテイストよね―と読めたのだが、「生活のかけら」はどうもわからない。中盤から何やら事件が起こって物語が大きく動き出しそうなエピソードはあるのに、そこはろくに回収されないまま終盤もよくわからない方向へ行って物語が終わる。中編といっていい長さだけど、じつはまだ続きがあったんじゃないかとも感じられる。
『翡翠の飾り』からの三編は、肝心な描写を避けて物語を放り出したような感じだが、最後の「儀式」は魔女伝承と思春期を迎えた少女の精神の不安定さ、女性に対する著者マッケンの不可解さを伴う神聖視みたいな、「パンの大神」や「白魔」、「変容」に通じるテーマがあったようにも思った―と苦し紛れな感想。
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完全にあっちの世界に行っちゃてるのがファンタジーで、狂気か神秘か、現実とのあやふやな境界を行ったり来たりするのが幻想小説あるいは怪奇小説である。これは現実なのか脳内で起きてる狂気なのか。現実って何だ?「白魔」は善悪論争から始まる。殺人者と虎のような野蛮な人間の違いは何か。悪の基準は社会の色眼鏡で見たものに過ぎない。悪意なく悪事を働くこともある。違いは悪意の有無?その具体例として借りた一冊のノート。それは一人の心優しい女性が白い妖魔たちに囲まれて育ち周囲に隠れて常識人には悪である向こうの国に行き来した手記だった。マッケンは神秘を否定する人物を登場させながらその存在を肯定する。「生活のかけら」は幸せな若い夫婦の日常の中で、神秘に触れる周囲の人たちを笑いながら、徐々に昔の記憶が蘇り妻を怯えさせながら向こうの世界に引き込まれてしまう男の話だ。そうなると神秘の描写は一貫しマッケンの筆は冴え渡る。ウェールズで生まれた幻想小説の巨匠マッケンの小説の登場人物はそこに幸福を見つけるが、読者を不安定な気分にさせる。マッケンが子供の頃に夢見たことへの郷愁と大人の常識目線による不信感を併せ持つから。つまり彼自身が妄想好きな常識人だったからだろう。ピーターパンや不思議の国のアリスと違い、マッケンの小説がファンタジーにならないのは、未知なるものへの不安を感じさせるからに他ならない。
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ヴィクトリア朝時代の英国ウェールズに産まれた稀代の作家アーサー・マッケン。牧師の子であったがアーサー王伝説の色濃いウェールズで育った故か、神学と同時に隠秘学(オカルト)にも傾倒し、前期はケルト神話やギリシア神話をモチーフとした幻想的な怪奇小説を連続して発表したが、いずれも当時の価値観に合わず「不道徳な汚物文学」として批判された。
本書は翻訳家である南條竹則による「彼岸」と「女性」をテーマにしたマッケン作品の選集である。
以下、ネタバレ無しの各話感想。
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『白魔』
緑色の手帳に残された少女の手記。幼少の頃より人ならざる存在を認識していた彼女はある日、迷い込んだ森のなかで「白い人」に魅せられたことを機に、この世ならざる世界に足を踏み入れるようになる――。
(東雅夫曰く「マッケン流妖術小説の極北」。怪奇小説ではあるが、どちらかというと少々恐怖演出のあるファンタジーの体でなんとも幻想的な作品。本作で散見されるアクロ文字などの独特な単語は、やがて形を変えてクトゥルフ神話に取り込まれることになる。平井呈一が「渦巻」と訳した箇所を南條は「ヴーア」と固有名詞として訳しているので、平井呈一訳に不満があるクトゥルフ神話のファンはぜひこちらも読んでみてほしい。)
『生活のかけら』
平凡な銀行員であるダーネル。ある日、妻の叔母から百ポンドの小切手が送られ、妻と使い道について意見を重ねていく。また、空き室を誰に貸すかという問題や女中の交際相手に対する問題、更に叔父の浮気疑惑まで飛び出し、ダーネルの周囲は俄に騒がしくなっていく――。
(最初は平凡な銀行員の周囲で巻き起こる騒ぎを描いているだけと思いきや、所々に非日常的なナニカを飛び出させて、これがそういうものではないことをアピールしてくる。しかし不気味ではあるものの恐怖感は薄く、幻想的な不穏さを漂わせるに留まっている。そこまでの展開や結末を含め、ラヴクラフトを経験している人であれば受け入れやすい内容だろう。)
『翡翠の飾り』
同名の短編集からテーマに合った3つの掌編を選出。いずれも占いにハマった女子学生のように、魔道に入り込んでいく少女たちの姿を幻想的に描いている。
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※余談
マッケンが生活していた時代の英国において、妖精の存在は現在までに伝わる「虫の羽根の生えた小人」といった扱いで、良く言えば洗練、悪く言えば歪曲されていた。一方でイングランド以外の地域には原型としての妖精譚が残っており、それがマッケンの作風に影響を与えたとされている。
またラフカディオ・ハーン、小泉八雲はマッケンと同時代の人間であり、アイルランド人である父親の影響もあってケルト文化、ひいては妖精の伝承も嗜んでいたことは、日本を「小さな妖精の国」と呼んだことからも明らかだ。ヨーロッパの妖精とアジアの妖怪の特性が似通っていることから、八雲が妖怪の伝承に入れ込んだように、もしマッケンが日本に来ていたら、同じように妖怪にハマったかもしれない。