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一度以前の訳のものを読みかけたのですが、訳が古いこともあり挫折してしまったことがありました。原本自体が古いというのもあってやはり少し古さを感じる文章ではありましたが、この新訳は非常に読みやすかったです。タッジオの美しさの描写が尋常じゃなく美しかったです。色々な詩歌からの引用が散りばめられた散文ですね。あと、視線に関する描写が印象強く(タッジオが最初は視線を慎ましく伏せ、それから見上げる…など)残り、視覚的なものが強い作品だと思いました。映画を見たことはありませんが、あちこちで見た写真のビョルン・アンデルセンの人間離れした美少年振りと言ったら!
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劇的で美しくて破滅的で準古典ならではの明快さ。題材には時代を感じるけどこの美しさは普遍だと思う。ってか個人的にこういうお話は大好き。
新訳読みやすかった!でもなんとなく味がなくてさっぱりした感じ。話はよく分かったから重厚な古い翻訳で読んでみたい。
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これは…なんというか…おお…(せんりつ)。
圧倒的な耽美と官能と退廃に酔います。
指先ひとつ触れないのに、瞳しか見てないのに、しっかりうしろぐらいエロスが存在するんだもの。
古びるなんてとんでもない、これぞ古典と言うべきなのでは。
ずっと読みたい読みたいとは思ってたんだけど、読んでよかった!
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高貴で有能な精神はなによりも認識の鋭く苦い刺激を速やかに徹底的にうけつけなくなるようである。
太陽は知性と記憶を大いに麻痺させ、呪縛する、その結果、魂は深く満たされて自分の本来の状態を忘れ果て、陽光の恵みを受けたものの中で最も美しいものに驚愕し、それを讃美し続ける。
余すところなく感情となることのできる思想、余すところなく思想となることのできる感情、それは作家の幸せである。
なぜなら美は、パイドロスよ、ここをよく注意してくれよ、ただひとつだけ美が紙のものであると同時に肉の目で見えるものなのだ。
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濃厚な死の気配。
老作家、アッシェンバッハを魅了して止まなかった青白い顔をした美少年タッジオ。彼は、性別や生死をも超越したような存在に思えた。
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だいぶ前に読んだので,詳しくは覚えていません。
もう一度読み直したら、書き直します。
トーマスマンで読んだ記憶があるのはこの本だけかも。
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今月12冊目。今年の48冊目。
20世紀の作家トーマス・マンの作品。まぁよくわからなかったていうのが感想です。もっと正確に言うと、書いてある内容はわかったけど、この本の面白みや何を伝えたかったのかが、今いちわからん。まぁテーマは少し斬新だとは思ったけどね。こういう外国の古典はやっぱ作家の背景や国、歴史をしっかり調べないと面白さはきっとわかりづらいんだろうなーと思いました。
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ヴェニスではなくてヴェネツィアに死す。そんなところまで現代的な訳なのがちょっとだけおかしい。
話の中身は単純というか、タイトルで語り尽くされている。アッシェンバッハ老がヴェネツィアにやってくること、老いらくの恋のためにその地を去ることができずに死を迎えること。そんなに単純なのに人を惹きつけてやまないのは、そんな話の古典であるからこそ。
中編ということもあって、岩波でもそんなに読みにくいわけではなかったが、現代語訳をウリにしているだけあって、読みやすさはひとしお。そんなこともあって星は文句なしの5つ。
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映画のイメージがどうしても先に立ってしまうけれど、非常に面白かった。アッシェンバッハは幸せに死んでいったのだなと思う
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面白みのある作品ではないが、魅力的である。美少年に対する想いが延々と綴られるので、若干人を選ぶ本ではある。映画のほうが良いかもしれない。訳者別に読み比べる価値はある。
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懸命な仕事ぶりで多大な業績をあげた初老の芸術家が、保養先で美少年に出会い、恋に落ちていく様子を描く。それまでの人生からすればまるで逆の生き方、すなわち欲望のままに生き、堕落して行くさまはデカダンスと言えるが、一方で人間らしくまっすぐな生き方であるとも言える。一貫してゆったりとした調子で物語は進んでいくが、その結末はあまりにも甘く、悲しい。
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うーん、この訳は少々いただけん。
読むのに骨が折れるとは、新訳を選んだ意味が無い。
まぁ内容も必ずしも現代性を持ち併せていないというか、この作品を遥かに超えた現実があるからなぁ、、、
しかしヴィスコンティは凄いな、映画が原作を完全に超えた作品ってなかなか無いですよ、異様な映画で必見の一作かと。
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同性愛の要素はあるけれども、
決して露骨なものではなく、
美の象徴、といった感じのもの。
その時代ではピークを過ぎた作家が
出会うことになった輝ける存在。
その魔力ゆえに、彼は彼が感じえていた
動物的勘を鈍らせて、結局は最悪の
事態を招いてしまいます。
人は誰しもがこういった危険をはらむもの。
こういった例ではないにしろ、
いつ、どういったことで、「どうしてこうなった」
になることか。
だけれども、最悪の事態と引き換えに、
堪能できた一時の夢は、美しいものでした。
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【本の内容】
高名な老作家グスタフ・アッシェンバッハは、ミュンヘンからヴェネツィアへと旅立つ。
美しくも豪壮なリド島のホテルに滞在するうち、ポーランド人の家族に出会ったアッシェンバッハは、一家の美しい少年タッジオにつよく惹かれていく。
おりしも当地にはコレラの嵐が吹き荒れて…。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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トーマス・マンの代表的中編のひとつ。
ヴィスコンティの映画でも有名。映画はテレビでちらっと見たことがある。
内容は、よく知られているとおり、確固とした名声を築いた初老の小説家が、避暑地のヴェニスで美少年に魅せられるというもの。
20世紀を代表する大小説家であるトーマス・マンが、堅実で緻密な描写で、一人の芸術家の破滅を描いた作品。
おそらく傑作なのだろうが、個人的にはあまり面白くなかった。読んでも読まなくてもどうでもいいと思った本。
ドイツのくたびれたインテリおやじが恋する相手が美少年ではなくて美少女だったら、もう少し関心がわいたかもしれないが。
それに翻訳がどうも、イマイチなような気がする。
この光文社古典新訳文庫は、世界の名作といわれている作品を、新しい飜訳で紹介しようという画期的な企画で(いま、息をしている言葉で、もういちど古典を!)、ラインナップも飜訳の出来映えも素晴らしいの一言。
できればこの文庫で出る本は全部読んでみたいと思っているのだが、飜訳にはじめて不満を感じた。どこが、とははっきりいえないのだが。
そういえば、昔この作品は読んだはずなのだが、内容はすっかり忘れていた。昔もやっぱり退屈だなあと思いなが読んだんだろうか。それなら2度ムダな時間を使ったことになるなと思いながら持っている岩波文庫を見てみたら、20年以上前に一度読んでいることが判明。
しかも、アンダーラインなんか引いていて、けっこう感動した気配がある。
そうだったのか。
しかし、いったい何に感動したんだろう。
むかしは美少年方面に関心があったんだろうか。
チェックしている部分を読んでみると、どうやらその方面ではなくて、主人公のストイックな姿勢に関心を持ったようだ。その部分を読んでみると、なぜ新しい飜訳に不満を持ったのかわかった。
昔読んだ岩波文庫版。訳者は実吉捷郎。
この部分は、トーマス・マンの作品中でも有名な部分。
アッシェンバッハは一度、あまりめだたぬ個所で、現存するほとんどすべての偉大なものは、一つの「にもかかわらず」として現存し、憂患と苦悩、貧困、孤独、肉体の弱味、悪徳、情熱、そのほか無数の障害にもかかわらず成就したものだ、と端的に言明したことがある。(p18)
新しい飜訳では、
アッシェンバッハはかつておよそ目立たない箇所で、現存するほとんど全ての偉大なものは「にもかかわらず」として存在する、悩みや苦痛、貧困、孤独、病弱、悪徳、情熱、そして何千もの障害にもかかわらず成立したのだと、ダイレクトに語ったことがあった。(p21)
ほとんど同じような文章。
ただ、新訳版は、最後に「ダイレクト」なんてカタカナを使ったせいで、文章の格調が台無しになっている。まるで博多の森を「レベスタ」といってしまったときのようなガックリ感が漂う。
どうやらそういうセンスのなさと、この作品全体を流れる高い格調と美的な緊迫感があっていないようだ。
あるいは、
岩波文庫版
一体世の中に、弱さのもつ壮烈以外に、壮烈というものがあるだろうか
(p19-20)
新訳版
そもそも弱さのヒロイズムの他にどんなヒロイズムがあるのか
(p23)
「弱さのもつ壮烈」というとなんとなく伝わってくるものがあるが、「弱さのヒロイズム」となると、なんのことやらさっぱり。
違いはカタカナ使用の有無だけではないようで、たとえば、
岩波文庫版
孤独でだまりがちな者のする観察や、出会う事件は、社交的な者のそれらよりも、もうろうとしていると同時に痛切であり、かれの思想はいっそうおもくるしく、いっそう奇妙で、その上かならず一抹の哀愁を帯びているものだ
(p39)
新訳版
孤独と沈黙の人が行う観察や、その人が出会う出来事は、仲間の多い人の観察や出来事よりも曖昧であり、同日に切実でもある。そういう人の考えはより深刻で、変わっていて、どこかに悲哀の影がさしている
(p48)
前者は、おおそうなのかと思わず頷いてしまいそうな名文句、後者はたんなる叙述にすぎない。
どこでそういう違いが出てくるのか、その秘密はよくわからないが、岩波文庫版では、漢字とかなの選択に一語一語こだわっていることはうかがえる。
こう書いていて、実吉訳ならばもう一度読んでみようという気にはなってくるな。