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財務省事務次官を辞任に追い込んだセクハラ。そんなことにならないためにも、特に働く男性は本書を読んでおいた方が良いと思いました。職場のハラスメント研修なんか受けるよりよっぽど勉強になりました。本書ではまだまだ多い事例である、男性が女性に訴えられるセクハラに限定して、豊富な具体例が紹介されています。ハラスメント研修なんか受けると、相手が不快に思えばセクハラ!とか言われて、じゃあどうすれば良いんだよ、とか当然多くの男性が感じるような疑問も挙げて、コメントしてあります。黒か白かのセクハラなんて滅多になく、ほぼ全てグレーゾーンであるのが実際のセクハラであることを認識し、映画羅生門のごとく、同じ事実も立場によって見え方が違うもいうことも分かっておかなければならない。同意があろうとなかろうと、上司であろうとなかろうと、職場や学校では純粋に仕事だけをしておけば無難かもしれません。本書では訴えられないようにするための心構えだけではなく、訴えられたらどうすべきか、理想論だけじゃなく現実的な対応についても述べられているので使える一冊です、間違いなく。
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めちゃくちゃおもしろかった。
身に覚えがありすぎた。
男性は女性の無言の微笑をnoではなく、yesと受け取ってしまうのだな。
そして、女性はnoということばを持たないというのも、ほんとだなと思った。
以下、自分語りで恐縮ですが、どんどん記憶が蘇った。
オフィスから呼び出されて仕事の話をしてたのに、いつのまにか夜景を見ながら肩を組んで写真を撮られたり、仕事のためといわれて休日連れ出されたり、マッサージといって触られたり、仕事でとしつこく旅行に誘われたり、君じゃないと身体が反応しないと言われたり、生涯逢いたいから仕事(作業)を作り出すと公言されたり。
それが好意の表れだから、良いと思っているような、受け入れられると思っているような、無自覚すぎる男が数人いて。
私も、なんできっぱりnoと言えないんだって自分を責めたりしていて。でも相手に悪気はないし、変に反応して自意識過剰と思われるのもいやだし、何より仕事上の付き合いは良好でいたいし。
無自覚なふりをしようとしてたけど、根っこはそうもいかなくて、もんもんとした中、察してと思って態度に出しても、全く分かってもらえないという、困りごとが多くて。最終的に仕事にも支障をきたした。
相手の発言は今も続いてて、精神的にしんどくなることがある。
自分が悪いと思ってたけど、それだけじゃないみたい。
悪気がなくても、悪いことはあるんですね。
それが全部すっきり解説されていた。
ありがとうございます。
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すごく良い本だった。具体例は分かりやすいし実践的だし。勤務先でのセクハラ研修よりこの本の方がよっぽど役に立つのではなかろうか。
恋愛からこじれるセクハラはあるから気を付けろという認識はあったけど何でそうなるかまでは考えたことなかったし,端々でなるほどなぁと思った。
ただ「セクハラに冤罪はない」というのは,確かに真っ白という結論にはならんやろうけど,ずさんな調査に基づいたり他の意図に利用されたりで不当に重い処分にされることもあると思うので,全てにおいてそうという訳ではないんちゃうかなと思った。そんなこと言う人のところには相談に行かない方が良いと言われてしまいそうだけど。
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男性、また結婚してる人は旦那に読んでもらうべき
中年になり経験や経済的にも良くなって来たときこそ注意
勘違いしないように
よかれと思っていても後から訴えられることもある
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時代劇の悪代官のような分かりやすいセクハラはむしろ、例外で
広大なグレーゾーンが広がっている。
男女の視点の違いを極めて分かりやすく説明している。
男性は必読。
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部長、その恋愛はセクハラです!。牟田和恵先生の著書。セクハラには2種類あると思います。意図的なセクハラと無意識なセクハラ。日本社会で意図的なセクハラはさすがに減っているとは思うけれど、時代錯誤な中高年男性の女性蔑視からくる無意識なセクハラは今だに多いと思います。無意識なセクハラをしているかもという自覚がある人は読むべき一冊だと思うけれど、そういう自覚がないからこそ無意識なセクハラをしてしまうんでしょうね。
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部下や取引先の女性が、なんとなく自分に好意をもっているように思ってしまいがちな弱い心(スケベ心?)があることを、昭和世代のオジサンたちは自覚していません。
よく考えれば、社交辞令か自分の地位やポジションパワーなしに、見た目も体力の衰えも自覚しているはず。
大抵、そんなわけはないのです。
でも、取引先がぺこぺこするのを、会社の名前でなく自分の力だと勘違いするのと同じくらい、危ない落とし穴なのかもしれません。
部下ができたら、事例集として、読んでおくといいと思います。LINEやSNSでうっかりのぼせ上がった「証拠」を実際に残してしまう前に、「ひとごと」と思って冷静に読めるはずですから。
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セクハラと言うと、公的な場所におけるあからさまな性的発言や、そもそも「それセクハラじゃなくて強制猥褻だから…」という判りやすい事例が真っ先に思い浮かぶが、実際に裁判になるケースはグレイゾーン、つまり恋愛初期に女性が OK サインを出したと思って強引に行ったら訴えられたとか、明らかな恋愛に進展していたものの別れた後にあれはセクハラだったと訴えられたとか、そういうケースが多いらしい。
嫌な世の中になったもんだが、著者のアドバイスは「職場の女に手を出すな」と判りやすい。少子化が進む道理である。
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セクハラ批判の先鋒が、男性側に同情的に書いた本
結論は、職場に恋愛は持ち込むな、ということですね。
こういうのも少子化の一因かもしれない。
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個人的には当たり前と言える内容だが,そうか,こういう勘違いをするからああいう行動になるわけか!という周囲で見かける現象の理解には役立った.
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きわどいと思うケースでも、セクハラといって良かったんだなぁって。
気付かずセクハラ男性ども、気づけよ。と。
もっとフェミニズムについて知りたいなと思った。
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社内でのセクハラについてや、女性との関わり方について書かれていた。
本書を読み終わった後に感じたこととしては、社内恋愛や女性社員とのコミュニケーションは、かなり気を使っていかなければならないと感じた。軽率な発言で、相手の人生やキャリアを変えてしまうこともあるので、リスクがあることだと改めて思った。
鈍感だからという理由だけでは、事態を避けることは出来ないので、節度を持った関わり方や第三者の視点で考えたときに不快じゃないかなど、考えていきたいと感じた。
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どうしてセクハラ案件は加害者側からしばしば「恋愛」と規定されがちなのか。1992年の福岡セクハラ訴訟などの判例の積み重ねから現在に至るまでのさまざまなスタディケースをもとに、セクハラトラブルの複雑な様相を紹介してくれる。どんなに極小でも男性労働者はしばしば女性より何らかの意味で職場内の「権力」をもっており、それを外した状態での提案ができない限り誘いは強要の性格を帯びる、という仕組みについて、さまざまな説明が試みられていた。
(2020-09-04 細かい感想も書きたいがとりあえずここまで)
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とりわけ新しく斬新な事が書かれている訳ではないが、男女間の認識のズレ、経営や社会的評価リスクのポイントを、多くのケースを元に分かりやすく記述している。
男性側の言い分もしっかり聞きつつ、回答しているため、職場研修にも適していると思う。
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サラリーマン向けということになっているがよく書けていると思う。特に二次被害のあたりとかは(おそらく体験にもとづいた)リアルさがって読ませる。