投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
働く女子のリアルな生態という感じが素敵。「勤労感謝の日」の乱暴な語り口は現代的かつ現実的。「沖で待つ」の同期の絆には涙。太っちゃん!筆者の「女性総合職」経験がモデルになっているというのを知って(専門用語連発だったからそうかなとは思ったけど)、別の設定の小説だとどうだろうという若干の不安は感じたが、作品としては文句なく好き。「みなみのしまのぶんたろう」だけは最初こりゃ何だ?と思ったけど、これももう一つの「沖で待つ」なんだなーと思って納得。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
私は以外と・・・
三話目の「みなみのしまのぶんたろう」好きです♪
一日で一冊読みきったのはじめてかも☆
よみやすい本でした☆☆☆
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
面白かった。最初の題名からのイメージと全く違った。
完全な思い込みで、もっと内省的なザ・文学の面白みのない話を書く人だと思っていた
仕事に対する生々しい強い感情。
屈辱、歯ぎしり、プライド、侮辱、憤怒、同情、理不尽
仕事に対して憤った感情を、そのまま差し出されたような感じ。
本当に共感してしまった。
「勤労感謝の日」の方が甘さがなくて好み。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
抑制がきいている文章である。過剰な情感や思考の暴走もなく、物語後半の山場さえあっさりしている。太っちゃんが最後まで守り通した秘密とは何だったのか。そんな当たり前の謎を煽る一文すら見当たらない。盛り上がりどころを掴めずに最後まで観てしまった映画のようで、なんとなくスッキリしない読後感である。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
作者を個人的に知っていたため手に取った本。芥川賞受賞作ではあるが、そうでもなければ手に取らなかっただろう...。
学生から社会人へ、そして会社人へと変わっていく様をあっけらかんと書いた作品だと思った。学生から社会人という、一番不安でタフな時期を一緒に過ごした同期というのは、やはり何者にも変えられない存在なのだろう。
短いが、いろいろと考えさせられる小説だった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
芥川賞受賞作で購入後積んでおき、手を着けてなかったが、読みはじめたらとても読みやすかった。ほんわかする。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「沖で待つ」という言葉の響き、収まり具合がなんとも言えず良い。本文中にそれがでてきたとき感動した。読んでもらえればわかります。
いとやまさんのなかではほっこりあたたかい気持ちになる系統。たっちゃんは芯でしまうんだけれども。。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
絲山秋子さんの本との出会いはボクにとっては衝撃的なものでした。
カッコつけることの無い自然体な筆致、とでもいいましょうか。
読んでしまうと、ボク自身が、パクっ・・・じゃなくて、(汗
リスペクトしすぎてしまうほどに、大好きな一冊です。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「勤労感謝の日」
ある種の理想主義者の受け皿として、かつては新興宗教が機能してたのだと思う
今はもうダメだ
どうするあてもなくふらふら飲み歩く主人公のとほほ感
「沖で待つ」
男と女のホモソーシャル?
奇妙な味と感じました
これが理想か
「みなみのしまのぶんたろう」
むかし流行った大人向けの「癒し系童話」とでもいうのだろうか
326さんとかが書いてたっぽいやつです、読んだことないけど
こういうの弱い人は泣くかもしれません
しかし主人公のモデルが某都知事ってところに悪意を感じる
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
暴力やセックス、病気のエッセンスがないと
小説は盛り上がらないのかと
てんで偏った意見を口にしたら手渡された1冊
いい意味でのブス的表現がすごく気持ちが良い
こっちの期待するドラマチックな展開は全くなく
そのくせ全然歓迎できない事故が起きたりする
現実はそういうものか
久々に前の職場の同期に逢いたくなった
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
つるつるした表紙が綺麗で前から気になっていて、遂に買ってしまった。
収められた三つの短編のうち、最初の『勤労感謝の日』をまず読んだ。
今は40代の著者の、ひと昔まえ、30代の頃を描いている。大企業勤めからドロップアウトしたその年頃の女性達が主人公である点で、今年芥川賞を獲った『ポトスライムの船』とあい通じている。『沖で待つ』も何年か前に受賞しているところも一緒だ。だが、『ポトス』の「ぬるくて、ユルい。無理をしない感じ」には、全く共感することが出来なかったのに、今度は大いに自分に通じるものを感じた。ふた昔まえ30代だった世代にとって、今の30代は遠くて、ひと昔まえに30代だった世代はちょっと近い感じということだろうか。10年ごとの世代を輪切りにしてひとからげにするような世代論は嫌いだが、やはり実感としてはそうだ。近い世代、遠い世代を近い国遠い国の感じになぞらえて見ると上手く説明できそうだ。
昔中国を旅行した時、三度三度お粥の連続だったのに辟易した。帰りに寄った香港では韓国料理店に入った。中国で食べた本格中華のメイン料理も勿論美味かったのだが、キムチや焼肉はもっと美味く感じた。それよりなにより、焼肉と一諸に食べる炊いたご飯が「こんないも美味い」と感激した。その時の実感が「ああ、韓国のほうが中国より日本に近いんだ」だった。
バブル後の「ユルく」生きるしかない世代のことは可哀想とは思うけれども、やはりバブル世代の無闇なバイタリティーの方により共感してしまう。例えば大企業の女子総合職第一世代同士の主人公と元後輩の会話はこうだ、
「バブルでしたねえ。私達バブルの副産物だったんですかねえ」
「でも、水谷よりちょっと下、三十前半とかになるともうわかんないじゃん、バブルって。いい思いしたんでしょって恨まれる、けど、死ぬほど働いたんだよね、うちら。なんもいい思いなんかしてない」
そうだ、そうだったと感じ入ってしまう。彼女たちオンナ新兵もそうだったのか、オレ達当時のバブル戦士(実は古参兵)も身も心も文字どうりすり減らして働いたよなあ、とつい思いだしてしまう。自殺した同僚、過労死した先輩。激務の犠牲となった「死」は身近にありふれていて仕事場は、喩えじゃなくて文字通り戦場だった。だから、当時幹事長だった小沢が、湾岸戦争で金が要るパパブッシュに何千億円もプレゼントしたあげくに「日本は血も流さずに金しか出さない」と感謝さえされなかった体たらくには心底腹が立った。
ふざけんじゃねえ。その金は、オレ達日本のサラリーマンが文字通り命がけで稼いだカネなんだぞ。今でも口汚く叫びたいほどだ。
作品評に戻ろう。
たった30ページ余の短編なのに、書き出しからぐるりとまわって冒頭のところで一回りしてなるほどと思わせる小さな小ループ構造があって、最後に大きくもう一回りして「おお」と思わせる大ループ構造の「オチ」がある。世代感覚の優れた表現だけではなく、構成力もなにげに凄い。それにしても今時凄いのは皆女性の書き手ばっかりだよなあ。
そんな風に感心させらただけに、やっぱり最後に���うのは、バブルを支え失われた十年には粗大ゴミ扱いされ、踏んだり蹴ったりの“オレ達おじさん族”世代を代弁してくれる男性作家が居ないように思えることが、残念でならない。
嘆いてばかりいないで、ともかく表題作の『沖で待つ』を次は読もう。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
未だに正体がよく掴めない作風ですが、ひねくれ方が何となく気になる作家です。「絲的メイソウ」を読めば、ひねくれ方の原点が見えてきますね。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
未読の作家の文章をはじめて読むとき私は心の鎧とでも呼べばいいのだろうか、硬く厚い幾重に重ねられた殻をまとう。それは私の臆病さからで、とにかく失望したくないのだ。それに、心の中でとはいえ毒を吐きたくない。悪い言葉は悪いものを呼び込むという斎藤茂太さんの考えに私は大賛成なのだ。
殻をまとわずに読む。こんなものかと思う。梅雨時の雲のような濃い灰色の曇天が頭に充満する。言葉にならない毒を心の中で吐く。
畢竟わたしは器が小さいのだ。
とはいえ素晴らしい作品だと感じた瞬間、私が構築した殻はたちまち破れる。
「しゃっくりが止まら、ないんだ」
作中の「私」と同期入社の牧原太こと太っちゃんはこんな間抜けな登場の仕方をする。
すぐ明かされるが、太っちゃんは3ヶ月前に死んでいる。全然似ていないけど、村上春樹の「羊をめぐる冒険」の「鼠」を思い出した。
そして、太っちゃんとの思い出が語られる。住宅設備機器メーカーに就職した「私」と太っちゃんと同僚たちの日々。会社の給湯室の様子や、住宅機器の型番の説明、トラブルの発生とその対応など、非常に細かく描写されている。これは相当綿密に調査したのだなと思っていたら、絲山秋子さん自身が住宅設備機器関連の仕事をされてたようだ。
こういうのあるある、と心の中で頷く。私がまとっていた殻はほろほろと破れ落ちていた。それに気付くことさえなかった。
生前の太っちゃんと「私」はある約束をしていた。太っちゃんが先に逝ったため、「私」は同期入社の仲間との約束を果たす。実際は、なんて事のない場面だ。しかしその場面には仲間との思いが横溢している。簡単に同期入社と言うけれど、それは確かに替えが利かない。言ってみれば戦友のようなものだ。どんな敵がいるかもわからない戦場にろくな訓練も無しに飛び込む。危険や不安、高揚を共有する。それらはある種の特別な連帯感を生むだろう。
今は6月、来年の就職先が決まっている大学生もいれば、決まってない大学生もいる。僅かでも時間的な余裕があれば「沖で待つ」を読んでみるのもいいのではないでしょうか。きっと社会や会社に向かう姿勢が変わると思いますよ。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「沖で待つ」(絲山秋子)読み終わりました。最初の「勤労感謝の日」のぐだぐだ感と反面セロリのようにシュっとした主人公恭子がいいですね。(知らずに読んだら川上弘美さんの作品と勘違いするかも)そして表題作の「沖で待つ」もじんわりと沁みこんでくるものがあります。すこし泣きそうになった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
芥川賞受賞作ということで、こむずかしい作品を想像したが、さらりと読みやすい自然体の文章。
主人公の職業にまつわるお話の短編集。