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今期、沼野先生のご担当される授業を取っていた。
人文コースの学生である私は、国文学をやりたくて大学に入学したのだけれど、それだけを勉強しているわけではなくて、『世界文学』として色んな国の文学に触れた。沼野先生のお授業は、ヨーロッパの近代文学。ロシア文学を読み解いてくださった。中学高校で読んで『もう読んだ』とそれきりにしていた作品たちと再会をした。たぶん、あまり解っていなくとも、ごく若い時期に読み通してみるという経験も大事なのだけど。問題は別にある。
『解った』『読んだ』ことにして再読していないと、自分の文学的な貯金というか、読む力は薄くなる。読んだというポーズを求めているのでないなら、折に触れて、自分の中に入ってくるまで読むのが良い。但し、それがこの本の大事な点ではない。それは、まあ前提。
問題は、その後。『この話はこういうもの』という既視感が出来た時、どうしても自分の思考の枠や、世間の通例になっている解釈だけで読んでしまう。それをどう崩すか、というヒントが詰まった本。題材は著名な作品だけれど、日本の作品から海外の作品まで、同じ土俵で扱い、いかに斬新な切り口で読むか、ということを目指している。普遍的な良さも、一緒に浮き彫りになってくるし。まるでルービック・キューブを解くように、あっちから読んだらどうか、こっちから光を当てたらどうか?と考えている。トピックの内容は、東日本大震災の前だから、若干時間は経っている。でも、その読みの姿勢は古びていない。
震災以降、災害は半ば日常化し、私達は、ほんの数年前なら、思いもかけないコロナ禍に遭遇している。巻末で『こんな非常時に文学どころではないのでは?』と、悩まれた様子もお書きになっている。災禍が日常化すると、文学を読む時間くらいは災害と関係なく、読むことに没頭して、自分の人生を考える時間が、むしろ必要なのではないか。出てくる感想や解釈は、震災以降・コロナ以降で、それぞれその影響を受けるだろうが、文学を味わうことそのものは、むしろ盛んになっているように思う。
ちなみにこの本は、講義録でもあり、シリーズになっている。この本はシリーズ1冊目なので、順を追って読んでいくと、時期によってどんなトピックが生まれ、検討されてきたのかが見えてきそうだ。今になって思う。時間が足りない。軽い読書も楽しいが、長く残ってきた作品と正面から付き合うのも、また楽しいし、知らないことがどんどん出てくる。
もう20年、時計巻き戻せないかな。読みたくて読みたくて、考えたくて仕方ない。この衝動、今からでも間に合うだろうか。それは、先生にお尋ねできない。自分で向き合って、残された時間の中で答えを出すしかないらしい。こんなこと言っているから、いつまで経っても勉強から足が洗えない。遅すぎる歩みだと言うのに。今日も私は、性懲りもなく乱読し、しようもなく日が暮れるのだ。