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日比谷公会堂の演壇に立った社会党委員長の浅沼稲次郎を右翼の少年山口二矢が両手で握った短刀で刺した暗殺事件を描く。
61歳の野党政治家と17歳のテロリストのそれぞれの生い立ちから事件の一瞬までを生々しく描き出す。
自分がその事件現場にいるように感じるほどの刺殺の一瞬一瞬の描写に息を飲む。
テロは反社会的・暴力的な手段であり何の解決も生まないと僕自身は思っています。しかし山口二矢少年の国を思う熱い気持ちには心揺さぶられるものを感じずにはいれませんでした。
現在の堕落しきった政治に批判するひとはいてもここまで熱く行動に移せるひとはいないような気がします。
そしてその少年以上に庶民のための政治に全力を傾けていた浅沼稲次郎が刺されたのが何ともやるせない気持ちになります。
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浅沼委員長暗殺事件は歴史の教科書の一項目としての認識がありませんでした。この本を読んで事件の詳細、そして山口二矢のことを知りました。山口氏も生きていれば2010年で67歳。罪を償ったとしても、余りある人生が待っていたのではないかと思います。それにしても、17歳の少年がテロに真剣に向かっていった狂気というものを感じます。時代の空気もあったのでしょう。でもテロに走る感覚が分からない。
沢木耕太郎氏がこの事件にスポットを当ててくれたことで、事件が風化せず、語り継がれていることを考えると、作品の重みを感じます
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昭和35年10月12日、日比谷公会堂の演壇に駆け上がった少年は弾丸のようなスピードで、演説中の社会党委員長浅沼稲次郎に突っ込み、刺殺した。驚くべき行動力と確固とした信念を持つ17歳のテロリスト山口二矢と壇上で息絶えるまで走り続けた人間機関車浅沼の一瞬の交錯を描いた本書は、日本のノンフィクションの歴史に燦然と輝く金字塔である。筆者は2人のどちらにも肩入れしていない。しかし、だからこそ2人の愚直で圧倒的な人生のドラマに胸を打たれる。
(九州大学 学部生)
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テロルの決算・目次
序 章 伝説
第1章 十月の朝
第2章 天子、剣をとる
第3章 巡礼の果て
第4章 死の影
第5章 彼らが見たもの
第6章 残された者たち
第7章 最後の晩餐
終 章 伝説、再び
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昭和35年10月12日、社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼の少年、山口二矢に刺され死亡する事件を追求したノンフィクション。
浅沼、山口の双方の生い立ち、背景が丹念に描かれている。最後まで読み終わってから序説を改めて読むと、その意味がわかる気がした。人が信念を持つということについて考えさせれる。
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「若さ」が「純真無垢」であるからといって、自らのなした行動に対してそれが、いかなる意味においても「免罪符」になるとは必ずしも言えないでしょうよ、と一般論として本書を読んでふと浮かんだこと。彼にとっての「最高の瞬間」は、その時のその場所でのそれでしかなかったわけで、筆者の言う、彼の「生きていたら」は全く想像しえない、は思うに説得的。
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山口二矢の名前は聞いたことがあったけど、事件も含めた詳細は殆ど知らなかったので非常に興味深く読めた。政治家に対する命を賭したテロルに時代を感じるが、被害者浅沼稲次郎もきっちり描かれているので読んでいて切なかった。
資料的な感じで最後まで読んだので、あまり高揚する感じでは無かった。
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山口二矢烈士と、老政治家浅沼稲次郎双方の人生が交錯した「一瞬」を細かく描いたノンフィクション作品。
烈」という漢字には烈火、烈々というように激しさ、勢いの良さがこめられている。烈士とは、「激しい気性をもって、自分の信念を貫きとおす男子」を指すらしい。山口二矢烈士は十七という若さで、野党政治家である浅沼稲次郎を討った。そこには、純粋な国を愛する気持ち、憂える気持ちが交錯した結果だと思う。罪を起こした彼に賛同することはできないが、そこまでの行動力や純粋に国を思う気持ちには頭が下がる思いがした。山口二矢烈士の左翼への怒り、それとは同時に右翼への絶望はどのようなものだったのか。自分を奮い立たせ、起こした行動の結果残ったものは一部右翼、保守派からの賛美だけなのか。守りたかった国の未来はこんなものでいいのか。そこまでして残したものは何か私にはわからなかった。
読んでいて苦しかった作品でした。それは、私もまたこの国を憂えているからだと思う。今となっては、山口烈士のような人間は現れることはない。時代も変わった。なんだかなぁ、こんなもんかあ、と思う世の中だ。今は亡き若き志士に心から同情する。
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日本社会党委員長浅沼稲次郎と、テロによって浅沼を刺殺してしまった山口二矢の物語。17歳の二矢の純粋過ぎる生きかた、社会主義者として生きた浅沼稲次郎の苦悩の人生…、はっとさせられる描写の連続です。そして悲しい結末…。
沢木耕太郎20代最後の作品。ノンフィクションとしての内容と完成度(まとめられかた)もさることながら、20代でこの描写の巧みさ!というところがまた衝撃的です。
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GWで読み終わろうとしたらピンポイントでちょうど
のニュースが。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090503k0000m040074000c.html
平和とか進化とかいろいろ考える今日この頃です。
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山口二矢について皆さんはどう思っただろうか。私は今まで右翼の手先としか思っていなかった。しかし読んでみてどうだろうか。私は二矢少年は普通の学生だったのでは思った。ただ趣味が思想が右翼に片寄っただけなのではないか。
浅沼稲次郎は現代をどう思うだろうか。今の世の中は浅沼氏にとって物足りない世の中にと感じるのではないか。庶民のための政治家がいないだけでなく、変わろうとする庶民すらいなくなったからだ。
この二人が日比谷公会堂の舞台上で人生が重なり合うまでの刻一刻と迫りくる時間には手に汗を握ってしまう。当時の関係者や親族にかなりの時間割いたのだろう。とても生々しい会話、情熱が伝わってくる。
作者はあとがきで本は歳とらないと書いていた。現代の状況も考えるととてもよく分かる。
ノルウェーでもテロルにより多くの方が亡くなった。そして日本でもそんなに遠くない昔、テロが起こったことを忘れてはいけないはずである。しかし、この事件に関してはあくまでも過去の一件としか思われてない。ノルウェーにしろ、浅沼刺殺事件の当時は似ている部分がある。それは大衆の混乱なのである。ノルウェーは移民が多い国である。犯人はこう言った。「これからはグローバルと保守の戦いである」と。まさに日本も含めどこまでグローバル化していいのか思考している時代である。そして浅沼刺殺事件の当時は安保闘争であり、これからアメリカと一緒に生きていくことを決める日本の分岐点であった。
このように大きく時代が変わっている現在なのでこれから必要、心構えとしてこの本を読むべきなのでは思う。
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ノンフィクションってこんなにドラマチックに描けるんだ!と感動した本。
私は沢木耕太郎さんの本は深夜特急から入ったけど、この本を読んでその力強さに驚いたことを覚えています。
その力強さと丁寧さ、そしてわかりやすさで描ききっており、この本を読んだ後、私はしばらくフィクションが読めなくなりました笑
私とノンフィクションを本格的に出会わせてくれた大切な一冊です。
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日本もかつては多くのテロがあった。幕末、明治、戦前、戦後と、一人の要人を暗殺することで、何かが変わると思っているのか。
このノンフィクションは、テロによって殺した側と殺された側をそれぞれ描いたものだ。あとがきのところで、作者は、若い二矢が、もし若くして命を絶つことがなければ生きたであろうその後の姿を想像を出来ないという。彼は自らその生涯を終わらせてしまったわけで、自らも将来のことは考えていなかったのだろう。若者は夢を持ち、自らの将来を描くのだが、それは全くなかったのだろう。今の世の中もそういう夢がない若者が多い。
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これまた、読んでいそうで、実は読んでいない名作を読んでみようシリーズの一環で読んでみた。
沢木耕太郎の本は、好きな本と嫌いな本に分かれるのだが、この本は好き。ちなみに嫌いな本は、一言で言うとカッコ付けているやつ。
好きなのは、深夜特急とか。
恐らく50年程度前の話なのだが、真剣に政治活動をしている人々の姿を見て、今の自身の姿を反省した。
蟹工船のレビューにも書いたのだが、
今の人たち(一般人も政治家も)は、少しでも自分が得する事しか考えていない。精神的には乞食のようだ。
ほんの数十年前の話なのに、今と精神構造が大きく変わってしまったようだ。とても幼稚な方向に。
生活保護の不正受給なんて最たる事例だ。卑しさを感じるからニュースを見ていても気持ちが悪いのだろう。
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山口二矢に焦点をあてた作品であるかのように思えたが、
著者があとがきで記している通り、浅沼稲次郎の作品でもあった。
60年代という時代世相がどういうものであったか、
それを少しでも垣間見るための作品でもある。
山口と浅沼の両者を比較した場合、どうしても山口には共感できない。
浅沼のほうがより人間臭さが感じられてしまう・・・