紙の本
知をもって尊しとす
2010/12/30 19:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
調べてみると伊藤博文が千円札の肖像から消えたのは1984年11月だった。
バブル絶頂期へと向かう日本において、聖徳太子と共にお札の肖像から
政治家が消えたのが1984という年だった訳だがそこから遡る事100年前の
日本では伊藤博文が中心となって憲法調査が行われており、現代の底流を
なすこの国の形が練り上げられようとしているところだった。
伊藤博文を「知の政治家」「福沢諭吉と並び立つ近代思想家」として
捉え直す本書では、氏の政治姿勢を民本・法治・漸進主義と要約している。
少しずつ少しずつ、法に基づいた政治に国民を参加させていくこと、
それが伊藤博文が生涯を賭して成し遂げようとしたことだ。それは
日本だけに留まらず、初代統監として韓国においても同じことを
なそうとし、若くして西洋文明の力を思い知り魅了された辺境の民の夢を
広く東アジア全域において実現しようとしたその生涯は、
ひとつの満たされた時代の物語のように見える。
伊藤の生涯が魅力的に見える大きなポイントは「漸進主義」という姿勢に
思える。その萌芽は伊藤博文30歳のとき。前年に貨幣調査のため
アメリカに渡った伊藤は、帰国した翌年新貨条例を建議し、日本初の
貨幣法を創り上げる。なんと廃藩置県よりも先のことだ。急進的革新
官僚のようだった伊藤を変えたのは世に名高い岩倉遣欧使節団参加に
よる長期にわたる欧米の視察。そこで欧米との文明の差を思い知って
から、日本に文明というものを根付かせる長くかつ具体的な旅路が
始まる。国家の形を作るには、長い時間が必要なのだ。
伊藤は政変などで行き詰るたびに海外に出向き、新しい知見を得て
また粘り強く物事を前へ進めようとしていた。妥協の連続の国際政治に
おいて、民本・法治・漸進主義を貫いて、明治という国家を列強の
最終枠に押し込ませるところまで持ち上げてみせた。日本という国体を
世界の舞台に羽ばたかせた大功労者としての伊藤博文は、日和見で
あったり女好きであったり、何かとストレートな評価というものが
得られにくい人物であったわけだが、己の知性ひとつで成し遂げたことは
日本史上でも類を見ないほどに大きい。和をもって尊しとす、と述べたと
されるのは聖徳太子だが、知をもって尊しとする気風を創った伊藤は
近代を突き抜けた現代日本が再評価すべき大人物であると思う。
紙の本
やはり明治国家の創立者である。
2016/12/19 08:01
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治維新の三傑を引き継いで明治国家を創り上げた世代の傑出した業績の方でありながら、本格的業績の評伝は記憶になかった。どうしてもこの時代ものでは司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」で事足りて軍事・外政中心でしかイメージを持てないでいたが、本書で伊藤博文が内閣制度と皇室制度を画する皇室典範と憲法の作成を行いその具現へと進む、議会の開設と自ら政党を組織して政党内閣の組閣、枢密院議長さらには朝鮮総督までと、当時の国家運営の在り方を方向づけるトップリーダーの役割を実際に遂行して果たし続けたことがわかる。全てが思い通りではなくても、弛まず努力を傾注するあくなき姿、これほど広く最重要な課題に答えを持って時宜を見計う漸進の道のりでは民意への働きかけもおこなう、その構想を実現する力量の傑出ぶりは目を見張る。もっている理念のスケールは国の在り方をというレベルであり続けているのである。
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読めるところだけ読みました^^;
世間的にはともかく、アカデミズムでも低評価なのか・・・。
確かに伊藤はもっと評価されていい人物だと思う。
司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んでいる限り、俊輔(伊藤博文)の評価は司馬遼好みのタイプではないにせよ、けして低くないと思うんだけどなあ~。
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やっとこさ読み終える。
最後まで疑問符だらけの本だった。
テーマは絞られていたが、背景説明が不足でかなり読み辛い。また、日清戦争がスッポリ抜け落ち、またビヘイビアの変遷が説明されていないのはよろしいのかと。
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読了。
伊藤博文というと、よく言えば柔軟性があるのだが、理想がない節操な政治家みたいなイメージがある。
それを180度変えてくれる内容がこの本。
彼の立憲主義にかける情熱は同時代のどの政治家よりも熱かったことがわかる。
特に帝室制度調査局総裁として、天皇及び皇室の国家への機関化をはかり、内閣官制によって強固な立憲政治の基礎を作ったことはもっと評価されてしかるべきだろう。
特に本書の白眉は軍部の帷幄上奏権に対し、内閣官制において軍機軍令に関する件を内閣総理大臣の副署を必要させた件であろう。
山縣を始めとする軍部の猛反対によって、それは譲歩を余儀なくされたが、ここに伊藤の持つ国家と立憲体制に対する冷静な見方とそれに対する危険を取り除こうという強烈な意思を感じ取ることができる。
日本の立憲政治の確立を概観するのにもいい内容であるし、その後の軍部の暴走、政治介入の歴史を投射することもできる好著である。
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2010年度・サントリー学芸賞受賞。伊藤の考えていた政友会のかたちについて頁を割かれることが多かったので興味を引きました。政友会の時代への対応が気になっていたので、創立時には何を期待されていた党だったのか知る一つの手がかりになりました。
やや伊藤ヒイキ気味に感じる部分もありますが(※伊藤の甘さもちゃんと指摘されてはいます)これも一つの解釈として参考にしたいと思います。
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・伊藤博文が単に何を為したか、という事実の羅列だけでなく、彼の行動における政治思想を記されていることから、読んでいても頭の整理がつく。
・明治時代に、新たに政治の枠組み、制度を創る立場にある政治家として、当然のことながら自らの軸をはっきりと有していた。
・理想を追うだけでなく、現実、詰まり、実効性を念頭に置いてきたところが伊藤博文を大政治家とする所以だろう。
・先ずは行政力を高め、その為に教育を重視し、帝国大学を創設した点は、伊藤が近代日本の礎を築いたといっても過言ではない。名実共に大久保利道を志を継いだのだろう。
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これまでの研究史を十分踏まえた上で、著者は、これまでとはまったく逆の伊藤博文評価を試みている。やや伊藤を持ち上げすぎのようにも感じたが、一次資料に依拠した非常にすぐれた分析であり、説得力があった。
副題にもある通り、伊藤を「知の政治家」としてとらえる視点は、韓国統監としての植民地統治の場面にも一貫している。ややもすると伊藤のような政治家は、その行動面だけで変節だとか妥協だとかいう説明がされやすいのだが、あくまで思想・理念をもった人物として描ききっているところが挑戦的でもあり、久々に知的興奮をともなう読書であった。
途中、やはり知の巨人である福澤の顔が何度もちらついたが、最後に著者は、「(伊藤が掲げる知とは「実学」であった)この点において、伊藤は福沢と通じるものがあると言えよう。とはいえ、両者は実学的知のあり方をめぐって分岐する。福沢が官と民の峻別に固執し、官を排した民間の自由な経済活動を自らの足場としたのに対し、伊藤は知を媒介として官民がつながり、ひとつの公共圏(*それがフォーラムとしての政党=政友会につながる)が形成されることを追い求めていた」とまとめることによって、見事に私の疑問に答えてくれた。
政友会のあり方についての伊藤の考え方・立場も今までこれほど明快な解釈を読んだことがなかったので、目から鱗が落ちる思いであった。
蛇足ながら、第4章はどこぞの政党の党首にも熟読していただきたい。
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伊藤博文の再評価。書簡などの史料をもとに、これまで「哲学なき政略家」、「思想なき現実主義者」と思われてきた伊藤が実際にはどのような思想を持っていたのか明らかにしていく。「知の政治家」というサブタイトルには最初は違和感を持つが、読み終わると意味が分かる。新書というよりは論文に近く、手軽には読めない。私生活のことなどにはほとんど触れておらず、政治家・思想家としての伊藤のみにスポットを当てている。
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[ 内容 ]
幕末維新期、若くして英国に留学、西洋文明の洗礼を受けた伊藤博文。
明治維新後は、憲法を制定し、議会を開設、初代総理大臣として近代日本の骨格を創り上げた。
だがその評価は、哲学なき政略家、思想なき現実主義者、また韓国併合の推進者とされ、極めて低い。
しかし事実は違う。
本書は、「文明」「立憲国家」「国民政治」の三つの視角から、丹念に生涯を辿り、伊藤の隠された思想・国家構想を明らかにする。
[ 目次 ]
第1章 文明との出会い
第2章 立憲国家構想―明治憲法制定という前史
第3章 一八九九年の憲法行脚
第4章 知の結社としての立憲政友会
第5章 明治国制の確立―一九〇七年の憲法改革
第6章 清末改革と伊藤博文
第7章 韓国統監の“ヤヌス”の顔
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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これまで,伊藤博文といえば良いイメージの評価が少ない政治家であった。著者曰く「戦前の日本の韓国支配をシンボライズする人物」としても捉えられてきた。
だが,著者は伊藤の演説等の詳細な分析を通じて,その思想を浮かび上がらせ,伊藤が知を媒介とした漸進的な秩序形成を試みていたとし,再評価をしている。
特に,伊藤が韓国統治を本国の憲法改革と連動して捉えていたとの指摘は興味深かった。
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本書では「伊藤博文」を「知の政治家」と高く評価している。
明治の著名な政治家である「伊藤博文」については様々な評価があるが、本書はその中でもプラスに評価している最右翼の本であると思った。
とにかく「伊藤博文」の政治活動を現在から見てもわかりやすく考察している。
そもそも明治期の「政治情勢」はわかりにくい。「憲法」や「政党」が政治の中心にある現在から、それが存在しない当時の政治風景をみても理解しにくいのだ。
「大隈重信」が失脚した「明治14年の政変」にしても、どのような政治主張の違いがあったのか。
国会開設が2年後と9年後との主張の違いがなぜ国を揺るがすような争いになったのだろうかと思っていたが、本書を読んで「国家」が「憲法」を持つ意味が少しはわかるようになったような気がした。
「伊藤博文」は「憲法」をドイツで学んだあとに日本に導入し、「議会政治」が機能するように全力を傾注したことが本書でわかるが、現在の私たちはその後継者として成果を上げているのだろうか。
現在、「憲法」については「改正」をめぐり議論百出し膠着状態のようにも思えるし、「政党政治」は、「財政」にしろ「年金」にしろ必要な改革は延々と先送りとなっていて、どううみても「伊藤博文」が意図した「文明」や「国力の増進」が実現されているとは思えない。
本書を読んで「憲法」や「議会政治」「政党政治」を使いこなすことはたやすいことではないと思えた。
その視点から本書の「清末改革」「韓国統監」を読むといろいろと考えさせられる。
本書で読む「伊藤博文」は「理念を維持しつつも柔軟な対応に終始しつつ」結果的には失敗した政治家なのではないか。
新書にしては厚い本であるし、硬い内容だが、飽きずに最後まで興味深く読めた。
本書は、歴史を現在から見ても理解できるように深く考察した良書であると高く評価したい。
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筆者が15年の歳月をかけた研究の集大成的な新書。伊藤博文ビギナーの自分にとってはいきなりのフルコース。伊藤博文は、ひろーい幅の(何色も色をもちうる)思想をもって、うまくその時代時代の政治家や知識人と手を結び、明治憲法制定、政友会、韓国統監と渡り歩いたのだというイメージを得た。幅がとても広いだけに節操がない、政治家としての理想がないとの評価をまま受けるそうだけれども、この本は、伊藤博文には理想がないわけでなく、その理想がひじょーに柔軟であるがゆえだということを明らかにしたものと理解した。そして、一般に言われているらしい図に乗りやすいというかお調子者みたいな人物像の一方で、この本がテーマにしているように、人一倍、いろんなことを学ぼうという努力をしている知・実学の政治家だったようだ。なんだかんだ言ってもこれだけ後世に著名な政治家、ある意味ではやっぱり成功ということになるのだとは思う。
とくに合点がいったのは立憲政友会設立の話。それから東大の前身は、官僚育成を念頭に置いて設立されたのだということは在学中から聞いたことはあったが、数々の文献に裏打ちされて実際にそうであることが分かった。そしてここにも伊藤博文が表で噛んでいたようだった。
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伊藤博文を国家制度構築の高いビジョンを持った
思想家として見た評伝。
そのビジョンは極めて理想的であるが、
残念ながらそれは日韓両国で失敗し、
かつ現時点においても成功しているとは言い難い。
本自体は分かりやすく書かれており
伊藤の行動を説明づけるものとしては納得がいくもので、興味深い。
一点あえて疑問に感じた点をあげるとすれば、
伊藤博文ほどの人間がナショナリズムに理解が薄かったとは
考えにくいのではないかとも思う。
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ブックファースト渋谷文化村通り店で
購入しました。
(2014年4月26日)
ちょっとだけ読もうと思ったら、
読み始めてしまいました。
いやあ、大分読んだな、と思って
ページ数を見たら、まだ14ページ目です。
だけど。
この本は、濃い。
素晴らしい。
(2014年4月26日)
「思想家」としての伊藤博文を堪能しました。
(2014年5月24日)