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ゲイやレズビアンの方が実際にいるのも知っていたし、偏見もありませんでした。
知っていたとはいっても、当事者の方たちの生の声をきくのは初めてに近くて、すごく新鮮でした。
また、「すこたん企画」のHPも見てきました。
全ての恋をする人・カップルが幸せで堂々としていられる日本がはやくやってきたらいいなというのが、一番の感想です。
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軽快な語り口で同性愛について教えてくれる一冊。「多い方と少ない方の少ない方の人間でも自分の生きる世界を好きになろうとしてる」というよしながふみ作品の言葉をほうふつとさせる一冊でした。
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本書は石川大我さん(以下、石川)という方の自伝である。
彼は同性愛者である。そんな彼のゲイとして生きていくことを自覚するまでの過程の話である。
本書の中に、次のような文章がある。
「「タイガくん、彼女いないの?」
日々の生活で何気なく交わされる言葉。こんな質問にも常に気 をはっていなければいけない日々の生活から解放されて、自分 の思うこと、考えることを思う存分話せるようになりたい。」 (P.12)
ここからわかることは、私たちが日常はなす言葉の端にも、性への規範が染みついているということであろう。石川が男であるということで、相手は女性であることが強制されるのである。なぜ相手は女性でなければならないのであろうか。
そもそも、男性とは何か。女性とはなんであろうか。男性と女性の違いというのは身体的な特徴の違いである。その違いしかない。
違うということとはなんだろうか。
違いということが成立するためにはなにが必要なのであろうか。それは、同じということが必要である。違いということは同じということがその存立には不可欠であるということである。違うことと同じことは根底は分割不可能である。なぜなら、相互がお互いの概念が存立において必要だあるからである。であるのならば、違うことも同じことも「同じこと」であるのではないだろうか。
ただそれだけのことでしかないのだ。
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同性愛者がどのような人々か、また同性愛者がどのように生きているかについて、著者の石川大我さんの同性愛者としてのライフヒストリーを通じて、本。日常生活からの話なのでなじみやすく、すぐに読むことができました。
「ゲイに生まれてよかった」事をやたら推す傾向が強いなど、個人的にはやや首をかしげる部分もありますが、出版から10年経った今も、同性愛について間違った報道がマスコミによってなされる事もある現状を考えると、同性愛者の置かれている状況を的確に述べているという点では、この本の存在は未だに大きいものであると思います。
ただしかし、これは同性愛者をはじめとした性的少数者の状況が、出版から10年経った今でもほとんど変化していないということも意味しますが…今後の展開に期待です。
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同性愛を理解してほしい、という筆者の思いはよくわかる。個人的な体験を率直で平易な語り口調で書くことにより、その思いを伝えることにある程度成功しているとは思う。
しかし、なぜだか解らないけれど、この本を読んでも、少なくとも私は何らかの新たな行動を起こそうとは思えない。おそらくは、感情に訴えかける説得力(描写力)だったり、論理構成だったりが弱いのだろうと考える。終始同性愛者としての目線のみで語られているので、「差別する側」の心理にうまく答えを出せていないのではないか。
尚、念のため記載すると、私だって人権問題は大きな問題だと捉えているし、同性愛者が手をつないでディズニーランドに行けない状況は改善すべきだと考えています。でも、どうすれば改善できるのか私には皆目見当がつかないし、この本を読んでも尚よくわかりません。
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この本が2000年代のゲイ青少年像をつくったといってもいいんじゃないだろうか。そのへんの街にいる、悩んだり苦しんだりしている、オネエってわけでなかったりする、カッコよかったりするんだって。
パソコンとの出会いから世界が広がっている様とその喜びを書いてあるところは胸が熱くなる。若い頃って多くの人が閉塞感に取り巻かれたりするけれど、中身が何であるかに限らずそういう気分でいる人たちには共感をもってもらえると思う。また、同性愛者の権利などに注目しながら法律学者になろうと思っていた大我さんが、そのこと(学者や知識人の立ち位置になること)に逃げのような思いを感じるようになり、市井の人々のなかで生きていこうと思うようになるくだりもすばらしい。多くの人に、特に若者に読んでもらいたい。
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ゲイの青年が、
パソコンという「マイノリティーの武器」に出会って、
仲間に出会って、癒されて、羽ばたいて(?)いく、という内容。
この本を読んで、
人間の核になるものは「自己肯定感」なんだと再確認。
マイノリティーに属した人は、
社会で生きるなかで「認められないという“自己否定”」を
されながら過ごさなくてはならないので、
「自己肯定がしにくい」。
著者は、良好な家族関係・友人関係のなかで
「性以外の部分では自己肯定がしっかりとできていた」ので、
この本も最初から最後まで
「自己否定ばかりして生きてきた人」にみられる
“ねじれ”があまりみられず、とてもサワヤカ。
そして、“仲間”に出会うことで「自己肯定のシャワー」を浴び、
癒されていく。
カウンセリングの世界でも、
仲間とのグループカウンセリングが効果が
大きいと言われているのも
「自己肯定感が得られる」からだと思う。
世の中の多くの問題・事件・出来事は
この「自己肯定してほしい」に皮をかぶせたものに
過ぎないのではないかと改めて思った。
しかし、マイノリティーという1つの枠の中で
「仲間」に出会えるというのは、うらやましくも、ある。
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アイドルの女の子を好きなふりをしたり、気になる男子の名を寝言で呼んだらどうしようと修学旅行で眠れなかったり―著者がゲイであることに悩み、認め、周りにカミングアウトしていく、さわやかで感動を呼ぶ青春記
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キリ教の授業で紹介されてたから読んでみた!
途中やおい本の話が出てきたけど、おたくは割と同性愛者とわかりあいやすい気がするよね
なんかネットで知り合いさがして同志に会えたときの感動、とか書いてあったけどまさに、隠れオタがネットで交流してオフ会して仲良くなっての流れと同じだもんな…笑
私の場合、もうまわりがおたくで固められたからマイノリティにはかんじないけど…いまだにネットがあってよかったなーって思うもん。感謝感謝だね!
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最もプライベートな問題でありながら、文化・社会・政治的な要素の影響も強いセクシュアリティ。そのことをライフ・ヒストリーを通して、実名で、写真入りで語ってくれたタイガくんに感謝。私の周りにはセクマイの友達がたくさんいるが、それは、彼らが急に現れたわけではなく、私が変わったから。それぞれ個性を持った存在だということが分かったから。
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ゲイである自分を肯定=肯定のシャワー〉が出来た石川さん。
これがどんなに難しいことか…
セクシュアルマイノリティであることは、その人の一部でしかないけど、当事者にとっては生涯共にする課題です。
課題の解決法は人それぞれだけど、ロールモデルがいないぶん、当事者との出会いはいつも大切なきっかけです。
石川さんの、人との出会いやつながりを大切にする思いが素敵だなと思いました。
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自分自身のジェンダー?セクシャリティー?に悩んでいる時に読んだ本。
とても読みやすくて、大我さんの本をこの後立て続けに読んだ。どれも、優しいし易しい本だった。友達にも勧めやすい一冊かと思った。
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読んでいて、とても筆者の人柄が伝わってくる文章だった。何よりも、この本を手に取った人たちに向けて「伝えたい!」という気持ちが感じられる。
LGBTについての知識を持っていない人にもできるだけ分かりやすく、多くの人に理解されるために書かれた文章なんだな、ということが数ページ読み進めただけで分かった。
でも、これ以上のことがまだ自分が未熟なために読み取れなかった。また、何か月か何年か先に読む機会があったら、もっと吸収できる可能性があると思う。
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石川大我さん自らの半生が書かれています。
インターネットの発達と共にセクシャルマイノリティーの人たちは自分だけではない、同じ様に悩んでいる人はたくさん居るんだと知ることが出来るようになりました。
そうして様々な活動をされていく様子が書かれているのですが、とても生き生きとしていて、見習いたいなと思わされました。
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ゲイである石川さんのライフヒストリー。
6年前に出た本の文庫化。
6年前は、セクマイであることを公言して本を書く人なんてほとんどいなかったから(しかも実名で! しかも若い!(当時の大我さんは20代後半))、けっこう衝撃的でした。
今はセクマイ関連の本も増えたけど、大我さんが6年前に本を出した頃と、社会はそれほど変わっていないので、「ゲイであること」に悩んでいる人たちにとっては、未だに力になってくれる1冊です。
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LGBT界の超著名人のたいがさんの著作。コンピュータのくだりになんだか時の流れを感じさせられた。憲法の勉強で少数者の権利がどうこうとか言ってる割には、この少数者たちの切なる感覚みたいなものを忘れかけていたのを思い出させてくれた。高校生の頃によく憤っていたもの。頭だけの勉強になりがちだ。そして頭だけの勉強は得てして少数者の権利を大切にしているように聞こえて、本当はなにも見えていないことに気付く。結局、感覚や実感が大事だ。自分の隣で、いかにも普通な顔でなにもありませんよみたいな顔で一緒にいる人が、実は自分にはどうにもならないようなことが原因で社会的な抑圧を受け生きづらいと感じているかもしれないという実感。別にLGBTのことに限らず。