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懐かしい名前、ドリアン助川氏による著作。わかりにくい老子をバカボンのパパの視点から意訳し、紹介している。高校の頃から老子の思想に関心があるのですんなり読めた。老子のハードルを下げて、様々な人に読んでもらえるようになるという意味で素晴らしいと思う。
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普通に読んだらとっつきにくい「老子」をバカボンパパがわかりやすい言葉で翻訳してくれます。
まあ、「~なのだ」で語っているだけと言えばそうなのですが、パパが話していると思うと、その言葉がすっと頭に入ってきます。
合間にはじめちゃんやらバカボンやらがコメントを差し込むことでさらに味わいが深まります。
無為自然、無欲。「雨ニモマケズ」で目指したところはこういうことなのかなと少し思ったりしてみました。
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難しくて断念しがちな老子も、バカボンのパパ語訳を一緒に読むことで、ちょっと理解しやすくなるかも。
パパ語訳で、何となくイメージをつかんで、改めて、老子を読んでみるのもオススメです。
内容(「BOOK」データベースより)
今日本はとんでもない問題を数々抱えている。そんななか、老子の「無為自然」の考えがきっと役に立つはず。生きるということは自然の摂理とともにあるということ。そこから始めるしかないのだ。しかし、漢字だらけの老子の文章を読み解くのは難しい。そんなときにあらわれたのが「バカボンのパパ」だった―。とっつきにくい漢文をわかりやすく解説する、「バカボンのパパ語訳」による老子本の登場。
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東洋思想を代表する老子を読み解くにあたって、バカボンのパパ語で訳した新しい本。
こういう漢文授業なら、みんな勉強する気になるとおもう。
第67章のバカに見えれば本望なのだ。をはじめ、バカボンのパパの言葉でいわれて初めてハッとしてしまう名言が盛りだくさん。
古語が苦手な私でも
たのしく読めました。
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他人を理解する者が知恵のある者であり、自分を理解できる者が明察なる者である。足ることを知る者は富み、努力する者は望みを得る 不運には幸運が寄り添っており、幸運には不運が隠れている
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新聞で紹介されていたのを見て購入。老子は難しいイメージがあったけれど、バカボンのパパに解説されると不思議と心にストンを落ちる。「これでいいのだ」と。
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第63章 おおきなことはちっちゃなことから始まるのだ
難しいことは易しいうちに対処し、大きいことは小さいうちに手を打つ。この世の難しいことは、決まって易しいことから起こり、この世の大きなことは決まって小さなことから起こる。だから聖人は、ものごとを大きなことには決してしない。それゆえに大きなことが成し遂げられるのだ。
-P.156
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すごく簡単なパパ語に訳されている老子。
古典は難しい言葉で読まなくても、その作品に触れて自分で考えを巡らすことが大事なわけで、それをやるにはじゅうぶんな本。
ただストーリーではない(当たり前だw)のと、見開き1ページずつくらいの細切れの内容になっているのが私は苦手なので、今回は読破は出来なかった。他の本と一緒に常にバッグに入れといて、気が向いた時にパラッと読むようなスタイルが、自分には向いてると思った。
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老子入門にはうってつけの作品。
一つ一つが「原文・現代語訳・バカボンのパパ解釈」の三つで説明されており非常に読みやすい。
バカボンのパパ解釈は特に分かりやすく、しっくりくる。
これでいいのだ!
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本家と訳は他の本にまかせて、バカボン翻訳の部分だけを読みました。
とてもマッチしている部分というか、あーバカボンってやっぱり天才、こんな考えで生きれれば最高?というかあくまでも、”最高”ではなく、理想というか
”丁度いい”んだろうなぁと思いました、何事も焦ること無くゆっくりゆったりのんびり気楽に はい、それはまるでバカボンのように生きる
わかってはいても今の社会/今の時代ではやはり難しいですねぇ。
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5月と8月のNHKEテレ「100分de名著」は「老子」がテーマであった。講師と別にゲストがあって、この本の著者であるドリアン助川氏が登場した。老子をバカボンのパパ語訳で解説したらわかりやすいと評判になったそうだ。そこで私も買って読んでみることにした。
カルチャー・センターの教室では、この「老子」や仏教の経典などは難解に過ぎるという声があがったそうだ。そもそも元が難解な上に漢字の問題があった。東洋思想を学ぶとは、漢字がひしめき合う大海原を一人で泳いでいくようなものだという。しかし著者曰わく、漢字を読み下すという堅苦しい作業さえ乗り越えれば「老子」ほど面白いものはないという。
本書は各章を3つに分けて解説していくために、漫画家赤塚不二夫作のキャラクター3人が登場する。
1人目は老子その人。老子81章の原文と読み下し文を言う。
2人目は筆者本人。筆者による日本語訳を述べる。
そして3人目がバカボンのパパである。「バカボンのパパ語訳」でくだけた解説をしている。
筆者による「老子」のコンセプトをまとめると、
「バカに見えれば本望なのだ!!」
「欲がないと静かなのだ」
「バカをつらぬくのだ」
「反対の反対なのだ」
「近道は間違う道なのだ」
「まっすぐな人はぶれぶれなのだ」
と老子に言わせ、それに対しバカボンのパパには「わしと似ているのだ!!」と言わせている。
とても面白いようにも見えるが、よく読んでみると「バカボンのパパ語訳」というのは、筆者の日本語訳にバカボンのパパの口癖である「~なのだ」をくっつけたり、「これでいいのだ」や「レレレのレー」を多用している。これによって読者が著者に馴染みやすくする効果は期待できたようだ。
バカボンパパのセリフは漫画本的で読み易いが、結局は2番目に出てくる筆者の日本語訳と同じことを言っているだけなのだ。なにもバカボンのパパ語に訳す必要性があまりないのではないか。「これでいいのだ」ろうか。レレレのレー。
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老子初心者には敷居が低く、喰いつきやすいのではないだろうか。「〜なのだ」という独特の言い回しが時に鼻についたりもしたが、漢語をそのままだとか、文語体の日本語訳だったりだとかで理解するように言われても、きっと理解には到達しない。中味を知りたいとしても…。
そんな心配の要らない一冊。子どもたちに読ませたいw
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バカボンのパパ>ドリアン助川>老子。僕の興味の度合い。なんていったら怒られるか。
それぞれは、漢文、読み下し、現代語訳、バカボンパパ訳で構成されています。
「知者不言、言者不知」 は「TAOを知っている人はそれをひけらかして、わし天才ですよ、なんて言ったりしないのだ。おしゃべりな人は知らない人なのだ」に。やあ、はずかしい。こんな具合でひたすら訳がつづいてけっこうお腹いっぱい。
故に、あとがき「無為自然」は新鮮で、これまたいい話なのだ。このバカボンパパ語は本物ではない。本物ではないが、本物にわけてもらったエッセンスがある。これでいいのだ、ろう。
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これでいいのだ。
中国古典がお勧めだといわれても、とっつきにくかったのだ。
いくら役に立つといわれても、手に取りにくかったのだ。
でもどんなものかぐらいは、知っておきたかったのだ。
中学校か高校で習ったかもしれないが、すっかり忘れてしまっているのだ。
そんなワシが老子を覗くには、うってつけだったのだ。
これでいいのだ。
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老子はビジネス書として読むより、戦乱の中で、生まれた思想の本として読んだら、スッと理解できる気がします。
なんで、そう思ったのかというと、以下のようにバカボンのパパが言っていたからです。
「老子は春秋戦国時代の人なのだ。侵略や戦争が繰り返し起き、人々の命が虫けらのそれのように扱われた時代なのだ。その頃の王様や思想家は、どうすれば国が強くなるとか、どうすれば立身出世できるとか、そんなことばかり考えていた。そうした世間から去るように老子はさまよい人となり、それでも最後に乱世を生き残るための知恵を授けていってくれたのだ。」(p.98)
愚民政策や社会主義的な考えがちらほら見えるのも、単に戦争をやめさせて平和を願っているがためなんですね。
これでいいのだ。