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イデオロギーなしの憲法考察
2017/04/08 22:03
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投稿者:美佳子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
憲法論議はとかくイデオロギーに染まり、感情的になりがちですが、本書は法哲学的観点から、そもそも憲法とは何か、国家とは何かを問い、イデオロギーに左右されないで考えるヒントを与えてくれる、比較的読みやすい良書です。
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筆者は立憲主義と民主制とを峻別する。これ自体は目新しい思考態度ではない。民主主義と自由主義とを区別したHayekや、市民的法治国的憲法はあらゆる政治制度に対する制約を目的とし民主制もその例外ではありえないとしたSchmittもその流れにある。
民主主義は何でもなしうるという、素人=「市民」的理解を長谷部は採用しない。
そして、立憲主義の適切な理解こそが、「憲法と平和」ついて語る鍵であるとする。
では、長谷部は平和主義とは何と語っているのか?
…語っていない。諸概念を列挙はしている。しかし、終始「〜ではない」の論法に徹している。それについて歯がゆく思うかもしれないが、それは当然に予定されたこの書の態度である。
すなわち…以下のように記してこの書は終わる。
「…自分で考えるということは、「…である以上、当然…だ」という論法で使われる、そうした「切り札」など実はないとあきらめをつけることである。
そして、自分で考え始めた以上は、本書ももはや用はないはずである。願わくば、本書を踏み台としてさらに進まれんことを。」
あたかも、Ludwig Wittgensteinが、
「わたくしを理解する読者は、わたくしの書物を通り抜け、その上に立ち、それを見おろす高みに達したとき、ついにその無意味なことを悟るにいたる。まさにかかる方便によって、私の書物は解明を行おうとする。(読者は、いうなれば、梯子を上りきったのち、それを投げ捨てなければならない。)読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。」
"Meine Sätze erläutern dadurch, daß sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie - aufihnen - über sie hinausgestiegen ist. (Er muß sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.)
Er muß diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig."と述べているように。
本書は、「あとがき」から読むことを強くお勧めする。知る限り、日本一の「あとがき」である。
目次
憲法の基底にあるもの
第1部 なぜ民主主義か?(なぜ多数決なのか?
なぜ民主主義なのか?)
第2部 なぜ立憲主義か?(比較不能な価値の共存
公私の区分と人権
公共財としての憲法上の権利
近代国家の成立)
第3部 平和主義は可能か?(ホッブズを読むルソー
平和主義と立憲主義)
憲法は何を教えてくれないか
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民主主義とは?立憲主義とは?という視点から、憲法の平和主義を考えた本。
立憲主義の核心である「さまざまな価値観を抱く人々が平和的に共存するための枠組みをどう築くか」というテーマには興味があるものの、政治学を全然勉強したことがないせいかちょっと難しかったです。
古典なり参考書を読むなりして勉強しないと、自分の意見を言えない状況です(汗)
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1月?
[内容]本書は、民主主義と立憲主義、平和主義の緊張関係を指摘している。
?では、まず、なぜ民主主義なのかという問題をとりあげる。その手始めとして多数決が議決方法としてとられる理由の分析から入る。どれか一つが答えとなりえるのではなく「直面している問題ごとに、多数決の持つさまざまな機能のうち一つが、あるいはいくつかが利用されていると考えるべきであろう」と指摘する。それに続きなぜ民主主義なのかという問題へと議論を進めていく。なぜ多数決なのかという問題となぜ民主主義なのかという問題は別であるという点は留意すべきであるが、民主主義の政治体制の下で多数決が普通であるから、なぜ民主主義なのかという問題に答える際にも流用は可能である。そこで、民主主義に対する見方として筆者は、民主主義は「正解」を発見するための手段としての見方、民主的な手続きに従って出された答えだから「自分たちの答え」として受け入れるしかないというものがあると指摘する。また、ここでの議論において、民主主義制自体に参加することに意義があるという考え方は成立し得ないと筆者は指摘している。前述のような立場は、どれが唯一の答えというわけではい。これらのかたちで民主主義を正当化できるとしたときに、民主主義で決められることに制限が設けられるのはなぜなのだろうかと問う。それに対し、筆者は民主主義は使うべきではない場面があること指摘し、その境界を線引きし、民主主義がそれを踏み越えないように境界線を警備するのが、立憲主義の眼目であると主張する。?では、なぜ立憲主義なのかという議論を進める。まず立憲主義の始まりとして、自然権という概念の持つ重要性を指摘する。つまり、「自然権ともつという考え方をベースに、異なる価値観の共存しうる社会の枠組みを構築しようとした、立憲主義のはじまりである」という。その社会生活の枠組みには、人々の深刻な対立をもたらしかねない根本的な価値観の対立が進入しないようにする必要がある。なぜかというと、「比較する客観的な物差しのないところで、複数の究極的な価値観が優劣をかけて争えば、ことは自然と血みどろの争いに陥りがちである」からである。それを防ぐために具体的には、人為的に公と私の区別をすることが必要になる。立憲主義的な憲法典で保障されている「人権」のかなりの部分は、公と私の人為的な区別を線引きし区別するためのものであるという。たとえば、本書で挙げられているのは「信教の自由」「自己決定の問題」などである。また、憲法上の権利の役割として、公と私の線引きという役割以外に、社会の利益の実現を目指して、保障されているものの説明もなされている。?では、平和主義は可能かという点から、立憲主義と平和主義の関係にかんして述べている。
[感想]
まず感じたのは、筆者は文章がうまいということである。決して淡々と自分の説を述べていくのではなく、時にドン・キホーテやハムレットを登場させながら読者を飽きさせることなく説を展開していく。かといって決して内容は薄っぺらいわけではなくかなり読み応えがあると思う。もしこの本を買うかどうか迷う人があれば、まずは「あとがき」を立ち読みしてから決めるのがいい。憲法とは、条文をおうばかりではなく、社会との関連性を重視しながら勉強すべきであると強く思った。そうしないと憲法のもつ歴史的意味や役割を理解することなく表面的な勉強で終わってしまう。本書の中で驚きであったのは、民主主義と関連させつつ、憲法の役目の一つに「公と私の境界線」を決める役割があるという指摘であった。なるほどと納得すると同時に、なんだか自分の見方が変わった気がした。価値ある一冊であると思う。
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思想的に偏りすぎることなく、理性的で公平な視点で書かれた良書。立憲主義について興味深く読ませて頂きました。
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試験で必要だから買って読んだ。
絶対自分の積極的な意思では買わないであろう本です。
憲法に興味がなければ書いてあることすら意味がわからないかと思うし、何を書きたかったのか理解することすら放棄するでしょう。
流行の簡単な文章
難解な文章
の間くらいでしょうが、おそらく現代人にとっては難しいと感じる本でしょう。
内容は読んでください。
さまりーじゃなくてレビューなので内容は書きませんー
あ、『オデュッセイア』を出して
「それにしても、率いた兵士をことごとく失ったうえ、故郷で待ちつづけた妻への求婚者たちを皆殺しにする男のどこが英雄なのか理解に苦しむ。やはり異なる世界観は比較不能である」
って長谷部さん言ってたけど
比較する必要もないし、比較不能と断ずる根拠がどこにあるんだろーって思いましたねー
「比較不能な価値の迷路」と普遍的ラベルをどこから入手して貼ったんでしょ
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立憲主義の意味と限界を丁寧に端的に指摘している
「憲法で決まっていること」にどれほどの重みがあるのか
あとがきにあるように、
凝り固まった憲法観を持つ人ではなく、
なんとなく「じゃあ何が問題なのよ」って人向け
どっぷりと楽しめた
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[ 内容 ]
日本国憲法第九条を改正すべきか否か、私たち一人ひとりが決断を迫られる時代が近づきつつある。
だが、これまでの改正論議では、改憲・護憲派ともども、致命的に見落としてきた視点があった。
立憲主義、つまり、そもそも何のための憲法かを問う視点である。
本書は、立憲主義の核心にある問い―さまざまな価値観を抱く人々が平和に共存するための枠組みをどう築くか―にたちかえり、憲法と平和の関係を根底からとらえなおす試みだ。
情緒論に陥りがちなこの難問を冷静に考え抜くための手がかりを鮮やかに示す。
[ 目次 ]
憲法の基底にあるもの
第1部 なぜ民主主義か?(なぜ多数決なのか? なぜ民主主義なのか?)
第2部 なぜ立憲主義か?(比較不能な価値の共存 公私の区分と人権
公共財としての憲法上の権利 近代国家の成立)
第3部 平和主義は可能か?(ホッブズを読むルソー 平和主義と立憲主義)
憲法は何を教えてくれないか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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特に面白いのが、多数決の正当性の根拠である。
昼食を決めるのも、クラスの出し物を決めるのも、政治家を決めるもの、何かを決める際には、我々は無批判的に多数決を利用している。
ではなぜ多数決なのか?
本書では、多数決の根拠として4つがあげられているが、そのすべては決定的な問題を抱えている。
詳しくは本書に譲る。
モノの見え方が変わる本だとは思うので、ぜひ読んでみて欲しい。
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日本国憲法第九条を改正すべきか否か、私たち一人ひとりが決断を迫られる時代が近づきつつある。だが、これまでの改正論議では、改憲・護憲派ともども、致命的に見落としてきた視点があった。立憲主義、つまり、そもそも何のための憲法かを問う視点である。本書は、立憲主義の核心にある問い-さまざまな価値観を抱く人々が平和に共存するための枠組みをどう築くかーにたちかえり、憲法と平和の関係を根底からとらえなおす試みだ。情緒論に陥りがちなこの難問を冷静に考え抜くための手がかりを鮮やかに示す。(「BOOK」データベースより)
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憲法とは何か、国とは何か、なぜ人は社会のなかで法律を守らなければならないのか?
といったいわゆる立憲主義の成り立ちについて考察がなされています。
また、その立憲主義と平和がどう結び付いているかについて言及がなされており、最終的には憲法9条に対しての著者の考えが述べられている作品です。
もともと一人では幸福に生きていけない人間が、それぞれの異なる価値観を衝突させないよう一定のルールを定めたものが憲法とすれば、一つの「正解」となる価値観が存在しない以上、憲法も国の数だけ様々なものになる。
その国家間の価値観が衝突したときに戦争が起こり、個々人の衝突とは比べ物にならないほどの規模での悲劇が起こってしまった…。今、教訓としてそれが認識できるのはありがたいことだと感じました。
かなり深いところまで掘り下げた考察をされているので、じっくり読まないと理解できなくなる恐れがありますが、論調と自分の思考回路が幸いに相性がよかったのか個人的には読みやすい作品でした。
あと、最後のあとがきはちょっと笑っちゃいました。
「わずかな印税を得ようという卑しい私心からではなく…」なんて書きながら、きっちり自分の著書をPRしてます。
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「そもそもなぜ憲法が成立したのか」、「なぜ憲法が必要なのか」といったことを問う「立憲主義」という立場から憲法について論じた本。著者は、外国勢力に対抗するため、改憲を声高に主張するタカ派の言説にも、9条を金科玉条とするハト派の言説にも欠けているのが「立憲主義」だと述べる。
立憲主義とは国家権力を憲法によって制御することで、国民の多様な価値観を擁護するという考え方。
他に日本のタカ派とハト派に共通しているのは「平和ボケ」なのではないかと思った。タカ派は外国が大挙して日本を攻撃・侵略しようとしている、と言うし、ハト派は「9条があるからミサイルが日本に飛んでこない」とか「改憲=戦争のできる国づくり」と言うし。この辺は本書とあまり関係なので割愛。
「憲法は国家権力の暴走から国民を守る」とする立憲主義という立場は、憲法について論じる場合には必要不可欠なのだろうが、欧米と違い、市民革命によって時の権力者から自由や人権を勝ち取ってきたわけでもない日本にはなかなか根付かないかもしれない、と思った。
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憲法というものを考えるとき、憲法そのものがどのようにして考えられているのか、憲法の問題とは何なのか、どうして憲法と平和が関連するのか。
そういった基本の内容を初学者向けにまとめた良書。
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民主主義と立憲主義についての理解が進む本。「憲法」「法律」は難しくて偉そうでつまらなくて面倒くさいものと刷り込み完了していたが、読後に日本国憲法を一読してみようと思った。
民主主義はその社会で統一した結論が必要な時に、その構成員(国民)全体で合意した結論を出すことが期待される。基本的に多数決で決める。なので、少数派は割りを食う。そして世の中には多数決で統一した結論を出すべきでない問題がある。例えば、宗教とか価値観(どのように生きるべきかとや何を美しいとするか)とか。民主主義で扱うべき問題とそうではない問題の境界線を引き、民主主義の名のもとに行われる多数派による少数派迫害を制限するのが立憲主義の大事な役割である。
「実際は囚人のジレンマ状況なのにチキンゲームと看做して、いつも「チキン」で振る舞う行為は強奪者の存在を合理的にする。」という意見には納得した。
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「あとがき」の著者のコメントがなかなかいじらしい。性格がにじみ出ている気がする。
ホッブズやルソー等、どうしても避けては通れない話(112頁〜)なのだろう、と思う。でも、これらの頁は自分にとっては知りたいことに至るまでの単なる「過程」に感じられ、関心度が下がってしまったので星4つにした。
宗教戦争→なかなか決着がつかない(カトリックとプロテスタントで)→互いに疑う(懐疑主義)→価値観の対立→「自分が大事」(自己保存)なのは全員の共通の認識らしい→価値観が違っても共存できる仕組みを!→立憲主義へ
という流れは分かりやすかった。
以下は気になった頁についてのメモ・コメント
36頁:
庶民に「強い意見」を求めるのは賢明ではない、というある小説の引用からの「凡庸な政治家に任せておいても、一般人の生活に大きな(悪い)影響をもたらさない程度に民主政治の行動範囲を枠づけることは…立憲主義の重要な役割である。」という著者の主張には頷ける。
〈個人的に思ったこと〉
政治家の質が優れていることを常に要求するのは非現実的なんだろう。それを満たせなくても政治が上手く回っていく仕組みを保持しているのが今の日本国憲法。こういう意味において、現在の安倍総理のような人がいるのも(憲法の)想定の範囲内なんだろう(憲法を改正しようとしていることを除いて…)。
41頁:
「社会全体としての統一した答えを多数決で出すべき問題と、そうでない問題があるというわけである。…その境界を線引きし、民主主義がそれを踏み越えないように境界線を警備するのが、立憲主義の眼目である。」
92〜94頁:
女性の天皇がいないのは男女不平等原則に反するのではないか、という問いに対する答え。皇族の人たちは酷く窮屈な生活していて、しかもそれを是正しようと考える人たちもほとんどいない状況を思い浮かべた。
130頁:
「なぜ、そしてどこまで国家に従うべきなのか」→バカロレアの哲学の試験で見たような命題。
「我々は国家に対していかなる義務を負うか?」(http://id.fnshr.info/2013/06/24/bac-philo-2013/)
158頁:
立憲主義は市民に生きる意味を与えない。従って、立憲主義国家は徴兵制を採用できない。なぜなら、立憲主義は主義主張の異なる人たちが共同して生きていける社会を単に前提としているだけだから。
171頁:
原理(principle:特定の方向へ導く力に留まるもの)と準則(rule:行動を一義的に決めるもの)の区別。9条は原理なのか準則なのか。憲法典の存在意義:民主的手続への過重負担をさけること、民主政治が自ら手に負えないことにまで手を出さないよう、ハードルを設けることにある。立憲主義の眼目と重なる部分(41頁)
175頁:
犯罪への対処手法である修復的司法(restorative conference)の平和回復への応用。自分が知らないだけで間違いなく以前から存在しているんだろうけど、画期的な方法に思えた。ただし、「抑止的処罰」や「無害化」等の強制的な手段とセットで初めて効果を期待できる。