投稿元:
レビューを見る
1年間放置して、やっと読み終わりました…(汗
(多分かなり詳細に・論理的に書かれたものだとは思いますが)結構錯綜していて大変でした。まぁ、素人が読むとそんなもんですね、きっと。
著者の「定常型社会において新たな形のコミュニティ構築が必要」という主な主張には大変同意します。
ただし、以下の2点が気になります。
①ローカルなコミュニティづくりって上手くいくのだろうか??
著者によれば、地域ごとに教育・医療なりの分野と絡めながらコミュニティの拠点を設けていくべき、としているが、現状からみて、人々のそのような拠点へのコミットメント意欲は低い気がする。
②「普遍的な原理」って登場しうるのか??
本書の終わりの方で、かなり(コミュニティとコミュニティをつなぐ存在としての)「普遍的な原理」についての議論に舵を切っているが、これだけ情報があふれ価値観が多様化した時代にそのようなものが発生するかどうか。
私は、どちらかといえば、「極端に興味関心の分野がせまい(=「普遍的な原理」でつなぐのが難しい)コミュニティ」がたくさん登場するのでは??と思っているので、少々私と真逆かもしれません。
それでも、現状認識と今後の提案に関しては大変学べる話だったと思うので、また半年後なり一年後に読み返してみたいと思います。(つまり、もうちょっと勉強したら、ということですね。お恥ずかしい)
投稿元:
レビューを見る
「コミュニティ」を様々な視点から俯瞰しているが、切り口が都市・グローバル化・福祉政策など様々で興味深い。都市計画や環境が主な論点と思っていた分、福祉政策・ケアについての指摘は読んでいておもしろかった。なるほどしかし、所謂西洋的な独立した個人のいる社会と村社会的な社会が補完的とはよく考えれば成程と思わされてしまった。
投稿元:
レビューを見る
興味があり、購入。
読み進めるには少ししんどい印象。
しかし、内容自体は最近自分の考えていた内容に大いに関係していると共に、これからの課題であると感じていたことであった。
コミュニティ形成に大切な要素が今の現状足りてないと感じた。
投稿元:
レビューを見る
内容の鮮度が高く、密度が濃くて、読後は新書にもかかわらず、「お腹いっぱい」の感がある。それぐらい、本書を「コミュニティ論」の入り口として、また新しい研究への出口として、活用できる良書である。
人は一人では生きられない。コミュニティには功罪があるが、しかし、そこを無視しては、何事も解決の糸口はつかめない。
・日本は先進諸国の中で、社会的な孤立度が一番高い国。
・「市民」citizenshipはある種の資格。
・コミュニティづくりに於ける都市部と小規模町村では課題が違う。→福祉地理学の必要性。
・コミュニティは共同体であると同時に、外部に開かれた窓の側面もある。
・公-共-私のバランスの中で、共の部分が肝になってくる。
・経済成長による解決では立ちゆかない問題が増えており、一方、空間的な解決が求められる。
・社会住宅の割合は日本は最低レベル。6.7%。
・フローの格差(ジニ係数0.308)より、ストックの格差(貯蓄0.556,住宅0.573)の問題が深刻化している。→人生前半の社会保障の重要性(特に教育)
・人間の消費は、物質→エネルギー→情報→時間(スピリチュアリティを含む)と推移している。
・15~44歳は精神疾患、アルコール依存、交通事故など、精神的・社会的な病気負担の割合が高い。→人生前半の医療の視点。
・脳科学の分野でも、社会行動、コミュニケーションなど個体を超えたレベルでの研究は端緒についたばかり。
・ソーシャルキャピタルと健康・医療の関わりには大きな相関がある。
・社会的なつながりが人間にとって重要という当たり前のことが、科学で論証されている。
投稿元:
レビューを見る
「私」の領域(市場)でも「公」の領域(政府)でもない、「共」の領域である「コミュニティ」からの新しい社会作りを提案した本。内容は社会、経済、福祉など多岐に渡り、この第三の領域を発展させることで諸問題を解決しようというものになっている。
この本でいうコミュニティとは、「メンバーの帰属意識やメンバー間の連帯、相互扶助を前提とする社会と個人の間に属する中間的集団」とのことである。
人間社会の消費形態は、物質の消費→エネルギーの消費→情報の消費、と変遷してきたが、現代は量的な情報の消費から、質的で内面的な充実を求める「時間の消費」の時代であるとされる。
その中で、人々は自然、公共性、スピリチュアリティなどを追求するようになり、NPOや社会起業家の活動が目立ち、神社などが見直されるようになった。
「時間の消費」の時代である現代では「地域」が見直されている。充実した時間を自分の所属する地域(コミュニティ)で過ごそうとする傾向である。
そこで著者はコミュニティの中心を福祉、医療施設、自然関係、大学などに置く「福祉地理学」が提唱している。以前なら日本のムラ社会のしがらみの代表例として扱われていた自治会・町内会の再評価もなされている。
これまで私も、人々が緩やかに所属できるコミュニティを作ることで、分断された個人の立ち直りや相互扶助、社会的ノウハウの共有が図れ、新たな発展に繋がるのではと朧気ながらも考えていたので、大いに参考になった一冊。
投稿元:
レビューを見る
全体としてやや複雑で斜め読みでは理解するのが難しかったが、第5章「ストックをめぐる社会保障」において、経済が成熟し定常化した現在の社会では公有地を福祉政策、コミュニティ政策、都市政策の有効なツールとして積極的に活用していくことが重要であること、相続税、土地課税、環境税等によりストックの再分配を図り人生前半の社会保障の財源として活用すること、などが提案されており興味深く読んだ。
投稿元:
レビューを見る
とても興味深い論文。
「コミュニティ」とはあちこちで唱えられているものの、どこか抽象的で、イメージで語られることが多く、自分自身も曖昧なことしか考えられていなかった。「時間から空間へ」「ストックからフローへ」「福祉政策と都市計画の連携」「コミュニティの二層性(内と外)」「普遍的価値基準の創造」等々、いままさに自分がおかれている状況に重ねながら、これからどうしたらいいか考えるヒントがたくさんある。
蓋し「日本の若者が外に出ていかない(海外に行かない)」のも、現代日本社会が定常型に移行したからと言えるのではないか。従って、その現象だけを取り上げて「積極性に欠ける」云々言うのは短絡的だと思う(若者の立場からもそう言いたい)。ただ、互いの多様性を認め合い関係を築いていく必要も高まっていて、それは外に出ていくベクトルがないと実現しにくいのは確かだと思う。
で、具体的にどう行動するかは私が考えないといけないわけだね。
投稿元:
レビューを見る
本書のみでの論旨の理解は難しいのかもしれない。理解不足ながら、まさに東京郊外に住み、現実発生している郊外コミュニティーの課題と合わせて読むとき、視点が整理されてくる。東京郊外における高齢化問題、コミュニティーとしての団地再生の課題、ロードサイドビジネスを中心とする街作りのあり方など多くの問題の方向性を示してくれる。
投稿元:
レビューを見る
テーマは『つながり』。
日本社会の各都市で起きている孤立問題から日本を覆う閉塞感、その打破のための普遍的原理追求を世界レベルの視点から模索しています。
もっさ抽象的ですが、今の日本には以前の高度成長期のような普遍原理(『追い付け追い越せ!』)が無くなり、カイシャという小さなコミュニティの中で個人は生きている。
排他的で余所者を受け入れない体質(ウチとソトの峻別)、しかし日本の都市計画ではそれが仇となり街の一体感や調和、コンセプトが見えない。乱雑した街並みになっている。
世界の都市(特に西欧)と比して目も当てられない凄惨な姿になっている。
西欧を倣って公有地を有効活用することが鍵と主張する。
特に住宅問題として、空き地の再開発(公営住宅)を通じて若年層の流出阻止及び流入を図り、ハード・ソフト共にコミュニティを再構築する機会と述べる。
普遍的原理については、紀元前5世紀に各地で隆盛した諸宗教がリージョナルレベルで浸透、いずれ来る諸原理の衝突にうまく折り合いを付け、価値観の多様性及び深化を遂げて現在に至る…。
とまぁ世界レベルから日本の地方都市レベルまで包括して『つながり』を主軸にして述べてますが、個人的に言えば同著『定常型社会』の衝撃の方が忘れられません。
次の時代は時間そのものを消費する社会になるという予言的文章には説得力があり、斬新な発想に驚愕しました。
またコミュニティについて、結局日本に無い普遍的原理の構築には社会心理学の最近の研究が目覚ましいほど発達していて、彼の問題提起を一歩踏み込んだ研究がなされています(社会心理学の山岸俊男教授や対人ネットワーク研究の増田直紀氏、また昨年亡くなった土居健郎著『「甘え」の構造』など)。
抽象レベルでは僕が今まで思っていたことを文章にしただけですが(過言です)、上記で紹介した本を併せて読むことで未来社会のビジョンが見えてくる気がします。
興味のある人は読んでみて下さい。
最後に…、この本は優れていると思います(実際、平成20年度大佛次郎論壇賞を受賞しています)が、もう一歩突っ込んだ内容にしてほしいと、期待をかけて星3つにします(笑)
投稿元:
レビューを見る
学術論文のようでちょっと難しい内容ではあるけど
コミュニティがこれからの社会でどんな役割を果たすのか
いま、私たちの社会は歴史的にどの地点にあるのか
分かりやすく解説してくれている
少なくとも日本について言えば、かつての成長型の社会、
食べ物やサービスなどのモノが増えることを大切に
してきた時代とは変わって
良い食べ物、サービスの質など、モノの総量ではなく
そこに幸福感などを求める時代になってきたのではないか
だから、「シェア」なのだ 所有ではなく、共有なのだ
一度読んだだけではすべてを理解できないけれど
これからのコミュニティや社会を考えていくうえで
指針を示してくれる一冊だと思う
投稿元:
レビューを見る
現代社会での”コミュニティ”のあり方を問う一冊。「コミュニティ」の分類や定義、現代社会においてなぜコミュニティを重視すべきなのか、といった論点整理は参考になった。
ただ、どうにも読みづらくて飛ばし飛ばし読んだので、(たぶん)コアとなる”定常化”の概念が理解しきれてない。誰かと輪講しながら読みたい・・
投稿元:
レビューを見る
残念ながらギブアップ。どうしても読み進められない、眠くなるという本があってこれは私にはそういう本です。
参考書的に拾い読みすることにします。
投稿元:
レビューを見る
●戦後の日本社会とは、一言でいえば「農村から都市への人口大移動」の歴史であったが、(略)都市に移った日本人は、(独立した個人と個人のつながりという意味での)都市的な関係性を築いていくかわりに、「カイシャ」そして「(核)家族」という、いわば”都市の中の村社会”ともいうべき、閉鎖性の強いコミュニティを作っていった。
そうしたあり方は、経済全体のパイが拡大する経済成長の時代には、カイシャや家族のパイの取り分の増大につながるという意味で一定の好循環を作っていた。しかし、経済が成熟化し、そうした好循環の前提が崩れるとともに、カイシャや家族のあり方が大きく流動化・多様化する現在のような時代においては、それはかえって個人の孤立を招き「生きづらい」社会や関係性を生み出す基底的な背景になっている。
*独我論と「普遍的な価値原理」P34*普遍的な原理が個人をつなぐ「通路」になるP247
●本章では、①独我論という問題、②普遍的な価値原理の不在、③経済成長という目標への一元化という三者が(戦後の高度経済成長以降の日本社会という社会構造を背景に)緊密に連動していることを確認した。今後の(経済成長という目標の絶対視から抜け出た)成熟化ないし定常化の時代におけるコミュニティやつながりの構築において(1)ごく日常的なレベルでの、挨拶などを含む「見知らぬ者」どうしのコミュニケーションや行動様式、(2)各地域でのNPO、社会的起業その他の「新しいコミュニティ」づくりにむけた多様な活動。(3)普遍的な価値原理のあ構築がポイントになると述べ、特に(3)の「普遍的な価値原理(=集団を超えた規範原理)の構築」について議論を展開した。P249*普遍的な思想の”同時多発性”P251*なぜこの時代に「普遍的な原理」を志向する思想がうまれたのかP260*文明の成熟化・定常化と規範原理P263
投稿元:
レビューを見る
自治体はしばしば株式会社に例えられる。実働部隊たる行政職員が社員であり、納税者たる住民が株主であると。
実情を鑑みれば、確かにこの例えは自治体のある側面を捉えているといえると思う。……が、俺は以前からこの例えに違和感をもっていた。どこか住民を客体化しているような気がして。
本書の著者も「(略)市民は“株主”に対応するともいえるが、見方を変えれば、市民は、その人が住んでいる「○○市」という団体の“社員”ともいえるかもしれない」(p53)と述べている。専門の学者先生が同じように考えていることが単純にうれしかった。
・高齢者=地域との関わりが強い人々、すなわち、高齢化社会=そうした人々が増える時代、という議論
・福祉に都市計画を関連させるという視座
・ストック(資産)の格差と社会保障の関係
など、中盤では実務的な示唆に富んだ議論が盛りだくさんで興味深かった。
終わりの方ではややアカデミックな議論を展開し、今後必要とされるであろう思想の、著者なりの方向性を控えめに示している。
これまでの人類の歴史がそうであったように、社会のパラダイムが大きく変革するときに必要とされる新しい思想が、現代は欠如しているという(現代は資本主義が飽和した時代で、新しい思想が求められているという文脈)。
このような時代に必要とされるのは、「有限性」(限られた資源の中で生きる人間をどのように位置づけるか)と「多様性」(古代から重視されてきた「普遍性」ではなく、むしろ、異なる歴史・風土・文化をもった集団をいかに承認し共存するか)をもった思想だという。
抽象的だし、なんとなく優等生的だけど、このさき現代思想について考えるとき、ここに立ち返って評価するといいかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
先生に勧められた本でしたが、なかなかに抽象的だったのであまり自分の中で消化しきれませんでした。
*印象に残ったところ
P110「ある地域に不足しているものが、ほかの地域では過剰に存在したりする」
理由は「これまで日本をユニットとして考えてきたこと」「時間軸に沿って問題が改善・進歩していくとの発想が強かったこと」
空間的な解決、つまり場所を変えることで物事が改善するということがありうる。
*めも[都市計画]
地域の計画の大枠を規定した非拘束的地域計画=Fプラン
建物の細部を規制する拘束的地区計画=Bプラン
これらの二層制の土地利用計画