電子書籍
自分を取り巻く環境とコミュニティ
2015/11/28 14:05
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投稿者:馮富久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒト・モノ・時間との接し方について、コミュニティという概念を軸に解説されている本。
自分自身がコミュニティの中でどういうところにいるのか、そもそも、コミュニティという言葉が持っている意味について整理できました。
とはいえ、かなり広く深い内容なので一回では理解しきれない部分も 苦笑
個人的には前半でのコミュニティの分類と定義、そして、後半の自然科学とコミュニティの関係に関する説明が興味深かったです。
これから少子高齢化が進む日本で、第二次ベビーブーム世代の自分の生き方・考え方の参考になりました。
紙の本
労働集約性を求められる時代になったら・・
2013/02/18 16:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Fukusuke55 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の第一部「視座」を読み、即座に「あぁ、もっと早く読んでおけば・・・」と思いました。初版が2009年、購入したのが2012年・・・現在の私の課題認識を、代わりに整理して下さっているような錯覚を覚えます。これからの海図がうっすらと浮かび上がったような、そんな印象を持ちました。
私には少々難解だった第三部「原理」などを再読してみると、これまで読んだコミュニティ論の中でもスケールが大きく、考察の深みと濃さが格段に違っている気がします。
第二部の「社会システム」の論旨は先日読了した「リフレはヤバい」での考察結果、提言と共通しています。ジェフリー・サックスが"Price of civilization"で唱えている幼年期の「機会」の公平さとも通じます。
「人生前半の社会福祉の強化」、「事後的な再配分ではなく、事前的な分配」(p.149)については、アベノミクスの相続税改正などで、実現化されつつあるものも出てきました。政策は、振り子のように、行ったり来たり、時代の状況に応じて、振れを繰り返していくものだと思いますが、少なくとも、今は、高齢者から社会に出る20代、家族を持ち始める30代、子供たちを社会に送り出すための最期の踏ん張りどころとなる40代に、ダイナミックに富の再分配ができるように採りうる手はすべて採ることだと思います。
生産性が上がり過ぎた社会は反転して、労働集約性を求められるようになる・・・との提言に、地域への人の還流は、そのひとつのモデルかとも感じました。同時に、この提言を読みながらふと思ったんです。生産性をあげ過ぎたが故に、労働集約性をもとめることになったとき、いかに人間というものが「劣化」しているか、我々は気づかされるのではないかと。
生産性を機械と競ってきた人間が、価値生産の現場に戻ったとき、どこまで人間として「生きるための」本能を呼び覚ますことができるか?その時に、生きる術(すべ)と技(わざ)を持っている人がどれだけいるんだろう・・・。そう思ってしまいました。
何度も、何度も読み返して、かみしめたいと思います。特に「第三部 原理」は。(苦笑)
紙の本
土着的社会でこれからの自由の意味を問いなおす。
2009/09/06 23:45
7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大きなものと小さきものが交錯する選挙という祭りが終わって、
政権交代という歴史を創ってみせた平成の日本国民はこれから、
国家だけでも個人だけでもすぐには出来ないことに直面していくのでは
ないかと思う。大きなことだって出来てしまう小さな自分に出来ること。
その足元にあるのは、コミュニティという地面だ。
本書が問い直すコミュニティとは、まさに個人と集団全体のあいだに
ある何かのことだ。そこは、個としての人間が内面的なものを維持
しながら外にも向かっていける集まりであり、人間の内と外をつなぐ
場所であり、本来社会人がつくられる場所である。
先の選挙で争点として大きく取り上げられた「子育て」と「年金/医療」と
「農業」。少子高齢化社会と密接に結びついたこれらの諸問題は、全て
「土着性が強い」。著者のこの指摘は今後の社会にとって決定的な視点で
あると感じる。高度経済成長期とは、日本国民の土着性が失われて
いった時期とも言うことができるはずで、「失われた」10年なり15年と
いうものは、単に経済成長が失われたというよりは、日本に住む人間の
土着性がかなり壊滅的に失われ、ひいてはコミュニティが失われたと
言っても過言ではない。そうでなければ底が抜けたなんていう表現は
出てこない。
だからこそ今、コミュニティはとことん問い直される必要がある。
単に農村型の地縁血縁的つながりによるコミュニティばかりでなく、
コミュニティ意識の弱い都市や郊外も、ルールないし基本理念によって、
市民コミュニティを創りなおし、それぞれのコミュニティが役割に応じて
補完し合う関係づくりを行う。この課題解決の出発点は、もちろん中央
ではなく、ローカル。問題とはいつもローカルなもので、ローカルには
人の身体があり、子育ても医療も問題解決はローカル的課題解消にあり、
そこには必ず人がいて土地がある。
新鮮だったのは、ローカルからの出発を実現するためには、「人生前半の
社会保障」の強化が必要だという指摘だ。子育て、教育や就職支援の充実
こそが、破綻がちらつく事後的な社会保障への不安解消になる。
否、もうそれしかないかもしれない、という意識が、新たな政策や理念を
創りだし、個人の自由の意味さえ問い直し、今世紀の知の地平も切り拓いて
いきそうな予感さえする。
終章、本書は地球市民としての普遍原理の構築にまで話が及ぶ。
その壮大な理念の出現と普及を、期待と不安を持って待ちながら、
わたしたち一般市民は、経済人や政治屋が統治する国家を越えて、
心優しき社会人を体現するために、まず自らのコミュニティのなかに、
あと少しだけ重心を移してしまえばいいのだと思う。
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とてもきれいに整理されています。
自分の分野だからこそというのもありますが、
これはとても参考になりますね。
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091213 大佛次郎賞0912by朝日
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むずい100221
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戦後の日本社会で人々は、会社や家族という「共同体」を築き、生活の基盤としてきた。だが、そうした「関係性」のあり方を可能にした経済成長の時代が終わるとともに、個人の社会的孤立は深刻化している。「個人」がしっかりと独立しつつ、いかにして新たなコミュニティを創造するか―この問いの探究こそが、わが国の未来そして地球社会の今後を展望するうえでの中心的課題となろう。
都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策など
の多様な観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる。
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「個人」がしっかりと独立しつつ、いかにして新たなコミュニティを創造するか
都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策などの多様な観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる
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文中やたらと強調や補足が多くて読むのに難航。こちらの力量不足もあるかな。本書の全てに共感できる訳でないにしろ、今、自分が乗る船を選ぶとしたらここに手を挙げたい。他著にもあたってみたい。
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コミュニティというものについて、1)都市論、2)社会制度、3)思想、の面から包括的に考察した本。都市論、社会制度の話は少し疑問は持ちつつも納得しながら読めた。思想については、付け焼き刃?というか急いで書いたって感じを受けた。
知らない人に挨拶もしない、レストランで隣に座った人と一言も会話しない、目があっても無視する。そんな日本の住みにくさを、コミュニティ論という耳慣れない分野が解こうと頑張っていることは分かった。しかしいわゆる「文系」の学問全てに言えることだけど、予測可能性のない、「理論」を目指さない「議論」って印象。
こういう議論をもとにした具体的な取り組みと、その効果を何らかの数値(住宅や貯蓄の統計値の変化とか、さ)で表した本があれば読みたいな。
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『コミュニティ』はアンテナ張っているキーワードだったから即購入。あたりでした。まとめると、日本はもっと共同体を超えた規範を共有することで、個人としてつながれる環境を整える必要がある、となる。コミュニティやソーシャルキャピタルなどに興味がある方は必読か。
コミュニティは暫定の定義として『人間が、それに対して何らかの帰属意識を持ち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助の意識が働いているような集団』とされている。
コミュニティにはいくつも類型があるが、その重要な分類の一つとして、農村型・都市型というものがある。簡単にまとめるといかのようになる。
農村型(閉鎖的、うちわ、共同体としてつながる)⇔都市型(外交的、個人としてつながる)
ここ数十年、日本の人口は農村から都市へ大きく移動したが、コミュニティベースで見ると、農村というコミュニティから、企業と核家族という都市にはあるが農村型なコミュニティに移動しただけであった。これは面白い。そして結局あまり都市型のコミュニティが発達しなかったという。
まぁ、結構僕の周りは都市的なコミュニティが多いんですけどね。やっぱり、見知らぬ人同志が自然に挨拶したり会話できたりできるような環境があった方がいいと思っています。僕自身はKYにもずかずかと話したりできるほうなんですがね。
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2010.04 コミュニティーの話を発端に、日本の今後のあり方を考察している。とても参考になったが、争点がどこにあるのかが、今一歩わからなかった。
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人間にとってコミュニティとは何か。
人となった人類が歩んできたコミュニティとの関わりも分析されている。
他の生物と違って高度に発達した「脳」を持っている人類にとってのコミュニティ。
厚生労働省の官僚であったという経歴からくるコミュニティの分析。
とにかく今まで親しんできたコミュニティの本とは明らかに一線を画された著作である。
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領域、テーマは凄く興味大。なんだけど、文章が冗長的でしんどいね。エッセンスを抽出しながらの読み飛ばしができればいいんだけど。ということで、情けないけど、まだ奮闘中。
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[ 内容 ]
戦後の日本社会で人々は、会社や家族という「共同体」を築き、生活の基盤としてきた。
だが、そうした「関係性」のあり方を可能にした経済成長の時代が終わるとともに、個人の社会的孤立は深刻化している。
「個人」がしっかりと独立しつつ、いかにして新たなコミュニティを創造するか―この問いの探究こそが、わが国の未来そして地球社会の今後を展望するうえでの中心的課題となろう。
本書は、都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策などの多様な観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる大胆な試みである。
[ 目次 ]
コミュニティへの問い
第1部 視座(都市・城壁・市民―都市とコミュニティ;コミュニティの中心―空間とコミュニティ;ローカルからの出発―グローバル化とコミュニティ)
第2部 社会システム(都市計画と福祉国家―土地/公共性とコミュニティ;ストックをめぐる社会保障―資本主義/社会主義とコミュニティ)
第3部 原理(ケアとしての科学―科学とコミュニティ;独我論を超えて)
地球倫理の可能性―コミュニティと現代
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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コミュニティのあり方やその再生については多く議論されており、地方自治体では商店街や公民館、学校などを中心としてコミュニティを形成する試みがなされている。コミュニティが重要視されるのは、それが人が生活するうえでの基盤になるものと考えられているからであり、経済成長に頼らない豊かな生活を送る上での基盤になるものであると認識されているからである。
しかし、マンションの住人はマンションを単位としたコミュニティという意識は薄く、むしろコミュニティは排他性や同調圧力を生むためにコミュニティというしがらみからの開放が進歩であるとされてきたという歴史がある。文明の発展とは、コミュニティという集団によってではなく、個人がバラバラに生活できる社会が「進歩」であると考えられてきた。このような理由から、コミュニティという言葉に対して批判的な立場をとる人も存在する。
本書は、都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケアなどさまざまな観点から、人と人との新たなつながりの形を模索するものであるが、「コミュニティ(共同体)」をより具体的に分析し、感情的次元の「農村型コミュニティ」と規範的・理念的なルールによる「都市型コミュニティ」とに分類している。
人の移動が少なく、濃密な関係性が築かれるのが「農村型コミュニティ」であり、コミュニティという語についての一般的な認識がこれにあたると言える。そして、生産のために個々が集う場所が「都市型コミュミティ」であり、この外部に開かれている流動的な集団を、西欧では宗教が、日本では経済成長という理念が一つの集合として束ねていた。
明治以降、日本は欧米列強の進出に直面する中で、「文明の乗り換え」を行った、しかし価値原理(キリスト教)は受容せず、仏教・儒教の価値原理はほとんどを捨象した。この価値原理の喪失を経済成長という信奉が埋めたと言える。
そして経済成長が頭打ちになった現在、個々をまとめるコミュニティの意識が希薄になっていると言われているが、推論すると本書で言うところの「都市型コミュニティ」が薄れているのであり、重要ということになる。
しかし、ここで議論は転回し、社会保障の話に移る。制度としての保障だけにとどまらず、心のケアなども含めた保障で、ケアを施す場としてコミュニティが重要であるという内容であり、このコミュニティとは濃密な関係を受容する「農村型コミュニティ」、感情的次元による「つながり」の場についてである。
さらに、社会格差に対する保障にも触れているが、興味深いのは所得に関するフローの格差ではなく、ストック(資産)の格差が、日本の固定的な階層の中での世代交代により蓄積され、より拡大しているという議論である。このストックに対する保障という観点から都市政策による社会保障という考えが
導きだされている。これまでの都市政策は景気刺激策として行われてきた。そして福祉政策は担当省が異なるということもあり、制度やサービスが中心であった。
著者の提言は、NPOや地域コミュニティなどの「公」的な領域の発展と、所得の再配分や土地所有のあり方などの公的部門の強化が重要であるとし、大きく括れば社会保障のより一層の充実といえる。
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日本におけるコミュニティのあり方、というのは2010年現在、ある意味でとてもホットな話題である。
ちょっと厚めの新書一冊によくこれだけ色々なものを詰め込んだと思える浩瀚な論であり、参考になる視点が様々にあった。
特に、筆者の言う『福祉地理学』は今後重要さを増す思考法であろう。どのような地域においても一律・普遍的な福祉を考えるのではなく、地域の実態に合わせた施策を。
その実現のために官・民のみならず「公共」の役割を拡大すること。(日本社会においては「公」の位置づけが曖昧であるとは、他の分野、他の論者も多く指摘するところではある)
また、街づくりにおいてアメリカをモデルとしたために、自動車中心の都市が多くなったことについても指摘がある。人が歩き回れる程度の町、というのは高齢化を踏まえたうえで必要な視点であろう。