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[ 内容 ]
フーコーは、私たちが自明視する世界のありようを、全く違ったしかたで見せる。
「価値を変えろ!」と迫るその思想の核心に、どうすればたどり着けるのか?本書は、最高傑作『監獄の誕生』を糸口にフーコーの全貌に迫ることで、その思考の強靱さと魅力と、それを支える方法とを、深く広く、生き生きと描き出す。
正常と異常の区分を生み出す「知」の体系と結びつき、巧妙に作用する「権力」。
そうした秩序が社会の隅々にまで浸透する近現代を、フーコーはどう描き、その先に何を見定めたのか。
魂を揺さぶる革命的入門書。
[ 目次 ]
1 フーコーの世界へ
2 身体刑とその批判
3 規律権力
4 近代国家と統治
5 監獄ふたたび
フーコーのリアルと、彼をつかまえにゆく方法
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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高校2年現代文教材に「私はどこへ行く」という哲学系教材がある。
内容は、
今まで、デカルトの心身二元論によって意識する私が主導権を握っていたが、デジタルテクノロジーの発達によって身体的な私が主導権を持つようになった。これによって、今までの権力者と非権力者という構図が成り立たなくなる。
21世紀はデジタルテクノロジーによるパノプティコンの時代である。
…というお話。
一体、パノプティコンってなんだ!?と思って本書を手にとった。
本書は一般的な入門書とは異なり著者の熱意が伝わる読みやすい本。
是非、読んでみてほしい。
サイコパスというアニメにもパノプティコンは登場しますね。
知っていると楽しめます。
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内容はさておき、たぶん好みが分かれる書き方で「実はさっき気づいた」とか出てくる。個人的にはこういう雰囲気は嫌いではない。
内容については入門書としてある程度指標になってくれてる気がするのでよかった。
何よりこちら側にもフーコー読んでみよかなと思わせてくれるのがいい。
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一見は軽妙な語り口。『監獄の誕生』を淀みなく読んでいる気持ちになってしまう。
著者が示すフーコーを読む「作法」がなにより参考になる。特に終章のことばが頂門の一針という言葉以外思い浮かばなかったほど、フーコーから権力との付き合い方を教わろうと思っていた私には深く刺さった。
フーコーを読みたい。そして自分と社会の今を考えよう、そう思えた。
・P192:フーコー自身、権力について「何が」「誰が」ではなく「どのように」を問うべきだとくり返していた。これは言いかえれば、権力にどちらの側から接近するべきかについて、その接近方法をなぜとるのかの意図だけでなく、そこから何がどのように見えてくるのかの帰結も含めて常に敏感であれということだ。
・P209:(監獄の失敗から)フーコー:警察なんて最近できたうっとうしい制度、犯罪者集団がいなきゃ誰も認めませんよ。
・P213:権力は人の相互作用を通じて、戦略的に作用する。
・P230:系譜学とは著述の方法というより、むしろそれ以前のところ、政治的直観に基づく「立ち位置」に関係している。
・P234:流行は消費されるが、時代とまともに向き合うとは、それ自体消費に抗う営み。それは現実を、人々の痛みや軋みを、それが逃げ去ってしまう前に一瞬でとらえようとする熱意の言いかえなのだ。
・P238:彼の著作はまさに理解に抗うところがある。結局何が言いたいのか、どんな「オチ」なのかよく分からない。・・・なぜなら現実の世界には明確なストーリーもオチもないからだ。
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フーコーの監獄の誕生を中心にフーコー何をしようとしているのかを熱く論じた本。本そのものの解説よりも、著者の世界観が垣間見える記述が面白い(愛知の公立中高の話など)。第V部の議論が面白かった。
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解説書であれ一般への紹介書であれ、フーコーをテーマとする本を読んだのは初めて。
この重田という明治大学の先生の名前は、初めて見た。ずいぶん若いし、校内暴力で中学校が荒れていた世代、しかも悪名高い愛知県管理教育を受けた人。だから「監獄の誕生」に魅せられているのか。
重田の個人的想いがいたるところに横溢しており、堅苦しくなくて面白い。読み流す中で「フーコーの思索・思想」についての興味が出てくるということで、思想・政治・社会についての100%素人でも興味深く読めるという点でオススメと思う。
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チラチラとハゲ頭がちらつく、などのユーモアや著者のフーコー愛が伝わってくる。フーコーの、というより、監獄の誕生を通じたフーコー入門書。
国家理性論のあたりから難しくなったが、おおむね理解できた気がする。権力の狡知。非常事態とシュミット。
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あざとい書き出しで、この方も相当変わった方であることがわかる。内容はおもしろいのだと思うけど、こういう思考様式に慣れてないのでなんともいえん。ふつうに「フーコーフーコー」言ってる人とは違うのはわかる。
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基本はフーコーの著書『監獄の誕生』を解説する読書案内で、加えてフーコーの著作の性格や、その魅力を伝えることを意図している。章ごとの流れとしては、2章までが導入、3~8章と12章が主に「規律」をめぐる『監獄の誕生』の読解、9章~11章がフーコーの近代国家への見立て、13章ではその政治活動について紹介する。
未読の読者が対象だといってもフーコーへの難解なイメージから警戒感があったが、『監獄の誕生』を読解するパートを中心に興味深く読めた。近代になって身体刑が自由刑に転換したことへの問い自体はフーコー独自の着眼ではないとされるが、私にはそこからが新鮮だった。ブルジョワジーの要請とも一致する規律型の権力が空間と時間を制御することで、機械化された人間という名の資源を生み出したとする主張が腑に落ちる。著者の「今では自発性も主体性も、どことなく気恥ずかしいような時代がかった言葉の仲間になってしまっている」という一文には、規律が自明のものとして内面化されてしまった社会を薄ら寒く感じ、怖れを新たにする。同時に、規律が自然発生的に「つまらない工夫が積み重なってテクニックとして精緻化」されたという指摘と、近代国家に対して規律を生んだ元凶とする見方を短絡的とする戒めも独特だと感じた。
自身の中高生時代の学校体験や、一部にある感情的な語り口など、フーコーの魅力を伝えようと模索する著者のパーソナリティが端々に滲むのも本書の特徴だろう。ここでフーコーは理解し難い哲学者としてでなく、「見えているものを違った仕方で見せる」ことで、社会に違和感を感じ続けた著者という一人の人間を励ました存在であることを理解し、著者がその魅力を伝えようとする動機にも納得できた。
12章の「監獄の失敗」が黙認され続ける事実への考察には、偶然最近読んでいた『凶悪犯罪者こそ更生します』や『獄窓記』が伝える日本の刑務所の実情とも重なった。一定の犯罪者を確保して市民の被害者意識を醸成することが目的であれば、刑務所が更生施設としてほぼ機能せず再犯者を多く生み出しつづけるのは必然だ。犯罪者の更生を目指すという人権的に真っ当な試みは意図せず、人びとの内面にも根を下ろす「規律」が張り巡らされた社会システムに対する挑戦にあたるのではないだろうか。そもそも「犯罪者が更生する」ということを、市民感情として一定数以上の人々がそれ自体をあまり望まないだろうことは想像に難くないからだ。
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ミシェル・フーコーの持つ魅力を、「監獄の歴史」を中心に、できる限り分かりやすくならないように、でも分かりやすく伝えてくれている本。
著者が、フーコーをこよなく愛していることがすごく分かりました。
「監獄の歴史」を頑張って読んでみようと思います。
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フーコー好きな人のブログを読んでる感じ。フーコー読んでわかんないとこあってもいいんだ、と思えたので挑戦したい。
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好感の持てる入門書。
入門書で2回読むのはめずらしいけど(実際に読み始めてみても途中で読む気をなくすことがほとんど)、この本は、2回目も楽しく読めました。
この本のいいところは、『監獄の誕生』とそのテーマにかかる周辺講義などに焦点を絞って、フーコーの思考の過程を熱意をもって紹介してくれているところだと思います。テレビ番組アメトーークで、○○大好き芸人のテーマで、自分の好きなことを熱意をもって面白おかしく話してくれたら、○○のことをあまり知らなくても「なんだかおもしろそうだな」と思って等の対象物に関心を持ったりしますが、あれです。あんなかんじです。
フーコーの著作を俯瞰して、目立ったトピックをつまみぐいで説明する本も悪くはないですが、それだと「ふむふむ勉強になるなあ」と思っても、「おもしろそうだぞ、実際にフーコーの本を読んでみたいな」にはならなかったりします。この本はその逆で、フーコーの思想の全体像は特にわからない(そもそもそういう意図を持っていない)のですが、『監獄の誕生』への関心をめちゃくちゃ高めてくれます。
ということで、ぼくは、この入門書を2回読んだのですが、その両方、『監獄の誕生』を読み始めることになったのでした。影響受けすぎでちょっと恥ずかしいですが。【2021年8月8日読了】
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フーコー愛がすごい!情熱にあふれてる
規律と監獄の普及、生まれたあらゆる学問、区別、定義、正常/異常
そこから「監獄の失敗」は何に役立ったか→犯罪から政治性を排除、無効化する点につながるくだり、ほれぼれした。。まさに規律の狡猾さそのものがあらわれている
主権と生権力についてはリベンジする
>規律というのはものすごくせこいが忍耐強く人間に働きかけ、ひとたびそれがうまく働くと暴力や強制力をほとんど必要としない境地にいたるのだ
>今では自発性も主体性も、どことなく気恥ずかしいような時代がかった言葉の仲間になってしまっている
監視されること、規律の存在ばかりに疑念を抱くのではなく、権力がどのように作用しているのか、それはどこからやってきたのか?追うように読んだ
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「現代思想入門(千葉雅也著)」「疾風怒濤精神分析入門(片岡一竹著)」「ミシェル・フーコー 自己から抜け出すための哲学(慎改康之著)」からの流れ読みだ。
フーコーの思索への尊敬と親しみを感じている著者が学生に講義するように口語調で語られている。「フーコーは専門分野を持たず、永遠のアマチュアだった。(後略)」(39頁)、ここでは短いがフーコーへのアプローチの方法がさりげなく示唆されている。なるほど。
フーコーの解らなさを深掘りすることで、世の中を見る新たな「眼」が得られるということだ。
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フーコーにフォーカスした新書は、中山元氏の『フーコー入門』、慎改氏の『ミシェル・フーコー 自己から脱け出すための哲学』、箱田氏の『ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方』があるが(内田氏の『フーコー 主体の系譜学』は現在講談社学術文庫化)、そのなかでもっとも彼のたくらみに触れやすい書籍だと思う。
フーコーの書籍を「読む」ことに重きを起き、そこから彼の思想を他の書籍なども引きながら紹介していく本書は、後半になるにつれて著者のギアがあがっている印象はあるが、ライトな書き口で読みやすかったし、唸らされた。
現代社会が大きな監獄に見えてくるので、漠然とした生きづらさを抱えている人はその根本要因が言語化されていて気持ちいいかも。