紙の本
小説として読めば面白いが・・・
2007/11/01 15:31
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
トリイ・へイデンものは、障害児(特に無言症)と、そのクラスとのかかわりを描いた自分の体験に基づくものが多かった。これは、小説。そういう意味ではちょっと物足りない感じもする。
おなかのまわりに、アルミホイルの小片を結びつけた紐をいっぱい巻きつけ、「ニャオ」とか機械音しか発しない子ども。9歳の少年コナー、自閉症と診断されている。ぬいぐるみの猫を突き出し、まるで、猫によって、物や人を信頼しうるか、警戒すべきかと探知するかのようだ。そして「猫は知ってる!と叫ぶ。
家族は、有名作家の母親と、牧場経営者の父親、そして、超美人の6歳の妹。
私こと、精神科医のジェームズも、問題を抱えている。離婚して子どもたちから遠く離れ、休暇に面会に来た子どもたちの扱いも、上手にはできない。そんな時、助けてくれた、コナーの母親が、診療所を訪れ、一緒に食事をしながら話をしたいという。断りきれなかったジェームズ。
コナーのセッションでの様子と、母親の空想に満ちた話とが交互に重なっていく。小説としては、良くできているけれど、子どもの変化に興味のある私としては、空想のお話はいまいち。コナーが心を開いていく様子、おもちゃや絵の具に興味を示していく慎重な態度、同じ動作を繰り返し、確認していく様子などは読んでいて、やっぱり保育の仕事をしたいなぁと思ってしまう。体力に自信がないので、無理かもしれないが・・・
子どもってすばらしいよね。エネルギーも、可能性も、たっぷり。そして素直。どの子もみんな、かわいい!!
紙の本
上巻だけでは止められない
2002/07/26 14:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:桃華 - この投稿者のレビュー一覧を見る
トリイ・ヘイデン2作目の小説。
話は主人公のセラピストと自閉症の少年、その母、そしてその妹との3つのカウンセリングを平行して綴られており、上巻ではそれがどのように関わってくるのかがまだよくわからない。しかしながら、登場人物の描写が素晴らしいので、一人一人の話に興味がわき、あっという間に読み終わってしまったという感じである。
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恐くて読むのがやめられなくなります。現実と虚構が織り交ぜられて話が進んでいくのですが、あ、これ以上はネタバレだよ。
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虐待実話の得意(?)な彼女ですが この作品はちょっと違います。SFファンタジー要素もあり。
実際考えさせられる内容ですね。ラストが頭の中から離れないのですが...
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自閉症と診断された九歳の少年コナーは、
ぬいぐるみの猫を決して手放さず、
奇妙な言葉をつぶやく。
やがてその言葉は、
彼の母親の恐ろしい過去を掘り起こしていく…
圧倒的筆致で贈る驚愕の物語。
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内容(「MARC」データベースより)
自閉症と診断された9歳の少年コナーは、ぬいぐるみの猫を決して手放さず奇妙な言葉をつぶやく。その不可解な言葉は何を意味するのか。幼い心の叫びを圧倒的筆致で描く驚愕の物語。
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またしても一気に読んでしまいました。面白かった。ただひとつ物足りなさがあるとしたら、今までのノンフィクションと違って、主人公がトリイでないということなのかもって思った。子ども達と触れ合って、悩んだり喜んだり絶望したり。人間らしい、愛にあふれたトリイの姿に癒されていたのかも。
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ワクワク・ドキドキで始まる
やっとタイトルにたどり着く
ただ、どこへ向かうのか
どう進むのか
益々楽しみな後半
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トリイのフィクションは別の作品も読みましたが、これを読んでトリイにはまだまだ深い世界を持った方なんだなあと思いました。ちょっととっつきにくい部分もあったけど、謎めいていてそれもまた良いです。後半が気になります。
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主人公は精神科医ジェームズ。患者の男の子コナー。コナーの母親ローラ。ローラの頭の中のトーゴン。トーゴンの世界『森』
話は、主人公のいる現実とトーゴンの世界『森』を行ったり来たりする。世界はほとんど交わる事が無く、話が進んでいく……と思っていたのに
ローラが成長したら、少しだけ現実と森が交わった。
話の核として出て来てるコナーがなんだか、蚊帳の外みたいな感じだなと思った。けれど、最後でローラの話になった。ローラの知り合いが「あの方はあなたのことをもうすべて、̪知ってらっしゃるはずだから」と言う。あの方というのは教祖と呼ばれる人。
コナーは「猫は全てを知っている」と毎回繰り返していた。なんだか、関係あるのかなー?と思った。
ちょっと気になった部分。
「わたしには痛みを感じないために体と精神を分離するという大人の技術をすでに習得した人が見えるのです」
「だれでもときには空想の世界に住みたいと思うものさ、ローリー。でもそれは大人のやり方じゃない」
上のセリフはトーゴンのもの。
自分は大人か子供か迷っている人にかけた言葉。
下はローラが自分の父親に森の世界を説明した後に、父親からかけられた言葉。
父親はローラの言う事を「空想」と切り捨てた。
トーゴンの言葉は一理あるなと思った。確か、成人の日辺りの新聞に「大人って何?」みたいなものが書いてあったけれど
「痛みを感じない人間が大人」というのは、確かにそうなわけで……正確には「痛みを表さない」だけれども。
そして父親の言葉。
「空想の世界に住まないのが大人」
大人の定義って色々あるなと思ったのです。
ローラは「現実とは何?」という疑問を問いかける。その為のトーゴンの物語という事を忘れそうになってしまう。
コナーはどんな現実を見ているのか。コナーの妹のモーガナも現実なのか空想なのか、よく判らない世界の話をする。大人たちはそれを「空想」と決めつける。
特にローラがそれを「空想」と決めつけてしまった事にはちょっと驚いた。
ローラは子供ではなくて、大人なのだと再確認してしまった。
上巻を読んだ限りでは「空想の世界に住む子供」と「現実(だと思っている)の世界を生きている大人」のお話しなのかなと思った。