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なぜ「何もない」ではなく「何かがある」のか?
という哲学の究極の問いを様々な知識人(神学者やノーベル物理学賞受賞者、数学者などなど)にインタビューしながら考察する一冊となっている。
それぞれにそれぞれの考え方があってとても面白いです。
神の存在を仮定するしか無いと考える人から、量子論的揺らぎによる神を必要としない偶然の創造、多宇宙説によって必然的に生まれる、プラトン主義的な考えなどなど。
無から有の創造はどのように起こったのか?また、何故それが起こったのか?
あるいは、そもそも無なんてものは存在せず、無限の過去から未来永劫存在するのか?では、それは何故無ではなく有なの?
自然界が真に機能的で美しいものであるなら、もっとも単純(シンプル)な無が選ばれるのが本筋じゃないのか?
そもそも無とはなんだろう?あなたには想像出来ますか?
そして行き着く先は私とはなんだろう?と死についてである。
哲学を簡素にまとめた一冊だと思います。
ただ堅苦しいのではなく、様々な知識や楽しい挿話が詰め込まれていて面白かったです。
ひとつのテーマでこの分量を書けるのはすごいですねw
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「世界はなぜあるのか」、つまり「なぜまったく何もないのではなく、何かがあるのか」という哲学、物理学、そして神学に関わる問いについて、過去の哲学者や科学者を引き合いにだしながら、その道の専門家と思われる人へのインタビューを重ねた本。変わった印象を与える本だ。
著者の知識は広い。選んだテーマからして当然、哲学関連の知識もある。古くはタレス、ソクラテス、アリストテレスから始まり、デカルト、カント、スピノザ、ライプニッツ、ヘーゲル、フィヒテ、シェリング、キルケゴール、ショーペンハウアー、ハイデガー、フッサール、ベルクソン、サルトル、ノージック、ネーゲル、ジョン・サール、ダニエル・デネット、チャーマーズ、ウィリアム・ジェームズ、などなじみの顔が揃う。また数学および論理学の偉人でも、アルキメデス、パルメニデスから始まり、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、カントール、カルナップ、クワイン、ゲーデル、クリプキの名前が並ぶ。そして、物理学からもアインシュタイン、ボーア、シュレディンガー、ハイゼンベルグ、ワインバーグ、フリードマン、エベレット3世、ファインマン、ホーキング、ペンローズ、ヴィレンキン、サスキンド、ブライアン・グリーン、と錚々たる名前。神学の方面からも問いを巡らし、カール・バルト、トマス・アクィナス、アンセルムス。
世界の起源についての科学的知識はこの数十年の間に飛躍的に拡がった。インフレーション宇宙や真空のゆらぎ、などはほぼ業界のコンセンサスとしてひとつのパラダイムを構築しているように思える。その結果、多宇宙論といった人間の認知限界を超えているのではと思われる考えについても一定の賛同が得られている。一世紀前と現在の違いは、この物理学で蓄積された知識だろう。存在や生成のメカニズムがかつてないほどの確度で明らかになっており、認知の限界が100年前と比べて格段に深化されている。そして、その結果いくばくかの人間原理にも囚われることになる。
ウィトゲンシュタインが言う「神秘的なのは、世界における物事のあり方ではなく、世界が存在するというそのことである」とし、「世界は私の世界である」であり「私は私の世界である」と言ったところから、実のところ進めていないようにも思う。また、ハイデガーが「無はあまりにも現実的で、存在の世界を壊滅の脅威にさらす、「無効かする力」みたいなものだった。だからこそ、「なぜまったく何もなにのではなく、何かがあるのか?」という問いは、「最も深く」、「最も遠大」で、「最も根源的な問い」だと明言した」
本書の多くは、専門家へのインタビューで構成されるが、それはどこか搔痒感がわく。本を読み進めても、核心へ近付いているという感覚が持てない。
実際に著者がインタビューをしたのは以下の面々である。
アドルフ・グリュンバウム、哲学者
リチャード・スウィンバーン、宗教哲学者
デイビッド・ドイッチュ、多宇宙論
アンドレイ・リンデ、物理学者
アレックス・ヴィレンキン、量子宇宙論
スティーブン・ワインバーグ、量子論
ロジャー・ペンローズ、宇宙物理��者
ジョン・レスリー、哲学者
デレク・バーフィット、哲学者
ジョン・アップダイク、作家
彼らと話をするために、ニューヨーク、オックスフォード、パリを巡る。
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いはつかまえどころがない、あるいはまったく支離滅裂だと思う人にはこう申し上げる ― 知の進歩は往々にして、まさにそのような問いを、初めて発した者には予見できないやり方で洗練させることによってなされてきたのだ」というのが著者のモティベーションである。そうであるなら、その道は半ばである。本書にて、その答えを求めるべきではない。まずは、そういった問いに慣れ親しみ、楽しむことだ。そして、人間だけが今のところそうすることができる存在であるのだから。
面白いかどうか、理解できたのかどうか、と問われると微妙、だけれども、この問いを興味を持って問い続けることは必要なことのように思える。そういう意味で言って面白かったよ。
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科学のカテゴリに入れたが、ある意味哲学書でもある。
人にとっても最も根源的で最も難解な問いである、「世界は
なぜあるのか」について、様々な哲学者や科学者、作家に
インタビューを行い、著者自分なりの答を導き出そうという
本だ。著者なりの結論は一応書いてあるのだが、その結論
よりも、そこに至るまでの様々な立場の人間の意見とそれに
対する著者の反応の過程こそが面白い本だと思う。
私は世界を創造した「人格神」といったものが存在している
とは思えないのだが、この宇宙を生み出した何かが存在して
いるのなら、人間が自分の都合でそれを神と呼んでも差し
支えないとは思っている。人は信仰がなければ生きていけ
ないものだとつねづね思っているしね。
著者が本当に書きたかったのは自分なりの答の後に書いて
いたことではなかったかと、ちょっと思ったり。
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「実存をめぐる科学・哲学的探索」ということで、科学の方は理解できるが、哲学のほうが何を言ってるのかさっぱり分からなかった。頑張って最後まで読んだのに。
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素晴らしいの一言に尽きた。この世界はなぜあるのか。なぜ何もないのではないのか。そもそも無とは何なのか。それについて宇宙、量子論、存在論的思考、プラトン的世界、観念論など多数の理論から考えている。ハイデガーが「無は無化する」と一見馬鹿げたような言葉を遺したが実はそうでとなかったりする。というのは、この世界はセレクターの無い世界であり、それは極めて平凡な宇宙しか生み出さないことを意味している。つまり、無といったように極端な世界は生み出されないのだ。つまり、この世界にセレクターが存在しない限り、無は存在しないのだ。この論理を読んだ時、私は震えた。例えこの論理が観測されないものだったとしても、それを真だと考えることに不足はないだろう。ただ、一方でそれに満足した途端に哲学が終了してしまうという側面もある。哲学に終わりが見えないとしても、どこかには果てがあるのかそれともないのか。それは人間には最後まで分からない命題のように思える。だがそれでも私たちはそれを追い求めないわけにはいかない。私たちはその呪われた宿命を背負いながら生きていくしかないのだ。
ああ、それにしてもこの本は長すぎた。
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[関連リンク]
生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問『世界はなぜ「ある」のか?』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2014/06/post-ac61.html
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最初は「形而上学の問題に科学で答えを得ようとする感じ」ですが、「ほんとうに世界は善に満ちているのか?」とか「時間とはなにか?」「神の存在」「物体の構成」といった問いに触れてくるあたりからおもしろくなってくる。ヒュームと因果についても最後のほうで読める。
全体としてとてもおもしろいのだけど、とくに「地球を支える亀が永遠に下まで続いている」という考えを真剣に捉えて考えるあたりがおもしろかった。