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宮沢賢治の世界にはハマってよく読んでいた。
すごく難解なので、あまり理解できていないのだろうけど、それでも何だか好きでよく読んでいた。
「幻想第四次」とか「イーハトーブ」とか呼ばれるそういった世界を、味わうのが好きだったんだと思う。
賢治ファンは結構いるんだけど、この本の著者のますむらさんも相当のファンだ。
この本には、ますむらさんの賢治作品への愛がすごく詰まってる。
愛ゆえに様々な考察をしたますむらさんは難しい賢治の世界をしっかり解説してくれています。
宮沢賢治というのは本当にすごい世界を持った人だったんだなあ、というのが実感。
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グスコーブドリの伝記、猫の事務所・どんぐりと山猫、 ヨネザアド物語、 風の又三郎―雪渡り・十力の金剛石 などなど、主人公を猫にした宮沢賢治者の著者が語る宮沢賢治の銀河鉄道の夜などの作品像 参考文献の入手性の一覧を作成 http://bit.ly/YNNWUY
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偕成社の「銀河鉄道の夜」は第3稿が読めることもあり手にしていたのに、この本は見落としていたので読んでみた。
全体的に思いつくままに筆を走らせて、まとまりがなく、いつの間にか話が変わっているような印象はあるものの、とても興味深く読めた。
前半は宮沢作品を猫で描くまでの話。「ヨネザアド」「アタゴオル」の由来をいまさら知った。
中盤以降は銀河鉄道の夜を含む宮沢賢治作品の映像化の難しさやその解釈についてであり、また宮沢作品を読んでみようと気になる。
まつむらさんの作品は引っ越しなどで手放してしまったものも多いので再読したいと思う。
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宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の登場人物を猫に置き換えてマンガ家した著者が、賢治への思いを語った本です。
賢治の作品を、マンガという視覚メディアに変換するという作業を通じて、著者が気づいたさまざまな発見が、著者自身による回想という形で語られています。『銀河鉄道の夜』には満点の星々の描写がないのはどうしてなのかという疑問と、「三角標」という測量標識に関する疑問が結びついて、賢治の想像力の内実に迫っていく著者自身の発見の喜びを追体験することができます。
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絵の人は言葉の人でもあったのだ。
特に後半にかけて三角標や天気輪の考察にドライヴがかかる。
それもリリカルな心情……あの寂しい銀河に妹をひとりで行かせたくなかったのだ……に裏付けされている。
名著。
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[ 内容 ]
登場人物を描のキャラクターで描いたコミック版『銀河鉄道の夜』の作家であり、熱狂的な賢治ファンである著者がはじめて書き下ろした清新な賢治体験記。
[ 目次 ]
第1章 賢治がくれた水いろの切符―猫も賢治に逢いにいく
第2章 謎だらけの銀河鉄道―車窓から『ほんとう』に星が見えるのか?
最終章 蕈の形に見える瞳
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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先日思わぬ再会を果たしたアタゴオル。僕(や、いろんな人)とアタゴオルとを包んでいる宮沢賢治的世界が、なぜ、どうやってつくられたのか。
アタゴオルシリーズのことよりも、銀河鉄道の夜をメインに話が展開する。どうして猫なのか。賢治は本当に猫が嫌いだったのか。それを拠り所にアニメ化に反対する人たち。
だが本当に大事なのは人か猫かではなかった。まったく描写されない登場人物の容姿と、突き抜けた想像力の銀河。
当初、教科書での賢治との出会いは決して教育的に向くべき方向には反応しなかったという著者が、その想像力をつかもうとして変わっていく様子がぎっしりと描かれています。
考察といえば考察だけど、そんな言葉よりも、もうちょっと綺麗な言葉で説明したいなあ、思い浮かびませんが…。
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宮沢賢治作品を漫画化している ますむらひろし による宮沢賢治エッセイ。
ますむらひろしの漫画の舞台である「ヨネザアド大陸」の「アタゴオル物語」という名前は、宮沢賢治が故郷の「岩手」を実在するドリームランドとして「イーハトーブ」と呼んだことから、では自分の自分のドリームランドはなんだろう?として故郷の「米沢」と、暮らしていた「愛宕」をそのようにつけたのだそうだ、ふーーん。
ますむらひろしが漫画化した宮沢賢治童話では、人間をネコとして描いている。
漫画化にあたっては、宮沢賢治研究者や、弟の宮沢清六さんにも会って、貴重なお話をいただいたり、自分の解釈に同意してくれたり、ますます困ってしまったり、という真摯な向き合い方が書かれていた。文章を漫画などの視覚に置き換える場合、どうしてもできないことがある。また宮沢賢治の言葉や場面、思想も表現しなければいけない。これをどのように表現するかの経緯や研究を読むことができるのはなかなか面白かった。
また、宮沢賢治研究者や、弟の静六さんはネコ化はわりとあっさりと承諾してくださったという。ネコであっても人間であっても、ジョバンニの精神を持っていればそれで良いというわけ。
しかしネコによる「銀河鉄道の夜」アニメ化にあたっては、宗教色は省かなければいけなくなった。公開された映画に対して一般視聴者やファンからは苦情もあったようだが、ますむらひろしとしては「登場人物がネコか人間かなんてどうでもいいだろう。それより『たったひとりの本当の神様です』というセリフをなくすことや、あの銀河をどう表現するかが問題だろう!!」と言っているのがなんか納得してしまった。そう、原作物を映像化した場合「原作とは見かけは違うが、その人物を表している」ということで評価される俳優さんがいるが、見かけよりも精神を受け継いでいれば良いんだ!
しかし漫画化するには疑問がどんどん出てくる。
「三角標」ってなに?夜空を「桔梗色」と繰り返しているがどんな色でなぜこの色なんだろう?銀河鉄道の窓からは全く星が見えないのはなぜ?
これには私もびっくり。星ないっけ??銀河鉄道の夜というと、星空を走るSLが思い浮かぶんだが、ただの思い込みだったのか?
私そもそも、銀河鉄道でのお祈りの声が「ハルレヤ」(「ハレルヤ」ではなく)だったことに気がついていなかった。はるれや、という文字を読みながらも勝手にはれるや、だと思い込んでいたのでしょう。
文章にしかできない表現を視覚で見せるために、どのような向き合い方をするか、という意味でもとても興味深いお話だった。