紙の本
まずは講談社の蛮勇に拍手。この出版不況の世の中に、よりによって埴谷雄高なんて。『死霊』なんて。あまりのめりこんで読まないように。「わからんなぁ」とぼやきながら読むぐらいでちょうどいいです
2003/06/24 11:07
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
おそらく今の若い読者はこのような小説を読んだことはないだろう。とても「物語」が語られているとは言い難く、リアリティなどどこにもないような観念的で非日常的な「日常会話」が繰り返される作品である。人間存在の根源を求め、生きる意味と死ぬ意味を堂々巡りのように追い求めつづける4人の男達。
このあまりにも沈鬱で苦しい小説を自分に引きつけすぎると、生きていられなくなる。この小説を読んで自殺した若者が何人もいたというのもわかる。
後半へいくほど舞台設定が荒唐無稽になり、現実からの遊離が甚だしくなるのも、本作が50年もかかって書き続けられてきたからだろう。第3巻の終わりのほうになると、同語が反復されて文体がねちこくなり、老人特有のしつこさが鼻についてくる。50年間の執筆期間には波があり、著者の油が乗っていると思われるのは第2巻だ。小説としてはこの第2巻が数少ない盛り上がりの一つを見せる。圧巻はなんと言ってもスパイ私刑場面。凄惨であると同時に息をのむ美しさでもある。
悩める知識人埴谷雄高にとって女は絶対的な他者であったのか、この小説の主人公三輪与志(よし)の若き婚約者津田安寿子の一途な想いがまったく与志に届かないように思えるのは、著者の孤絶した魂の反映だろうか。孤独の淵にたたずむ三輪与志、そして彼を理解しようと絶望的な努力を払う津田安寿子、この恋人たちの間に漂う緊迫した切なさは、物語の中でも精彩を放っている。孤高の人を一途に愛しながら決して近づくことができないもどかしさを安寿子自身が絶望ととらえず静かに受け入れているかのような態度には、健気さといじらしさを感じる。
第3巻では原罪論が展開される。イエス・キリストをも原罪を背負った人間として批判するくだりは、興味深かった。それは、人間は生まれる前にすでに何億もの兄弟殺しを行っているという話だ。何億個もの精子の中からたった一つが生き残り、卵子と合体する。残りの精子はすべて死に絶えるのだ。つまり、人は誕生の時点ですでに何億もの兄弟の死を見ている。さらには、この世にうまれてからは数限りない動植物を殺してそれを食している。人間は他者の死なくしては生きていけない存在なのだ。埴谷は繰り返しこのことを述べている。
そんなことはわかりきっていることなのに、夥しい死の上に成り立つおのれの存在に思い至れば、なおのこと、その犠牲に応える生を生きねばならないという結論に達するのではないか。では、『死霊』を読んで死に向かう若者たちに向かって、埴谷は「死ぬな」というメッセージを発しているのではないのか? そして、他者を殺さねば生きていけない人間について、埴谷のメッセージのいわんとすることの深奥はまだ不明だ。この小説は政治的であると同時に高度に観念的で、結論らしきものは見えない。
埴谷雄高の文体は美しい。今の若い作家には書けそうもない文体だ。全体に西洋的な香りが色濃く漂う風景描写はヨーロッパ映画を彷彿させる。とりわけ霧の描写は美しく幽玄で、映画「ユリシーズの瞳」を思い出した。戦争と革命の世紀を生きた陰鬱な体験が霧の中で深い悲しみと癒せぬ絶望を刻印する、「ユリシーズの瞳」の深い霧の場面を想起させる。
正直いって、長さの割には読むところが少ない小説だ。だが、途中でやめられない魅力がある。そして、看過できない警句を随所に含むものだから、やはり偉大な作品と呼ぶべきなのだろう。
最後まで読んでも埴谷がいうところの「虚体」だの「虚在」だのはさっぱり理解できなかったけどね(^_^;)
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本書は、浅く読み流すべきものではない。深く読み込み、何度も咀嚼すべきもの。この中には、存在の秘密、生命の意義などについて、思索のエッセンスが緻密に詰め込まれている。日本の誇るべき文学作品のひとつ、という謳い文句は断じて伊達ではない。同様の文体、話のつくりでもカラマーゾフの兄弟(日本語訳版)を読むよりは遥かに面白い。独特の言い回し、文体に慣れるまでは多少時間がかかるかもしれないが、3回ほど読み直せば問題はないだろう。読み返しが無駄にならない本である。
ただし、中途半端な読み方をすると精神に鬱の症状がでたりするのでその気のある人にはオススメできない。きちんと読めればそれすら問題ではないが、誰でもそこまで読み込めるわけではないので(本書を読んで自殺願望が高まった、という人は本意に到っていない、と僕は思う)。
(高校時代〜大学卒業時まで、一種のバイブルとしていた本です。いつのまにか文庫化されていたのか…。所持しているものは文庫版ではないのだが、掲載内容は同じモノとしてレビューを書きました。)
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『ゲド戦記』とともに永遠のバイブル。
時空を超えて「存在」を問いかけてくる作者の手腕と想像力にあと何度読み返せば追いつけるのか。完成を目指して再筆した矢先に逝ってしまった作者がのりうつれる語り部は今この世にいるのだろうか。。。
文庫で再版されたので手に入りやすくなりました。
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埴谷雄高作品の初の文庫化だそうです。以前勤めていた会社が中目黒にあって、駅前の図書館に毎日通ってこの本(ハードカバー)を読んでいました。ただ、冒頭の部分を読んでいる途中から図書館から姿を消してしまったので、この文庫化は嬉しい。
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なかなか気軽に読めない本。日本の総合小説だと思う。ゆっくり時間をかけて、何度も読み返して自分の中に取り込んでいきたい。そういう本。
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あなたの知力の限界に挑戦する・・・いわば「知のための知」の書。これがわからないうちはヒトだ。そして、わからないうちは、この世界はまだまだ知る意味があるということ。この世界に退屈した、などという言葉は、これを読みこなした後で言うがいい
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学生時代にハードカバーで読みました。非常に哲学的な小説。それでいながら、推理小説のような雰囲気も持っている気がします。好き嫌いは、はっきり分かれると思います。未完であるのが残念で仕方がありません。
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これをこの本棚に入れるか否か迷った。
というのも足掛け六年、未だに自分はこの本を「読めていない」気がするのだ。手探りで読もうとすれば、たちまち掴んでいたものが消えてしまう感覚。あと何年かかることやら。
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作者が死ぬまで描き続けた傑作です。完結はできませんでしたが、インタビューによるネタバレが全集に掲載されています。
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序文から第3章まで。以前読んだのは学生時代だから、30数年ぶりか。今の方が読んでいて面白い。第3章、黒川建吉と屋根裏の蝙蝠とのエピソードが心に残る。狂言回しとしての首猛夫に対するかすかな苛立ちなど、昔読んだ時の感情が蘇って来る。 423頁
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大まじめに読んでも、流して読んでも腹を抱えて笑える。いやらしいほど散りばめられたモチーフが、こんなにも面白さを生むのだとしたら、世にある娯楽小説のほとんどはこれに勝てない気がする。あっは! ぷふい!
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もちろんこの小説の存在はかなり昔から知っていたが、書店で見つけた「第8章」のハードカバー版を買い、そこだけ読んだこともある。
戦後日本文学にとって重要な作品らしいが、吉本隆明さんなどによる辛辣な批評もあって、どうもいまだに「評価が定まった」とはいいがたい小説なのではないか。
観念小説である。
ドストエフスキーを参照しているだけあって、たくさんの人物がどんどん出てくるが、彼らの交わす会話はいきなり抽象的で、日常生活の次元からはあまりにもかけ離れている。
この巻には1章から3章まで。
この作品に出てくる若者達の年齢はよくわからないが、たぶん20歳台前半だろう。そんな青二才が、ずっと年かさの中年男に向かって観念論を吐きつける。しかも、中年男の方も、これをまともに受け取って互角に論選を始める。このへんがあまりにも嘘くさく、まるで自己陶酔したケツの青いガキが、偏りまくった観念論をそのまま「小説」にしてしまったかのような、つたないおさなさに近い面もあるだろう。
ただ、幻想的な情景の設定など、ディテールはそうそう薄っぺらなものでもないようだ。
ともあれ、続きを読んで様子を見てみる。
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そうか、そうでした、太宰治や松本清張だけでなく、この埴谷雄高も、そして大岡昇平、それと我が敬愛する淀川長治、それから花田清輝、あるいは我が愛しのシモーヌ・ヴェイユも、まだまだ中島敦も、そして土門拳、それから田中絹代、それに益田喜頓、さらに野口久光、もう思い浮かびませんが、以上の方々も今年生誕100年です。埴谷雄高については、みな膨大な思い入れを持つというか幻想を抱くというか、過大な評価をしがちで、もしちょっとでも過小評価なんてしようものなら、罵声を浴びせかけられでもするんじゃないかと躊躇してしまいそうな、暗黙の賛美の形容詞で塗りたくった飛び切り高い評価基準が鎖のようにまとわりついている気がします。もちろん私も、嫌いな訳じゃあないのですが、お神輿を担ぐほどの思い入れはなく、単なるノスタルジーでなら多いに明快闊達にお喋りしますが。
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なぜこの作品が日本文学史上で重要だとみなされたのか、むしろ当時の文壇の状況に関心が向いてしまう。
各登場人物にそれぞれの思想を語らせているが、結局は一人作者の頭の中にある考えを分配しているだけだというのが透けて見える。そのせいで、独立した人格の衝突が引き起こすドラマという面白さは期待できない。個人の生きがいであれ、政治システムであれ、自分の独自性を主張したいが、考えを整理できない姿を、そのままさらけ出しているという印象だった。
この『死霊』を一種の私小説だと考えてよければ、固定観念にとりつかれた人間の露悪趣味の作品として受容しておきたい。
最後まで付き合うべきかどうか判断に迷う。
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さっぱり分からん。
いや、分かるんだけど、こんなに読者に不親切な小説もない。
なぜこんなに七面倒な言い回しと言葉を多用するんだ!!
自同律の不快と虚体について登場人物たちとその妄想が渦巻く不毛な論争のストーリーです。
ストーリーといえるかどうか・・・・
自同律とは「私が私であること」
虚体とは「これまでに存在しなかったもの」「決してありえないもの」
だそうです。
読むのには相当の労力を要します。