紙の本
「自らが学び、自らを鍛える」
2007/02/23 20:44
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森山達矢 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、説明するまでもなく大山倍達の一生を記したものである。しかしこの本は、「武道」「格闘技」の本来的意味とはなにか?ということも暗に問うているようにも思える。
この本に伏流するのは、大山の武道哲学である。
その武道哲学とはなにか?
それは、非常に簡潔である。
「自らが学び、自らを鍛える」
おそらくこれは、筆者らが大山から、極真空手から身を持って理解したことである。
こうした<身体化された哲学>があるからこそ、この本の執筆が可能となったのだと思う。
大山の武道哲学から見れば、現在の格闘技ブームは、武道・格闘技の本道から外れているのである。K-1もPRIDEも、結局は観て楽しむためのエンターテイメントでしかないのである。
空手の大会を開催し、ファンを増やすことの意味に関する大山の言葉を、筆者は引用している。
『プロレスを観て楽しむ人間には極真の試合を観てもらいたいとは思わない。キックボクシングの殴りっこに興奮するだけのファンは極真には必要ない。武道空手の現場で戦う選手たちの生きざまに感動してくれる人間に見てもらいたい。』
たしかに、PRIDEやK-1を観れば、「戦う選手たちの生きざま」が試合とともに映し出されている。しかし、大山が見せたかったのは、エンターテイメントとして消費されるために華美に脚色された選手の姿ではなかっただろう。
大山が見てもらいたかった「武道空手の現場で戦う選手たちの生きざま」とはなにか?
それは、共同執筆者の塚本がはじめに書いている。
塚本は、仕事の関係から極真を取材することになった。もともと空手なんかに興味の無かった彼女が、仕事をしていくうちに極真空手に関心を引かれたのは、選手たちの真摯な姿だった。彼女の関心を特に引いたのは、一流のトップ選手ではなく、無名選手たちである。
『たとえ試合で結果をのこせなくても、彼らの極真空手に対する熱い思いは一流選手となんら変わらない。華やかなスポットライトを浴びる一流選手の陰で、客席の歓声に包まれることもなく黙々と戦い続ける多くの無名選手——彼らの姿に、私は損得や地位、名声と関係なく極真空手に打込む純粋さを見た思いがした。』
そしてこうした無名選手の戦いは、目の前の敵を倒すということではなく、「現実の生活のなかで、ともすれば逃げたり妥協したりしてしまう「弱くて脆い自分の心」との戦いなのだといい、そうした選手達の姿に感動したのだと記している。
おそらく大山が見せたかったのは、そのような純粋に「戦う」人間の姿だったのだろうと思う。
そして、それがおそらく、極真に限らず、現代における武道の存在意味なのだと思う。つまり、武道とは、一つのことに徹底的に打込み、高みを目指し、一つ上の段階に立つということを一生続けていくこと、そうしたものを発見させてくれるもの、体得させてくれるものなのである。
問題なのは、それを<感得すること>である。そして感得した瞬間、私に対し<世界>は開かれるのである。
大山が見せたかったもの伝えたかったもの、小島が極真空手で体感したもの、そして塚本が無名の選手の中に見たもの、それは<開かれた「世界」の景色>なのだろうと思う。その景色は、自分の力で変えてゆくことができ、同じ景色なのだけれど、全く違った装いのものとして再現前させることができるのである。そうしたことを、大山は伝えたかったのだろうし、その意図を空手とは違う文章と言う形で伝えようとしたのが、筆者たちなのである。こうした意味で、筆者たちは、極真を引継ぎ分裂させた高弟たち以上に、大山倍達の<正統な>弟子たちなのである。
紙の本
大作です。非常に面白い
2022/01/26 09:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:東京のSS - この投稿者のレビュー一覧を見る
数多ある、大山倍達さんの本の中では圧倒的に面白い。風貌、言動から著書への批判も多いが、取材力、文章能力はずば抜けてます。中には若干の事実が違う解釈となり、批判も相当に多い。
しかし、時代背景を考えれば、よくぞここまで調べ上げたもんだと思います。著書はYoutubeで村上龍さんが絶賛、応援してくれた事も喋ってますね。
とにかく凄い本です。
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徹底した調査と取材で明かされる大山倍達の「伝説」に対する「正伝」。
出自が韓国人・崔永宜(チェ・ヨンイ)であることはすでに知られているが、韓国在住の家族のインタビューを収録したのは初めてだろう。
日本にももちろん妻子がいるわけだが、なぜ二重国籍が可能になったかというと、戦後の混乱で戸籍が焼失し、自己申告で戸籍が作られたせいだ。
梶原一騎の「空手バカ一伝」がほとんど創作といっていいのは知られているが、それ以前の大山自身の多くの発言や記述の間にやたら矛盾や飛躍があるのを、徹底した裏取り取材で埋めている。
拓殖大学に在籍したことは大学の記録にはなく、戦後初の1947年に全国武術大会で優勝したこともなく(当時はGHQの命令で武道は禁じられている)、大会は演武を見せる会で所属していた韓国系団体の資金稼ぎとしたものと推測される。
MPと争っての清澄山の山ごもりはむしろ先輩たちのやった話を流用したもの、そして争いの相手はMPであるよりは北朝鮮系の団体、といった調子で、そこからすっぽりと抜けているのはつまるところ韓国系の師や兄弟子との関係であり、代わりに自らを日本人的に見せようとする意図がとってかわっていると著者は分析する。
身延山や清澄山など日蓮ゆかりの山にこもった、という主張は、石原莞爾の東亜連盟に加盟していたという主張を裏付けさせるためではないか。
「日本人」として生きていく上で、そうした韓国にまつわる部分を隠して行ったのが、そういう記述の矛盾につながっているわけだが、同じ韓国人で日本人として日本で成功した力道山の出自の隠蔽の徹底ぶりに比べると、満州開拓を目的とした拓大出、特攻隊帰りという主張、など、ずいぶん場当たりで無頓着に見える。
アメリカでのプロレスラーたちとの対戦記録が確認できる限り残っていない、というのはプロレスはボクシングと違って競技とはみなされておらず、力自慢や危険術を見せ時に客と相手するAT(アスレチック)ショーといういわば見世物とごっちゃになっていた、という事情から来ている。
そう考えると大山の自然石割りや氷柱割り、後年の牛との対戦などわかりやすい形で空手の威力をアピールするアイデアを多く出したのともつながってくる。
あんまり伝説と正伝との違いが多いので、めまいをおぼえるところあり。
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嘘をつくこと。
物語を自分で作ること。
そのエネルギーを図らずも、「伝記」というもっとも物語とは遠いと思われるジャンルから感じることができた。
ハートとネグりは確か『帝国』で、人種差別の問題は経済の問題だと言っていた気がする。
だけど、ひょっとしたら「物語」にもまだなにか果たす役割もあるのかもしれない。
と思わせるだけの凄みを大山倍達から感じられる。
なぜ柏レイソルのサポーターは、「空手バカ一代」を歌うのか。
なぜ横浜Fマリノスのサポーターは、横浜ダービーの前に「あそこまで」煽ったのか。を考えるきっかけになるかもしれません。
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これは大変な力作である。
神格化されたともいえる大山倍達の素顔を、「伝説」を批判的にとらえつつ、客観的資料を徹底的に集め、証言を得るために韓国までも足を伸ばしてこの大著をつくりあげた2人の仕事ぶりには、編集を仕事とする人間として心から頭が下がる。
特に前半部を担当した塚本氏による、在日朝鮮人による民族運動についての取材は、大山個人の足跡を追うにとどまらない資料的価値のあるものと思う。
しかし気になったのは、本書の中で多用される、大山を評する言葉である。最も遣われていたのは「虚飾」という言葉だと思うが、ではなぜ大山は自らの出自・経歴を「虚飾」する必要があったのか、またはせざるを得なかったのか。その疑問に対しての明確な回答は、自分の読んだ限りでは、本書から見出すことができなかった。彼らの取材の成果と言う意味でも、その点の考察にも突っ込んでほしかった。
いずれにせよ、特に晩年の大山についての記述が示しているように、大山自身は出自や経歴について、一人歩きしている部分も、過去に自ら塗り替えた部分も、大して気にはしていなかったのではないか。「大物」というのは、こういう人を指すのかな、などと、途中からは生意気ながら少しほほえましい思いで読み進めた。
ところで、本書は大著であるが基本的には読みやすくまとめられた文で書かれており、2人の著者の文体も似たような感じなので違和感がないのだが、「・・・これについては後に触れる」「後述するが・・・」という書き方が非常に目立ち、自分としては気になった。書くべきことが多いからこういうことになるのだとも思うが、さらに読みやすい文章にするには工夫が必要ではないだろうか。
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極真カラテ創立者にして牛殺し。大山総裁。
呼び捨てに出来ない人物である。
この人の存在は高校の時に知り世の中にはこんなに凄い人がいるのかと感激した。知ってすぐに感激がピークのときに亡くなったので非常にへこんだ。その感激した大山倍達伝説のほとんどが虚構であったということがこの本を読むと分かる。だからといって騙されたとかいう嫌な感情はなくむしろ夢を見させてれたことに感謝している。 なんでも真実を知ればいいというもんじゃない。図らずも大山総裁がこの本の中で尊敬してやまない宮本武蔵について「武蔵は吉川先生が描いた嘘によって日本一の英雄になったんだから」「伝説とはいかに大きな嘘をついたかに価値がある」と語っている。
総裁がそういうなら押忍としかいえないのである。
そして世界120ヶ国、門弟1200万人という現実は伝説という虚構の賜物であろう。
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倍達 朝鮮の上古時代の称号 日本のやまとのように朝鮮の国家民族そのものを誇りをこめていう時に使われた言葉
パンセ 力のない正義は無力であり、正義のない力はアッセ的である
三国人 中国、朝鮮、台湾
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あの「史上最強のカラテ」の代表、マス大山は韓国人だった、という話。600ページぐらいあり、読むのはかなり厳しい。重いので空手のトレーニングになるかも知れない。
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増田さんの本を読んで感化されて。
あっちもそうだが、こっちも分厚い。
寝転んで読むにはなかなかの筋力を要する。
ウデイタイ。
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大山倍達の伝記。武勇伝の類いが多く流布しているが、その裏に隠された韓国人としての生い立ちと晩年、日本人武道家としての世界を股にかけた立身出世の物語の二つの軸が大山の人生を形成している。
また、戦後史としても興味深い。戦後韓国人らは三国人として日本の警察権の及ばない所になり、民青と民団は特にヤクザそのもののような営利行為や抗争を行う。大山もそのなかで力を発揮する。
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評価の高い前半だけ読む。この方の書くものを読むものは初めて。綿密な調査としっかりした文章からさぞや力のあるライターなのだろう思われる。他の著書も読んでみようとネットで検索すると、空手関係の著作だけで、会社を離れて北欧家具の店を経営していた。大山倍達の生き様よりも、著者の生き様のほうが気にかかる結果となってしまった。
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まさに「大河ドラマ」級の人生!
この本は個人としての大山倍達と空手家としての大山倍達の2部構成で成り立っているが圧倒的に前半の方が面白い。
これは別に筆者のうんぬんではなく、あまりにも巷間伝えられていた大山像を覆すものであることと、戦前戦後の在日朝鮮人が置かれた立場、そしてその中でマンガ以上に血なまぐさい大山氏の活躍(?)がまさにドラマを超えたドラマのように面白い。
正直、大河ドラマの主人公としても十分に足りる!
本当に素晴らしい調査、素晴らしい本を作成いただいた小島一志氏、塚本桂子氏に敬意を表します