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『不自由論』がおもろかったので買ってみた。が、イマイチだった。。。「みんな」という言葉を現代哲学の知識を使って(といってもデリダ)分析していくんだけど、文章中に「みんな」という言葉が乱発されるせいで、わけわからんくなる。結局やりたいのは、「みんな」を使いすぎると、責任の主体が分散されてヤバイぞ、っていう、結構ありがちな議論。
それをするに当たって、「みんな」という言葉を使ったとこがミソなんだが、逆にわかりにくかったかも、って感じでした。
オレの文章読解力が低いからなのかもだが。
ただ、前作同様哲学者の易しい解説がある(今回はアドルノ)が、これはおもしろい。
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無責任になる「日本的」構造を、責任をフーコーの責任応答可能性「説」から、論じている。■まあ、笑えるジョークの形をとった、「みんなのバカ」という挨拶語である。日本人の集団でのあり方を、西欧的自我の基準で、斬ったつもりになる典型的な「日本人論」をぶつ「知識人」としての大学の教授とやらが、丸山真男の「蛸壺」型組織の論理から抜け出せていない現状も描かれ、その点では苦笑したが、参考にはなった。■みんなのバカという日本人論で、ただ新しいのは「自律」社会だけでは、行き詰ることも指摘されているのでその点は、丸山達の「世代」の日本人論とは異なるといえる。■時間つぶしには向く「思想」本かな。
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「みんな」でやったことなのに、何故「私」が責任をとらなくてはならないのか、という、西洋的な個人主義の裏返し。「みんな」の範囲の不明確さ。自分が含まれている場合、いない場合、「みんな」以外の”みんな”とは。「みんな」を表象する記号としての誰か。法とは「みんな」の意思という前提。全体主義の本質は「自発的同調」。「みんな」を見失って「みんなはどこに」と自問し始めたら、それはもう「みんな」ではなく再現前化されたイメージとなる。
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[ 内容 ]
「みんな」を求め、「みんな」に傷つけられた「わたし」は何処へ行く。
[ 目次 ]
1章 「みんな」って誰?(「みんなやっていることやないか!」 「赤信号」の法則 ほか)
2章 「みんな」の西欧思想史(法とは「みんな」の意志である 「みんな」による「みんな」の支配・全体主義 ほか)
3章 「みんなの責任」をどうするか?(「みんなの責任」の範囲 「自分で語ることのできない他者」への「責任」 ほか)
4章 「みんな」と「わたし」の物語(「みんな」から押し出された「わたし」 「わたし」が「みんな」から目覚める時 ほか)
5章 そして、「みんな」いなくなった!(「みんな」はいつまでも「みんな」なのか? 危ない時に出てくる「みんな」 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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半分は、著者の属する法学部の「みんな」からはぐれたことへの「私」のひがみ(笑)。でも、ハーバスやハイデッガーなどの現代からルソーやイェーリングなどの古典まで、「みんな」をめぐる思想を「みんな」にわかりやすく説明してくれる読みやすい本です。「みんな」が多用されているのは、慣れるまでちょっとうざいかも(笑)。
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「みんな」という非常に馴染み深いが、何だかよくわからない概念に対して、鋭く迫って分析している著者の議論の進め方はお見事という他ないだろう。
没個性的になるのを嫌がって他人と自分を差別化したがり、そのために奮闘すればするほど没個性的になっていくというアイロニカルな逆説を著者は「客観的」に指摘しているようだ。
しかし、著者に言わせれば、他者を対象化しながら検証している自分自身でさえも、実は「みんな」の呪縛からは逃れられずに「わたし」と「みんな」の間を行き来して、袋小路に陥っているらしい。
「みんな」という存在に私達は否応なしに関わらざるを得ないようだ。
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前半の3章までは、読み物として面白かった。
後半の2章では、「みんな」と「わたし」などの定義を書いているが、逆説的でなんとも難解。
読んでも、なんとなくよくわからなかった。。。という感じ。
個人評価は可も無く不可もなく。。。
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タイトルが変だから読み控えていたけど、読んでみたら面白かった。
タイトルからして世の中の「みんな」に不満をぶつけて「こいつらほんとバカだよな(笑)」等感じなのかと思ってたけど、仲正昌樹なので当たり前だけど、そういう内容でなかった。
まず「みんな」って誰? という定義から入って、「赤信号」や例をもとにして、日本における「みんな」とは誰かを説明しつつ、西欧思想史における「みんな問題」(全体主義など)を説明。「みんなの責任」とか、その中での主体のあり方(ない方)など、みんなみんなで一冊。監獄の誕生。
「責任とは応答すること」で、「みんなが」とか「みんなやってるのに」という応答から「主体意識の解体」を読み取るなど、保身が危うくなると「みんな」とうキーワードを使うのはなぜか、とか、ほんと面白かった。
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「赤信号みんなで渡れば怖くない」という「みんな」の中に紛れ込んだ「わたし」の心理について分析。
改めて考えてみると、「赤信号はみんなで渡れば本当に怖くないのか?」いやいや、いざ事故が起きた場合、最後尾の1人、”特別な1人”が犠牲になってしまう。そのとき「わたし」は、「私のせいではない」と責任を回避してしまう。
筆者は、これを非倫理=言い訳とし、日本企業の悪しき体質に言及をしている。「みんなの責任」をどうするべきか、考えさせられる一冊だ。