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よかった
2024/04/10 11:21
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投稿者:アキヒコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の読書メーターのアカウントから転載しています。
実話怪談の元祖と言いますか。すべて事実ということなので岩手県ひいては全国の山間部に行きたくなくなりました。
不思議なことはある。読みやすくなっていていい本でした。
紙の本
本当にあった(?)コワい話
2014/09/15 16:42
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投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
柳田國男の「遠野物語」
それを京極夏彦が現代語訳したもの。
「遠野物語」には興味があったが、読みにくそうで敬遠していた。
「まんがで読破」シリーズで「遠野物語」があったので読んでみたが、アレンジしすぎで、全く別物と化していた。
そこで、ちょうどいいものがないかと思っていたところ、本書の事を知ったので、読んでみた。
語り継がれていた短い話を集めたもので、短いものは数行で終わってしまう。
昔話を集めたもの、というより、怪奇現象、怪奇体験といったウワサ話を集めたもの、という感じ。
河童、座敷童子、山姥など、お馴染みの妖怪達が登場するが、人々の反応は、野生動物を見た時の反応に似ている。
妖怪達が村人に悪さをしなければ、村人も妖怪達に特に何をするわけではない、というのが基本。
姿を見かければ、驚き、警戒はするものの、どこか「ああ、アイツか」という感じ、と言えばよいだろうか。
時にどちらかが一線を越えてしまい、軋轢が生まれるたりする事も・・・。
よく出てくる話で「山人(山男、山女)」の話がある。
山に住み、体が大きく、赤ら顔(のことが多い)、言葉も通じない事が多い。
何度も登場するので、ついつい正体が何だったのか、と考えてしまう。
素人推理だが、「山人(山男、山女)」は同じ「人」なのだろう。
金山衆的な集団だったり、流民だったり、もしかすると漂着した外国人もいたかもしれない。
語られる妖怪、怪奇現象の正体は何なのだろう、と自分なりに想像してみるのも面白い。
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読み終わりました!
ちょっと読みにくかったなぁ・・・
だけど、ずっと気になっていた本が
やっと読めたので良かったです(〃^^〃)
最初。。色んな妖怪さんのお話がぎゅっと詰め込まれた本なのかなと思っていたら、
予想と違っていてビックリしました!
遠野では昔話の終わり「コレデドンドハレ」なんですね!
最後のお話『百十七』は、
ドンドハレじゃないでしょ!?と突っ込んでみたりしてました(^_^;)笑
狐とか河童とか知っている妖怪が出てきたのは嬉しかったです♪♪
妖しに化けて人間の前に出てくるエピソードが
夏目友人帳に似ていたのも嬉しかった////
知っている人が妖怪さんになって現れる…
折角現れたのに怖がるところは、
ちょっと切なかったなぁ(;ω;)
九十七のラストは。。おそろしを思い出しました…
どのお話も不思議な話でした!
冬に怖い本を読むのもいいですね〃^^〃
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「遠野? 行ったことはありますよ」
葉月は、ソファで本を読んでいる蛹の前にコーヒーを置きながら、彼の手元を覗きこんだ。
「ああそうか、地元から近いんだっけ」
「近くはないです。関東のノリで言わないでくださいよ。東北は、『ちょっとそこまで』のノリで県境越えられないです」
葉月はいつものように、蛹の向かい側に座る。
「遠野に行ったのは割と小さい頃だったので、遠野物語なんて知らなかったんですよね。まあ資料館みたいなトコには連れていってもらって、『昔話が有名なのか』程度のことは分かったんですが……携帯のCMで遠野の河童が話題になったのはもっと後ですし」
「遠野の河童は、他の地域と違って赤い顔をしている、って書いてあるけど……同じ河童でも地域差があるということよりも、それらが皆、河童として伝わっているということの方が不思議なんだけど」
「確かに、ゾウガメと人間のハーフだと伝える地域があってもよさそうですね」
「いや、それはさすがにないと思う」
日本の農村でゾウガメと出会う機会は、残念ながら中々ない。
「マヨイガや座敷わらしなんかを読んでいると、こういうのは、もしかしたら『他人をそっとしておくための知恵』という気もするよね」
蛹は、ふと思い付いたというような顔で、そんなことを言った。
「そっとしておく?」
そう、と蛹は頷く。
「よく、都会は冷たい、に対して、田舎は過干渉だって言ったりするだろ」
「あー、そういうのほんと苦手です。近所の人に生活サイクル把握されてたりするアレですよね。洗濯物の干し方くらい好きにさせてくれっていうか」
葉月は都内のアパートで暮らしているが、それでも近所の人とは色々あるらしい。
「まあ一概に悪いことでもないのだろうけれど、人の好奇心は際限がないからね。歯止めが必要になる」
「それが物語、ってことですか」
「ふと、そんな気がしたんだ。金持ちや、仕事がうまく言っている人に対して、なぜだろう、何か秘密でもあるのかーーーいや、マヨイガに行き当たったんだ、あるいは座敷わらしがいらっしゃるんだ、ってさ」
「それ以上詮索しない、という、一種のマナーみたいなものかもしれないですね」
「人の好奇心が過剰に働くのは、田舎だけじゃない。何でも暴き出そうとするだろ」
成功している人がいれば、私生活から人間関係まで暴き出して、どうやったら同じように成功できるか探る。一方でどん底にある人がいれば、どうやってそこまで落ちていったのか、その経歴から何から詮索して回る人間もいる。
なるほど、と葉月は思わず小さく笑った。蛹は、放っておかれるのが好きな人間だ。
遠野物語の大半は、土地の人には世間話と同じくらいのレベルの話で、具体的な名前が登場するものも多い。それを、互いのプライベートに踏み込まないための、ある種の知恵のようなものだと解釈したのは、いかにも蛹らしいと思った。
「そういえば、マヨイガって、百鬼夜行抄にも登場しますね」
「あれは恐ろしい話だったけど、元はありがたい話だったんだね。山を歩いていると立派な屋敷がある。中に入ると食事の膳が用意されているが、人の気配はない。その家から何かひとつ持ち帰ると、その人は富むという。もちろん、あとから同じ場所に行っても、そんな屋敷はない」
「膳が用意されているというのは、もしかしたら、山の神様に招かれたのかもしれないですね」
「マヨイガで富を受けたのは、無欲な女性だった。強欲なものが罰を受ける話も多い。あるいは、良くない行いから座敷わらしが出ていってしまう話もある」
それを教訓と呼ぶのは、いささか味気ないようにも思える。
「それが、彼らの生き方を映しているっていうか、まあ大袈裟に言えばそういうことじゃないのかな」
蛹はそう締め括り、本を閉じると、冷めかけのコーヒーに手を伸ばした。
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遠い昔の話ではなく明治時代の話を、こうやって並べられると、静かにそろりそろりと身に迫って怖くなってくる。
最後の「××ほめ」という遊び?は、怪異譚との対比もあり、遠野の人々の暮らしぶりやその心の余裕が見えて面白い。
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巻末の解説が中身なさ過ぎて草。
話自体はどこかで聞いたこともある民話を集めたものだけど読む人を引き込む力がある。
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「遠野物語」の名前を何となく知ってはいたが、この本を手に取ったのは京極さんによるリミックスだったからにほかならない。
遠野とは、岩手県の内陸部にある町らしい。
これらの話は、「私(柳田国男)」が遠野出身の佐々木鏡石という人から聞いた話を書き起こしたもの、であるという。不思議な話、神話のような話、怪談のような話まで様々であるが、なぜかどこか懐かしい。
こういった話というのは、日本に住んでいると「昔話」として親しんでいるのかもしれない。その昔話の「原形」の一部がこの遠野物語にあるような気がする。
遠野物語は「古典」ではあるが、新しくリミックスされた同書は、現代人にも読みやすく、古典に親しむいい機会になるのではないか。
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似ている項目ごとにまとめてあって、かつ現代語訳されているので読みやすい。
ただ、もちろん原典を読んだことがあるので、知っている話ばかりなのだけれども。あのとき、具体的にイメージできなかったものが、しっくりときて、なんとも不思議な感じ。
あーもう一度遠野に行きたいなぁ。
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興味はあったものの手を出してはいなかったのですが、文庫化ということで読んでみました。
実家が物凄い田舎なので、なんとなく親近感みたいなものを抱いたりもしつつ。
外から見たら不思議な風習だとか、独特の閉鎖された空気感みたいなものってほんと田舎独特というか。そこだけで完結していて時間が止まっちゃってる、なんとも言えないあの感じが蘇ってきちゃいました。
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・京極夏彦・柳田国男「遠野物語remix」(角川文庫)は 紛れもなく京極の作物である。だてにremixと付したわけではない。それなりの理由と京極の意志がここにはあつたのである。冒頭に「remix序」といふ序文がある。これは所謂旧漢字、歴史的仮名遣ひの文語文である。「遠野物語」のごく簡単な説明と、それを現代語訳するについての決意を述べたものと言へよう。そこにかうある、「柳田先生は文学者にはあらざれども名文家として識られる碩学の人なり。自分もまたその端正なる美文に因り喚起せらるる感動を損なはぬやう、一字一句をも加減せず、時に補い時に意訳し、順序を違へて、拙き筆なれど感じたるままを伝へらるるやう努め書きたり。」(13頁、原文の正字体 は新字体に直した。)この引用の口語文くさいところは気にせずとも、しかしやはり気になるところがある。それは「遠野物語」序文の次の一節を直ちに想起させるからである。「鏡石君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。」(青空文庫本、ただしルビ 削除。)基本は同じ、京極が少し足しただけである。柳田は佐々木鏡石の話し言葉を書き言葉とし、京極はその文語文を現代語(口語)訳した。つまりは同じやうなことをしたわけである。この一文が使はれるのは当然と言へる。しかも、京極の序はかう終はる、「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」(13 頁)この有名な柳田の一文を己が序の末文とする。この序の最後には京極夏彦とある。これは京極なのである。この序の先の引用以降が、つまりは大半が、実は柳田の書き換へであつたとしても、やはりこれは京極の作物なのである。たぶん京極のここでのremixとはかういふことである。
・remixとはある楽曲に手を加へて別の楽曲に仕上げることであらう。京極には柳田を極端に改変する気は全くないが、しかし、ただ訳せば良いとはしなかつた。それが、例へばこの序であつた。これ以下の本文の構成には大幅に手が入つてゐる。柳田は内容は気にせずにバラバラに置いた。京極はそれをほぼ分類別にした。分かり易い。同種の話が並ぶのだから比較もし易くなる。柳田の注は本文に組み込んだりした。簡潔さを欠くことになりかねぬものを、そこは京極、さすが手練れである。うまくさばいて、うまく本文に組み込んである。その時も、当然のことながら、いつもの改行の多い文体を使ふ。個人的にはこれは好きではないが、整理された文章にするといふ点では案外役だつてゐるのかもしれない。柳田の序文も、「これから語る話は、すべて遠野の人である佐々木 鏡石君より聞いたものである。(原文改行)去年ーー。(原文改行)明治四十二年の二月頃から、折々に聞いた。」といふやうに、見事に京極の文体である。しかも、ここには先の「一字一句をも加減せず」あたりもきちんと現代語訳されてある。当然のことではあるが、こんな二度手間も厭はないのである。使へる材料 は何回も使ふなどといふのはむしろ合理的な判断であらうが、普通の現代語訳ではたぶん行はれない。正確に訳したことにならないからである。そこが remixのremixたる所以、京極はそれをためらはない。のみならず、柳田の序文は分断された。さうして最後に、といふより鹿踊りの詞章の前に、「序 (二)」が置かれる。これが先の「願わくはこれを語りて。(原文改行)平地人を戦慄せしめよ。」(238頁)で終はる。ここは分かち書きである。いかにも京極らしい処理と言ふべきであらう。そんなわけで、私はこの序の処理だけでremixを堪能したのであつた。
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「遠野物語」を現代語訳して分類、並べなおしたものなので分かりやすかった。巻頭に明治時代当時の地図も載ってて興味深かったけど、地名がけっこう難読で^^; 「遠野物語」というくらいだからもっとこう、ちゃんとしたストーリーかと思ってたんですがまったく違うんですね…原典読んだことないので驚きでした。そして、Remixということで京極らしい、もっとおどろおどろしたものかとも思ったのに…そういう意味でちょっと期待外れだったかなぁ。
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現代の大御所が、自らが影響を受けた過去のカルトバンドのインディーズの1stをほぼ完コピしたカバーアルバム(但し曲順入れ替えてます)、という印象。狙いもリスペクト度合いもよく分かります。読みやすいし、遠野物語の特異性がよく分かり、意義も大きいでしょう。但し京極夏彦ファンとしては、いいから京極堂シリーズの新作早く出せや!!!という気持ちの方が大きい。毎回同じこと言ってますが。
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遠野郷で見聞きされる風土、風習、怪奇を物語る柳田國男の有名著書を現代語で。
原書も読みたい読みたいと思いつつ、なかなか手がでなかったのでとっつきやすい企画とてもありがたいです。
原書よりも読みやすいと思われるので入門には良かったかと。
文化的かつ幻想的でとても素敵な読み物ではありますが、いかんせん淡々とした記録語りのため結構眠くなります。電車でちょっとずつ、には向いてるかも。ということで原書はさらに先延ばしになりそうな予感・・・
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ついつい一気読みしてしまった。
「遠野物語」は簡潔で読みやすく、既に作品として完成されていると思うのだが、京極夏彦氏の手によって、更に読みやすくなっているとは……。
怪異にあったからといって、その後変わったことは何もなかったというオチもいくつかあった。
やはり、遠野では頻繁に起こっていたことなのかな……。
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原典の有名な「~願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」をそのまま引いて、京極氏が編集スタンスを述べている序文が、本書のもっとも盛り上がるところではないかなと思います。
原典『遠野物語』自体が遠野出身者からの伝聞を、柳田氏の感性に基づいて編集したリミックス版であり、本書ではさらに、現代の作家が現代語でリミックス、というかリデザインする試みがされています。とりわけ京極夏彦さんという、民俗学にも明るく、長年、怪異や怪談をモチーフにした物語を書いてこられた作家さんによる仕事というのが、企画の面白さをより際立たせていていると思います。
京極さんの著書によく見られる、絡み合う複数の物語をするする淀みなく読ませる巧みな構成は本書でも存分に発揮されています。
編集のうまさは、エディトリアルデザインも多く手掛ける京極さんならではですが、本書では自然すぎるほど自然に行われているので、原典とあわせて読むとよりいっそう楽しめる内容です。