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程度に差があっても、「魔がさす」ことは起こりうる。その瞬間、理性と抑制を失い、後で思えばなぜとしか言いようのない過ちを犯してしまう。確信犯ではないだけに、極めて分析がしにくい。誰にでも素地があって、どうにか自制しているが、無信仰、無関心な状態で発しやすいらしい。自分に無縁などとは思えないし、残された人生で何が起こるか知れない不安はある。過ちは際限なく重ねてきたし、これからもそうだろう。
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宣告のモデル、正田昭とのエピソードは良かった。
ハイデガーのナチ入党、アインシュタインの署名←原爆開発のきっかけ、など、偉人の行動も悪魔のささやきだと考えられないこともない。
偉人達でさえ、その人生に惑いつつ歩んできたであろうに、凡人の私が惑うのは言うまでもないこと‥‥。なんて、本書とは関係ないことを思ったり。
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知性と主体性と人間性を失うな、悪魔にささやかれたくなければ。
そのためにも、好きなことをして、本を読み、体験しなければならない。
まさに、という内容でした。
ただ、宗教への態度が、筆者の"リベラルなクリスチャン"というフィルターを通されており、読みながら多少の違和感を覚えた。
だが、これもまた読書体験。と割り切っていいほど、よくできた本でした。
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非常に示唆に富む内容。社会全体の緩みが悪魔のささやきにそそ流れる環境を作り出していて、それを克服するには、一人一人が自分で考える事が重要であると。その通りだが、未熟な自分の胸に刺さる。
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面白いんだけど、事実の認識がほんとにそうかなあ、というのがちらほら。最近は切れる子供が増えているとかね。
オウムの麻原死刑囚の記述は特に興味深かった。
いろんな意見はあるけれど、著者の言っていることがいちばん真実に近いように思う。
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精神科医、犯罪学者でもある著者が、医務部技官として勤務した東京拘置所で囚人たちと接して、犯罪を起こしたその時の心理を表現した言葉として多かったのが
「あの時は、悪魔がささやいたんです」
「どうしてあんなことをしたのか、自分でもわからない。悪魔にささやかれたとしか思えない」
その「悪魔のささやき」とは何なのか?
高学歴で将来を嘱望されていた人たちが、オウム真理教のようなマインドコントロールを受けるのはなぜか?
家族を簡単に殺してしまうのはなぜか?
見知らぬ人と集団自殺するのはなぜか?
自殺する勇気のない人が、犯罪を起こすことによって死刑になろうとするのはなぜか?
昨今は理解に苦しむ事件も多く、「どうして?」「なぜ?」と沢山の疑問符がついたまま。
「悪魔のささやき」とは何なのか。
「悪魔にささやかれ」ないようにするためにはどうしたら良いのか。
そんなヒントを与えてくれる本です。
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・加賀乙彦も留学中(仏)に、ひどく心を閉ざしていた時期があった
「自分がたった一人の黄色人種であることを突きつけられたような気がしてしまう。パリの医者のように外国人を小馬鹿にしたりしない朴訥で人のいい人物ばかりだと思っていた同僚たちとのあいだに、心底からは打ち解けられぬ冷ややかな者があるように感じられる。とにかく気持ちが沈んで、毎日が憂うつで、身体もだるくてしょうがないのです。・・・こうして留学までしたけれど、おまえは本当に犯罪学をやりたいのか?やがて、死を願う気持ちは次第に薄れて行きました。日本語の本を読み、日本語で考えるのを自分に許してからのことです。・・・ネイティブな言語という者がいかに人間を元気づけてくれるか、それは驚くほどでした」(pp.46-7)
・肉体を介したコミュニケーションで、前頭前野を刺激!(p.162)
「お互いの肉体が発する表情や雰囲気、手振りや身振りも非常に大切な者なのです。・・・前頭前野は人間だけが特別に発達している部分で、考える力、記憶力、コミュニケーション力、自制力、自発性などに大きく関わっている」
・現代人は悪魔に「さあどうぞ、お入りください」と言っている(p.179)
自分の目の前、身の周りだけに関心をとどめてしまわず、視界を360°に広げ、できるだけ遠くまで見はるかすこと。それが悪魔を避ける方法、その一なのです。
→現代人は誰にでも悪魔に囁かれる可能性を持っている。