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わたしは、人は誰でもその人のままで存在する権利があり、そうあるべきだとずっと思ってきた。異性愛者でも同性愛者でも その間に線を引き さらに有刺鉄線で あちらとこちらをわけるような事はするべきでないと 心の底からずっと思っていた。…と言うより、それが当たり前で 敢えて言及するような事でもないと思ってきた。
だがそれは、現代社会の中で…つまりまだ同性愛者を含むLGTB(レズビアン、ゲイ、トランスジェンダー、バイセクシャル)の人達への差別が根強く残っている中で、何の裏打ちもなければ 尊重される事もない、容易く淘汰されてしまうただの薄っぺらな個人の意見でしかないとも思っていた。人の心を動かすような主張をしたい訳ではないけれど、せめて自分が自分自身に確信を持って宣言できるような、確固たる理由を持った意見を心に刻む事が必要だと思うようになってきていたのだ。
そのような期待をこの本に求めて読み始めた訳だが、その期待は裏切られたと言ってもいい。
何故なら、ここに書かれているのは わたしが求めていたような 言葉で説明してしまえるようなものではなく ただ、パトリックとエマーソン 2人の人間の間にある 愛 に他ならなかったから。つまり、わたしが今まで持っていた考えは間違っていなかったし、そこに理由など本当に必要のない事だったのだ。愛こそが理由であり、そこに特別を求めること自体が滑稽な事なのである。
わたしが今愛している相手は 異性であるが、その人がもし、同性であったら?わたしは愛するのをやめてしまっていたか?
答えは いいえ であると言ってもいい。わたしはその人のことを 異性だからという理由で愛しているのではないし、この感情は男と女であるという事の上に成り立っているのではないと思っている(少なくともわたしの中では)。
わたしはその人を 男だとか女だとか そもそも人間であるとか関係なく愛しているし、自分以外の誰か(何か)を愛するという事は 皆に等しく認められていい欲求であり、権利である。どの愛も、他のどの愛とも 比較したり天秤にかけたりする事はできないのだ。絶対に。
オスとメスで分類され、子孫を残す事を本能的にインプットされているわたし達。それは 同性を愛する上では叶えられることがない。ただ、だからといって それが愛では無いと決定づける事は誰にもできない。
パトリックはエマーソンを愛しているし、エマーソンもパトリックを愛している。誤解を恐れずに言えば、ただそれだけの話なのだ。目を瞑るだけでは逃れられない現実は恐ろしいほどだけれど、それを凌ぐほどの愛が この本の中には溢れている。
人が人を愛する権利は誰にも奪うことは出来ず、嘲笑う事も差別する事も 誰にも出来はしない。その当然の事が 当然の事として、広く世界に認められるような未来が 早く来る事を願う。
とても感動したのは、エマーソンとパトリックのメッセージのやりとり。
『永遠の1日先まで愛しています』、『君に月をあげることも、星をあげることもできないけれど、僕の愛をすべて君に捧げよう。そうすれば、僕たちは一緒に月へ、火星へ、太陽へ行くことができる』、『今日は素晴らしい日だった…心から愛する人と一緒��過ごせたから』、『君の愛は僕の人生を美しくする』…。素晴らしい。
それから、イズラエル・カマカヴィヴォオレの『In This Life(この人生で)』、2人が結婚式で流したというこの曲も素晴らしかった。忘れたくないので 歌詞の和訳を抜粋しておく事にする。
「この人生で」
この人生で僕は恵まれていたけれど
心にはぽっかりと穴が開いていた
お金の魔力に取りつかれていた僕を
君が純粋な心で自由にした
世界が終ってもいい
太陽が輝かなくてもいい
愛は無意味だと言われてもいい
すべてが崩れ落ちても
心の底では分かっている
大切な夢が叶ったこと
この人生で僕は君に愛されている
すべての山を乗り越え
荒れ狂う川を渡り
僕が見つけたかった君という宝物
君の愛がなければ、僕は消えてしまう
世界が終ってもいい
太陽が輝かなくてもいい
愛は無意味だと言われてもいい
すべてが崩れ落ちても
心の底では分かっている
大切な夢が叶ったこと
この人生で僕は君に愛されている
この人生で僕は君に愛されている
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大阪・神戸アメリカ総領事館総領事(2011-2014)のパトリックと、その夫エマーソンの夫夫の半生記。
生まれも育ちも年齢も違うふたりの愛と、ゲイライツが主題。
文化的背景や感覚が私とは違うから違和感があったり、ふたりともゲイだからゲイ以外には疎いような気がしたりするものの、穏やかな良書。
ふたりの仲良しっぷりがものすごい。情熱的。
すごいよ。「君は僕の太陽」「昨日より愛してる。明日はもっと愛してる」とか互いに言っちゃうんだぜ。毎日。
のろけやがって。なんなのこの人たち可愛すぎだ。
本書の前半はパトリック、後半はエマーソンが書いている。
パトリックは穏やかで忍耐強く、エマーソンは情熱的な性格だそうな。
文章からもそれがうかがえる。
エマーソンが率直なだけに、「自分に正直になりましょう」と繰り返し記すパトリックのほうが回りくどく感じる。
これは、急がば回れで目的を達しようとする外交官の習性なのか、20年早く生まれた分だけ多く受けた抑圧のせいなのか、たんに性格の違いなのか。
全部だろうななんて考えながら読んだ。
内容自体はセクマイ情報を見慣れている目には珍しくない。
普通の事実と普通の経験と普通の主張が書かれているだけだ。
だけどちゃんと届く。
「あなたが自由に生きれば、あなたを見た人も自由に生きる勇気を得る。それが自由な世界をつくる」「人生は一度しかない、傍観していてはいけない」
といった普遍ゆえによくあるセリフを薄っぺらくせずに届けるには、発言する人自身が言葉を裏切らない生き方をしなければならない。
この人たちは、それをしてる。
訳者は本職じゃないか、少なくともセクマイ系ではなさそう。
最初のLGBTの説明が正確じゃない。
Tを「トランスジェンダー=性同一性障害」と説明してあった。
日本語の性同一性障害はトランスセクシャル(体を生物学的な異性に変えたい人)の診断名。
トランスジェンダーは様々なレベルで性役割を越境する人達だからもっと概念が広い。
「夫婦や夫夫」と書くなら「婦婦」も入れようよとか、「男性同性愛者がセクマイの権利擁護運動を引っ張ってきたからLGBTの権利をまとめてゲイライツともいう」との説明とか、無邪気にゲイ中心すぎるのも気になる。
※LGBTに限らず、マイノリティの中のマイノリティ問題というのがある。少数者集団の中でもメインにいない人たちが不可視化される問題。黒人の中の女性、女性の中の障害者、障害者の中の性的少数者、性的少数者の中の少数民族、など。
ゲイが権利運動を牽引したとも言えるけれど、それ以外が無視されてきたとも言えるので、「ゲイのお陰」と言い切るような説明には違和感がある。
「夫夫(ふうふ)」に毎回毎回ルビがふってあるのも鬱陶しい。最初の一回とか、章の最初だけならわかるけど、わざわざ何度も書くと「普通ではない」というメッセージを発してしまう。
あと「おばあちゃんのケーキ」のレシピがわかりにくい。
ケーキひとつにバニラエッセンス小さじ2杯はいくらなんでもいれすぎではないか。
本当にこんなにいれる���かな。
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すぐに読んじゃった。帯のバラク・オバマはかなり旬を過ぎた惹句な気もする。中身ですが,アメリカ人外交官と日系3世のブラジル人の夫夫がそれぞれに幼少期から現在までを語る部分がメイン。個人的にはリネハン氏のTEDでの演説@京都がなにしろかっこいいと思う。違いは違いに過ぎない(日本語も解するという氏が日本語における「違っている」は「間違っている」の意味も持つという指摘をしているのがはっとする指摘)。基本的には愛のお話として読むべきかも知れないが,生きることを受け入れることが書かれた本だと思う。
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このオッサンが、そのオッサンに一目ぼれした、という。
・・・・・どういうことなの?
男が男に恋する、というのは、少女マンガみたいな、少女が夢見るような、美少年どうしのキレイな愛の世界ではないんだよね。ああゆうのって、ホント、ウソっぽい、架空の世界だ。
現実的なのは、このオッサンたちのほうである。
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アメリカには外交官のゲイもいると「LGBT初級講座」で読んだばかりでした。そうですか、あなた方がそうだったのですね、と、お噂はかねがね状態で読み始めました。
かつて同性愛者と知れれば失職する状態で、やむを得ず隠していた性的嗜好。
今ではそれを披歴し、歴史を動かす側に立った二人。二人で世界を変えると意気込んでいるわけではなく、多くの力の中の一部として、変える側に立つ気持ちがいい。
われわれ(日本人の大勢)が自分自身が歴史の担い手であるという事実を忘れがち(または忘れたふりをしがち)なので、怠りを戒められている気がします。
夫夫円満の秘訣はそのまま夫婦円満の秘訣でもあります。永遠の一日先まで愛しているとは日本人にはいいづらいセリフですが、愛情は口に出すと増幅するのでしょう。彼らの愛情表現を読むと「君は僕の空気だ」と思われているより、「君は僕の太陽だ」といわれる人生の方がいいに決まっていると思います。
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LGBTQの本棚から 第15回 「夫夫円満」
今回紹介するのは
「夫夫円満」
「夫夫」とかいて「ふうふ」と読みます。
文字通りゲイカップルのお話です。
もっとも、まだいまは、ふうふ、で変換すると夫婦しかでてこないのですが……。
この本は実在するゲイカップルが体験した実話です。
2人は職業の都合で様々な国にいきます。
いくつかの国で2人をカップルとして認めてもらえただけでなく、他のストレートの夫婦と同じように扱ってもらえたことが何より嬉しかったと語っています。
2人が自分たちを「夫夫」だと表現することは自分たちが特別な存在ではなく、見えない存在でもなく、ごく普通であることを意味しているのでしょう。
彼らの話を通してセクシュアルマイノリティが辿ってきた歴史を知ることもできます。
たとえば、80年代後半はLGBTQの、特にゲイにとって試練の時代だった、という話がありました。
HIV(通称エイズ)が多くのゲイの間で流行したからです。
今でこそ、男女間の性交渉や輸血でも感染する病気だと認識されるようになりましたが(結局ウィルスが原因だったのですから)
当時は
「ゲイのかかるガン」
だとまでいわれていたそうです。
原因がわからず、感染も防げない……。
有効な薬もなく、致死率がとても高い……。
そういう未知の病気への恐怖がゲイへの恐怖にすり替わり、偏見や差別が激しくなったというのですが、原因が解明され、コントロールできるようになると、偏見や差別も徐々に社会から消えていったそうです。
知らないから怖い、怖いから遠ざけたり攻撃したりする……。
無知が、恐れを助長するわけですね。
これはセクマイだけではなく、いろいろな障害を持つ人々や、有名でない難病の人々にもあてはまることでしょう。
そうして誰にだって、事故や病気によってそういう少数派、という立場になる可能性はあるはずです。
自分だけじゃなく、家族や友だちがなる可能性も……。
だからこれはそういう一部の人たちの問題ではなく、全員の問題なのです。
この多数派がいいんだ、少数派は嫌だ……の代表として、日本には
「みんなと同じでなけれはならない」
という強いプレッシャーがあります。
日本ではおそらくどの学校でも、どんな生徒にとっても「人と違うということ」
が最悪なのだ、という話もこの本にはでてきます。
これ、本当に不思議なのですが、日本人は”人と違う”ことをとても恐れますよね。
実は、僕もそうでした。
小学生の時の僕はおとなしく、人と違うことや叱られることがとても嫌でしたから、そうならないように、いつも回りを見ていたものです。
ですからその頃の自分は漠然と、将来は小中高大と無難に進学して、公務員になって、そのまま平凡にこの町で生きていくんだろうなぁ、と思っていました。
でもセクマイを自覚してしまったあたりから、どう転んでも“人と違わない”でいることは無理になり、徐々に考え方は変わっていきました。
ですから”人と違うこと”を怖がる気持ちもわかりますが、違ったからといって、じゃあどうだったろう、と考えると、それほど大きく変わったことはなかったように思います。
確かに“人と違って”苦労したことはありました。
でも、結局、僕は僕だっただけだったからです。
最後に
『2020年の東京オリンピックは日本の存在感を世界にアピールする絶好の機会となるでしょう。一方で、すべての社会問題がオリンピックを機に表面化するともいえます。』
という言葉がこの本にありますが、僕もそう思います。
オリンピックは様々な国と文化が混ざり合う場でもあるので、同性婚を許可している国や、日本よりセクマイに対してオープンな国と交流することにもなりますよね。
そんな国の人たちから見たら、日本は結構閉鎖的でセクマイに対して寛容ではないように見えると思います。
そういうマイナスな面はメディアに取り上げられやすいし、議題にもしやすいです。
日本で扱われなくても、海外で話題にされたら日本でも考えざるをえなくなりますよね?
以前何かの選挙の時に(政権交代だったかな?)党別議員別に
「セクマイについてどう思うか」
という質問をした結果がセクマイの間で話題になっていましたが、ある党が特にひどく
「セクマイに人権はない」といった発言をする議員がいたほどでした。
しかしこのことは当時、なんの問題にもされませんでした。
大手のメディアにとっては、これはみんなの共感を得られそうな話題ではなかったわけです。
しかし世界的な話題になればそうはいかなくなるはず……。
ということでLGBTQ関連の問題は間違いなく東京オリンピックを機に表面化してくると思います。
そのとき、声をあげてくれる人が多いほど、いい方向に進むでしょう。
ですから、そういうことをどこかでみかけたら、サポートしてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。
とまあこのように、社会問題を考えるところまで連れて行ってくれるのが「夫夫円満」です。
ぜひあなたの図書館に1冊いれてみてください!
2017/07/31
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愛し合うカップルは素敵だ。愛こそが人間のライフワークだ。
差別が今よりもずっと激しかった時代を生きたアメリカ黒人文学者たちからはずいぶん助けられてきた。現代の白人の性的少数者も、別のマイノリティの生き方から学んで助けられているんだ。
歴史と共に生きてきたから権利を主張できる。
全ての人がストレートという前提の社会では、ストレートはわざわざ自分がストレートだと確認する必要がなかった。
性の多様さが知られるようになった現代では、性的マイノリティだけでなくマジョリティも、少なくとも自分自身に対して、自分の性の在り方や性的指向性をカミングアウトする必要が出てきたんじゃないか?
生まれ育った環境も含めて、私のアイデンティティなんだ。
私が発信できるメッセージは何だろう?
"In This Life" - Israel Kamakawiwo'ole
https://www.youtube.com/watch?v=_D17p0D-rks
Over the rainbowのカバーが好き。
The Fire sign theatre Everything you know is wrong
https://www.youtube.com/watch?v=YKZtt2yEwfs
1974
It gets better http://www.itgetsbetter.org/
ハートをつなごう学校 http://heartschool.jp/
Born this way https://bornthisway.foundation/
Operation Respect http://operationrespect.org/
グランマリネハンのうまうまチョコレートケーキうまそう。
また読もう。英語版出ないかな。