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内田樹お得意のブログ本。テーマは教育。ブログの部分も大体読んでいたとはいえ、本の形になって改めて読むというのはまた違う行為だ。ブログにはなかった第九章で語られる日比谷高校の同窓生との関係が面白い。
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いろんなところに書かれたエッセイを一冊にまとめられている割にバラバラ感をさほど感じさせないのは、第1章から3章くらいまでの前半は解り易いからでしょうか。
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下流志向に続けて読んだ内田本。内容の半分くらいは下流志向とかぶっていた。個人的には、下流志向より良い本だと思ったが、いかんせん後に読んでしまったので星三つです。興味がある人は、こっちから先に読むことを僕はお勧めします。ただ、内田氏はブログがとても充実しているのでそっちを眺めたほうがいいかも。
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共感できるところがたくさんあってすごくおもしろかったんだけど、タイトルと内容がどう関係があるのかがよくわからない。内田先生がブログに公開していたエッセイ集です。内容はやはり教育に関するものが多いけど。「自分のモチベーションを高めるのと、他人のモチベーションを下げることは受験戦争の中では同義なので、皆後者を選択して学力が低下している。だから日本国民全員が学力低下に責任がある」というのは正にその通りだと思いました。
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学生にも教授にも生徒にも先生にも官僚も、そして教育には関係ない(と、自分では思っている)人にも、一読する価値はあると思います。
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読みやすい、共感できるウチダ論だ。私としては第9章はいらないかと思った。
「先生はえらい」も良かった。
私学の運営も大変だ。もし、身内に娘がいたら神戸女学院を薦めたいのだが……。
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ウチダ式大学論満載。
現役大学生としては、おもしろいような怖いようなビミョーな気持ちにさせられる。
今の大学生の多くはマジメで、大学側に煽られるままに、就職活動やら自己啓発やらに駆り立てられている。
そういうのを気持ち悪いと思い始めたら読めばいいと思う。
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なるほどと思う。
学校というのは子どもたちに自分が何を知らないかを学ばせる場である。
頑張ります。
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内容は00年~06年ころのブログの再録が中心。
私は彼の本を「うん、そうだよね。それってフツーじゃないの?」
と感じつつ読むことが多い。
氏の出版点数は確実に増えてるみたいだし、
それは共感する人が増えている、のか
教えを請いたい人が増えている、のか、どうなんだか。
永江朗が『新・批評の事情』で書いてたように(うろ覚えなので間違ってるかも)
おじさんの知性が求められてるんだろうなあ。
後半に収められた学生時のエピソードを読むと、
この鼻持ちならなさと文章の雰囲気が見事にリンクする(笑)
http://takoashiattack.blog8.fc2.com/blog-entry-1642.html
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大学人が運営や学生の質についてこんな風に発信するのは珍しいのではないか。とても興味深く、おもしろく読んだ。学術論文に関するあたりは、できれば学生の頃に読んでおきたかったと思う(当時はまだ書かれていなかったが)。でも、読んでもわからなかったかも。自分がどれほど漫然と大学に通っていたかを思い出して、ちょっと(かなり)がっかりしてしまう。
著者の持論である大学ダウンサイジング論には、全面的に賛成だ。定員を減らすだけでなく、たとえ定員内でも、一定のレベルに達しない受験生は足切りしちゃえばいいのに、とも思う。
が、これもムスメたちがまだまだ受験年齢ではないから抱ける感想なのかもしれない。長女が高3くらいになっても、こんなふうに強気でいられますように。
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ジャンルに迷いますが。ストレートで学生生活を七年もする身として、大学の存在意義を考えられたことはよかった。ネームバリューではないというのは身をもって実感しているので、内田先生のお話がよくわかった。いろいろ話がとんで一冊通して集中するのは難しかったけど、内田先生のスタンスはずれないので安心して読める。本筋ではないけど、消費者としては学べないというで学びの構造はいつもいつも、納得させられてしまう論理です。
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(以下引用)
「近代史上もっとも成功した教育システムである「幕末の私塾」がなぜ放棄されて、明治の公教育システムが構築されたのか。(中略)「幕末の私塾」が産み出したのが「回天の英傑」ばかりだったからである。そんなものにぞろぞろ輩出されたのでは近代国家のプロモーションは成り立たない。「政体を転倒するほどのスケールの大きい人間を生み出す教育システムはもういらない」ろいうことを暗黙の前提として、明治以降近代の公教育システムは構築されたのである。(P.28)
今日、社会的上位者には教養がない。かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱり物を言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」の人々のほぼ全員に共有されている。(中略)別にお嘆きになることはない。だから教養の再生プログラムも簡単である教養のある人間しか出世できないプロモーションシステムを作ればよいのである。そう、「科挙」の復活である。((中略)文部科学省も「教養教育の再構築」などとつつましいことを言わずに、ここは一発「科挙による政治家と高級官僚の登用」を提言してはいかがか。(P.119)
ワクチンは風土病の発生現場でしか作れない。(P.157)
中期計画を立て、数値目標を示して、目標通りの成果を出さなければ研究予算が打ち切られるということになると、研究者たちはまず目標を下方修正するようになる。確実に達成できる目標に引き下げて、プロジェクト自体を矮小化することで生き延びようとする。(P.235)
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学生時代に就職活動で、就職担当者を訪ねたことがありました。その担当者は終始、不遜な態度かつ高圧的な物言いで癇に障ったのを覚えていますが、怒り、というか落胆を禁じ得なかったのは次のような言葉でした。自己PRできるものは何かと問われ、「結構、本を読んでいます」と答えると、「そんなことして何になるの?」と嘲笑したのです。
言うまでもなく、大学は学生に教養を身に付けさせるための教育機関であり、最高学府と呼ばれるように、あらゆる教育機関の最高位に位置する存在です。教養を身に付けるための最も基礎的かつ必須の方法である読書という営みを、卑しくも大学人(教官だけでなく大学運営に関わる全ての方たち)たる者がかくも軽く見積もり、しかも軽々に口にするのはいかがなものでしょうか。私はこの大学に入ったことを後悔しました。
むろん、就職担当者にとって、学生の就職率を上げることが最大のミッションだということは分かります。そうした崇高(かどうか分かりませんが)な責務を担う当該の就職担当者にとって、「趣味は読書」というのは、就職氷河期と呼ばれた当時の社会状況にあって、いかにも危機意識に乏しく、牧歌的に映ったのかもしれません。
しかし、企業が求める人材育成に汲々とするあまり、大学が本来、果たすべき社会的機能を忘れた結果が今の体たらくを招来した最大の要因であることを指摘しないわけにはいきません。
恐らく、内田樹先生も同意してくださるでしょう(願望)。たとえば、こんなエピソードが紹介されていて、思わず膝を打ちました。
長いですが、引用します。
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ゼミが始まる。
新四年生のゼミは初回から欠席者が六人というありさま。卒論研究計画の提出日だというのに。
就職活動というのは、そんなにたいせつなものなのであろうか。繰り返し言っていることだが、もう一度言わせて頂く。大学生である限り、就職活動は「時間割通り」にやりなさい。
諸君はまだ大学生である。いま、ここで果たすべく期待されている責務を放棄して、「次のチャンス」を求めてふらふらさまよい出て行くようなタイプの人間を私たちは社会人として「当てにする」ことができない。
当然でしょ。いま、ここでの人間的信頼関係を築けない人間に、どうしてさらに高い社会的な信認が必要とされる職業が提供されるはずがありましょうか。
そんなこと、考えればわかるはずである。
「おっと、こうしちゃいられない」
地獄への道はこの言葉によって舗装されている。これは長く生きてきてわかったことの一つである。みんなそうつぶやきながら破滅への道を疾走して行った。
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内田さんは神戸女学院大学の教授(執筆当時)ですが、「学生の本分は勉強である」という、当たり前といえば当たり前ですが、当今は建前としてもその意味を失った本義を頑なに信じ、しかも堂々と表明しておられます。私はこのような大学人がいる大学を羨望します。ビジネスマンを養成する機関にはなってほしくないのです。
本書は2004年に書かれたものです。学生の就職難は現在もそれほど変わっていません。もしかしたら、「きれいごと」と受け止める向きもあるかもしれませんが、どうでしょうか。
いささか偉そうなことを書きましたが、正直に告白すると私はほとんど「クレイジー」と形容されるほど不真面目な学生でした。末尾になりましたが、そのことについては出身大学の教官、職員の皆様に率直にお詫びしたいと存じます。いえね、学生の皆様に「大学では勉強しろよ。僕みたいに後悔するぞ」とアドバイスしたい意図もあるわけでモニョモニョモニョ。
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http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=7903
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学生が侵しやすい論文執筆の曲解、大学のダウンサイジング、大学は自己の変容を体験する場である等々。
自分と同じ立ち位置でもの申してくれる内田氏の言葉にぞくぞくした。