絶望の先にあるもの
2001/12/21 17:04
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投稿者:ebimatsu - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の周りの愛する人たちには、できれば絶望など味わうことなく暮らして欲しいと思う。その方が幸せだと、心から信じている。それなのに、自分自身は「絶望も悪くない」と思っていてわざわざ絶望に向かって進んでいるように感じることがある。
筆者は言う。絶望の中で、人は初めて「素の自分」と出会うのだと。絶望の無い人生は安穏としているかもしれないが同時に、自分を高める機会を逸しているのかもしれないと。
一方で、警鐘もならす。ぎりぎりのところで戻れるだけの、心の体力が無い時には絶望は、即、死につながるのだと。そのリスクを背負っても進んだ者にこそ見えてくる光がある。ほんとうはそうまでして見なくてもいいものなのかもしれない。それなのに、極限の苦しさの中で見るたった一筋の光。その甘美なまぶしさに捉えられてしまった私は今日も、絶望の淵をのぞきこむ。
絶望は、決して失望には終わらない。精神科医として多くの人間の「絶望」に関わってなお筆者は、そのことを信じているように見える。
私と同じように。
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心の重荷をとってくれるような本何かないかな…、と思いながら探してて、ふとタイトルにインパクトに感じて手に取ってみたら、吉本ばなな氏との対談つきということにピピッときて読んでみました。
精神科医の著者は、不幸とか絶望の淵にたっている患者たちを何人間近で見てきたし、ご本人も幼いときの家庭環境が大家族で精神的にわずらっている人々に囲まれて育ってきた経験もあり、とても文章に説得力がありました。
とても濃い内容でありながらこの手の本としては堅苦しくなく読めました。
前半古今東西の哲学者、思想家、芸術家、などをとりあげながら、彼らが絶望の時にどう生き抜いたのか、または飲まれていったのかが書いてあって、興味深く読みました。
その中でも『少女はなぜカツ丼を抱いて走ったか』のばなな論に特に感じ入りました。
絶望の極みに入ると本も読めなくなってしまうそうですので、そうなる前に読むことをぜひオススメしたいです。
一時的な癒しではなく、根本的な癒しに近づける良書です。
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去年の秋は、どうしても気持ちが落ち込んで、何も手につかない苦しい日々を送っていました。
その時期、縋るように繰り返し読んだのがこの本です。
精神科医が語る「絶望とは」そして、絶望と向き合ってきた歴史上の人物の話、吉本ばななさんとの対談まで幅広く書かれています。
第一に、絶望に陥っているのは君だけじゃない、というシンプルなメッセージ。
絶望というのは非常に主観的なもので、同じ境遇でもへっちゃらな人もいれば、人生の終わりのように感じる人もいる。
そんな絶望ですが、深い絶望と向き合ってきた歴史上の人物(芥川龍之介やキェルケゴール、フランクルなど)の話は非常に興味深いものでした。
私にとって絶望というのは、極寒の地に一人で立ち尽くすイメージです。心を強く対処法を身につけているならば、ある程度防寒具を着たりして備えられますが、備えのない人間にとっては裸で雪の上に立っているようなもの。体力が尽きたら死んじゃいます。
そこで人に相談して重荷を背負ってもらったり、気分を転換したり、というのももちろん絶望回避の手法の1つですが、本質的に絶望を乗り越える、ということができたなら、それは自分の人生を根底から掘り起こし、新しい人生に目を見開かせる大いなる転機になる、と述べていることに勇気づけられます。
実際のところ、臭いものにはフタをするように、辛い気持ちを紛らせる方がずっと楽だけど、とことん向き合うことにすごく意義があると感じています。
まだまだ弱いからすごく消耗してしまうけど。
本書は絶望しているすべての人におすすめしたいけど、吉本ばななさんファンにも必読です。
吉本ばななさんが「人間が苦悩や絶望にあっても、どこかに救いがあるんだ。その救いをみつける試みのない小説を私は書きたくない。やはりささやかなものであれ、そこに生きる希望を残すメッセージを送り出せる小説を書きたい」と述べていて、ああだから彼女の小説はあんなにもやさしいんだ、とすごくしっくりきました。
しばらく本棚に入れておいて、辛くなったらまた読もう。