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この人、刑務所に入ってからおもむろに大量の本を読みまくったようで、突如脳内に流れ込んできた情報を咀嚼しつつ吐き出していたようだ。その記録ノートが本書「無知の涙」なわけだが、映画「マトリックス」のように瞬間的に全てを「理解」できるわけもなく、やや消化不良気味に感じられる。
どのような思想もそうだが、独り閉じこもって読書から吸収しようとすると、その読書傾向に大いに流される。読んだ本に影響されるし読む本も選別されていく。いうなれば自己洗脳だ。
読書って危険だなとしみじみ感じる1冊。
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読みづらいと感じた。
ただ、小学校も中学校もろくに行ってないのにこれだけの文章を急に書けるようになったというのはすごすぎる。
でもやっぱり、誤字脱字が多いし、言葉遣いが変なところ、主語述語がつながってないところもあるし、書いた本人にしかわからないような書き方のところもあるし(これは日記だからしかたないのかもしれないけど。)…。
あと、著者の考え方には変な偏りというか、変な意地というか、そういったものがあって、理解するのが難しい。
たしかに私が今、なんの不自由もなく暮らしているからわからないというのも大いにあると思うのだけれど…。
それに、著者の「自分は近々死ぬのだ」「死にたい」という思いが、彼の思想の広がりをある程度のところまででとどまらせてしまっているような気がする。
また、天皇を殺せという文章に私は怒りを感じてしまい、それ以降はパラ読みで済ませてしまった。
でも、とりあえず読了して感じたのは、著者は、自分の犯した罪を社会の所為だとか、貧困の所為だとか、資本主義の所為だとか色々言ってるけど、ほんとは自分自身でさえなぜ人を殺してしまったのか、多分、わからないのだろうなということ。
人を殺す前、もうこんなのいやだ、とか、すごく行き詰まってたとは思うけど。
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読書とは何であり得るか。いかにも漠としたこの問いに、僕は今こう答えたい。読書とは、永山則夫である、と。そしてまた読書とは『無知の涙』である、と。
永山則夫は死刑囚であった。永山則夫は4件の連続射殺事件を起こした、殺人犯であった。逮捕時、20歳。69年の投獄直後から、彼は1人ノートを綴り始める。以来そこに記された一年分の軌跡こそが本書『無知の涙』である。
まず断っておかなくてはならないのは、この本に所謂「文藝」を期待してはならないということだ。ここに収められた多くの断簡には、もちろん数少ない例外は認められるものの、殆ど文学的な要素は見出せない。本書を作品集の類として捉えその先入観のままに読み進めることは、諸々の退屈を免れ得ないばかりか、最も刮目すべき崇高を見落とすことになる。
我々が真に読むべきは本文ではない。まして行間などという曖昧なものでも、決してない。読まなくてはならないのは、空白である。文章と文章を隔てる空白、詩と詩を隔てる空白、その区別の形式を読まなくてはならない。その揺れを、歪みを、飛躍を読まなくては。幼稚で、拙く、この上ないほど不器用な愛すべき奮闘こそ、読まれるべきなのである。
彼は獄中で、様々な本を貪るように読み続ける。飢えと乾きに満ちたヒビ割れだらけの人生に、その裂け目に、活字を流し込んでゆく。その様子はまさに手当り次第といった様相で、韻文、散文、思想、哲学から純文学に亘るかなり横断的なものだ。
かつてニーチェは言った。『わたしは一つのダイナマイトである』と。教育という制度から長きに渡って隔絶された生活を営んできた20歳の多感な青年にとって、獄中で与えられる本は、そのひとつひとつが、ニーチェの言うダイナマイト的経験だったのだ。かくして、彼の思想や文体は、当時まさに読んでいる本から多大な影響を被ることになる。
愚鈍なサルトルがいる。拙いカントがいる。駄目なドストエフスキーがいる。邪な宮沢賢治がいる。歪んだリルケが、撓むヘンダーリンが、虚ろなカフカがいる。永山則夫の不慣れで覚束ないペン先には、ダイナマイトのきな臭い残滓がありありと滲んでいる。
そして僕は確信する。読書とはこれである。読書とは、この炸裂と爆風の中を生きることである。そこに善悪や拙巧などという安易な審級を持ち込んではならない。『無知の涙』には、なるほど下手が目に付くだろう。詩歌も粗忽で、短文にも纏まりがない。論理にもキレがなく、直観も今ひとつ冴えない。しかし、それがなんだ。そんなことがなんだというのだ。永山則夫は確かに読んだではないか。爆裂火口のど真ん中で、恐ろしい傷痕を晒しながら、彼は深く、正しく読書したではないか。様々からの影響を露骨に受けながら取り散らかった、それぞれの記述ごとの振幅の乱雑こそ、そのなによりの証左である。
だから、我々はそれを読まなくてはならないのだ。彼がその技巧的未熟故に表現し得なかった必死の惑乱を、懸命な苦悩を、各々の文章を隔てながら連続する空白の中に読まなくてはならないのだ。読書に揺さぶられ、撹乱され、目を眩まされながら、それでも只管打読に励む永山の姿は、他でもないこの空白に宿っている。
その後も彼は読み続け、書き続ける。罪人として禍事の中を生きる為に、生き抜く為に、切実な営為は続く。様々に試行錯誤を繰り返しながら、やがて永山の文体は熱い洗練を獲得し、獄中から発表した『捨て子ごっこ』で芳醇に結実する。
彼はジャン・ジュネを、『泥棒日記』を読んだだろうか。或いは『聖ジュネ』なら、もしや。ふと、そんなことを思う。
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文学的ではないとしても、貪り読んだ本の断片だとしても、他のありふれた描写とは一線を画すものがある。例え犯罪者であっても言葉を綴ることは自由で、そこに人権は存在する。誰に媚びることもない不器用で正直な言葉が好きだ。
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前々から気なっていた本ではあるが、ある古本屋で適当な頁を立ち読みしたときに、泣きたくなるほどの感動を覚えた。それは、彼が4人を手にかけた殺人犯であり、獄中で読み書きを覚えたという予備知識があってのことなのかどうかはわからないが、とにかく「ものを書く」ことの本来の激烈さを痛いほど感じた。後半になって嫌らしさを感じるが、前半の生の恐ろしさを覚えるほどの詩には、半端な作家ではかなわないと思う。
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重い。
こういう本を読んでいると(以前「私たちの幸せな時間」読んだときも思った)死刑廃止について肯定的な気持ちになる。けれど、やはり被害者のことを考えるとどんな理由があるにせよ、殺人犯は許されない、死をもって償うべき、とも思う。永遠のテーマなのか。。。
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[ 内容 ]
4人を射殺した少年は獄中で、本を貪り読み、字を学びながら、生れて初めてノートを綴った。
―自らを徹底的に問いつめつつ、世界と自己へ目を開いていく、かつてない魂の軌跡として。
従来の版に未収録分をすべて収録。
[ 目次 ]
死のみ考えた者がいた
言葉と水の異なった中の自分
怒り憎め、そして愛せ
ミミズのうた
一番明るい所が一番暗くなる
あなた達へのしかえしのために
幼い思想家
独りぽっちの革命家
空腹は未知を求める
“自己”への接近
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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逮捕されてから数か月後からの手記であるから、相当な速さで教養を吸収したことがうかがえる。
その時代背景から、だんだん左に傾いてゆくさまがよくわかる。
その中で、自分の犯した罪の理由付けを何とか追求しようとしているようだが、結局マルクス主義に行き着いてしまう。
自由のきかない革命家として。
この時代の革命家は、現状を脱却するのに必死すぎて、そのあとのことをあまり想定していなかったのかなと思うのは、今を生きる者の安易な考えだろうか。
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永山則夫の境遇が彼をそうさせた、のは明白であるにしても、親や親類の無責任さはなんだかやるせない。
彼がきちんとした家庭に育てられて、教育を受けていたら
あんな事件は起こさずに済んだのになあ。
あとやはり死刑制度というものをもう一度見直す必要があるのではと感じた。
私たちの誰が彼を裁けるのか、と。
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永山則夫は1968年のうちに
米軍基地から盗んだ拳銃を用いて4人を殺した
これといった理由もなく
そうすることで、自分という存在を見いだそうとしたのだ
とする評論家もいた
彼が、家族愛をまったく知らなかったものかどうかはわからない
甘えの感情から、悪い記憶に固着して
被害者意識を募らせていただけという可能性もある
ただしまともな生育環境に置かれてなかったことは確かだ
中卒で学もなかった
この書物は、永山が逮捕された直後の拘留中
新聞雑誌等からの漢字の書き取りに並行して、ノートの余白に記された
詩や雑感をまとめたもの
殺人者の回想録としてはまったく空虚なものだ
どこかで見たものの寄せ集めと言っていいだろうが
生きることの空虚とは別にある、死へのおそれを持て余した本音が
ときどきキラリと光を放つ
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1968年に4人を殺害した事件で知られる著者が、獄中で哲学や心理学などの本をむさぼるように読みながらつづった手記です。
見田宗介は『まなざしの地獄―尽きなく生きることの社会学』(河出書房新社)で著者をとりあげ、高度成長期の疎外状況における著者の実存に迫る考察を展開しています。また、批評家の井口時男や、近年では哲学者の細見和之も、著者について鋭い論考を発表しています。
本書につづられているぎこちないことばを読みながら、いったい著者は、マルクスやカントのことばをどのように読んでいたのだろうかという疑問に、つねにつきまとわれていました。おそらくわれわれがマルクスやカントを理解するように読んでいたのではなく、著者自身の、それまでかたちをとることのなくくすぶりつづけていた暗い情念が抽象的な概念で組み立てられた文章のうちに流れ込み、はじめてそれをみずからの目で見つめるような仕方で読んでいたのではなかったかと想像します。そうした著者のまなざしは、マルクスの思想を「外部」から見るということがどういうことなのかを、実例としてわれわれに示しているように思います。
わたくし自身は、資本主義が生み出す貧困によって、必然的に著者が犯罪者へと押しやられたとは考えませんが、もし著者が、彼自身のうちにくすぶる混沌を、ことばによって輪郭づけることができていたとしたら、はたして彼は罪を犯しただろうかという問いは、やはり残るだろうと思います。本書でも著者は、学生や看守に対して幼稚とも思えるコンプレックスをあらわにしていますが、それすらも、彼が学ぶ前には明瞭に自覚することさえできず、ただうちにくすぶりつづける混沌として彼を苛んでいた情念だったのではないでしょうか。
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死刑囚として、あまりに有名な永山則夫。
禁忌を犯した己の業に抗おうと、
知で武装した1人の死刑囚の獄中での思索の記録として忘れられない。
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読み書きがまともにできなかった著者の学びへの執念の凄さを突きつけられた。自己を見つめ、社会に問いかけ、考えたことがびっしりノートに書き綴られている様は圧巻だった。本当に読み書きできなかったの?と疑ってしまうほど。左に偏る思想は賛同しかねるが、言いたいことはわかる。客観的に見たら罪を犯したことは事実。遺族を思えば当然の判決なのかもしれない。だけど…だけど…と思わされる1冊だった。答えは出ない。
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読後は「ピストル魔の少年」と軽々しく呼ぶ事は憚られる。時代が違いヒップホップに出会っていたら…と夢想せざるを得ない。
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永山則夫(1949~97年)は、北海道網走市で、8人兄弟姉妹の第7子(四男)として生まれ、幼い頃に父親は家からいなくなり、母親や兄弟からも疎まれて育ち、小学校、中学校にはほとんど通わなかった。集団就職で上京した後、仕事を転々としながら、ときに窃盗事件を起こし、また、外国船に乗って密航を企てたりしたが、一時通った明大付属中野高校夜間部では上位の成績だったという。そして、1968年、19歳のときに、在日米軍・横須賀基地内の住宅で盗んだ小型拳銃を使って、4件(東京都・京都市・函館市・名古屋市)の連続殺人事件を起こし、最終的に死刑判決を受け、1997年に死刑が執行された。
本書は、ほとんど学校に通うことのなかった(高校の一時期を除き)永山が、拘置所の中で、本を貪るように読みながら、1969年7月~1970年10月の一年余りの間に、自分の思いを大学ノート10冊に書き綴った手記で、1971年に出版された。出版直後からベストセラーとなり、1970年代前半は、本書を持ち歩くことが「反権力」を通す若者にとって、ある種のファッションだったともいう。永山は、その後も獄中で小説家として創作活動を続け、小説の『木橋』(1983年新日本文学賞受賞)、『捨て子ごっこ』等を残した。
私は、随分前に、堀川惠子氏の『死刑の基準』を読んで、永山と連続殺人事件のことを詳しく知り、そのときも本書には興味が湧いたものの、(パラパラめくってみて)読み切る自信がなくて止めたのだが、今般、新古書店で手に入れ、評論家・秋山駿氏の解説を参考にしつつ、飛ばし読みしてみた。
ページをめくり終えて、まず驚いたのは、思索のボリューム・密度と、わずか一年余りでのその向上ぶり(という言い方が適切かは疑問だが。。。)であった。全体のイメージとしては、ノート4までは、自分の思いついたこと・感じたことを、詩の形式で断片的に描いたものが多く(義務教育もまともに受けておらず、文章を書く力がなかったのだろう)、ノート5あたりから、本を読んで得た言葉・表現や知識(ドストエフスキー、カント、フロイト、マルクス等の著書を次々と読んでいるのだ)を使って、人の生や社会・世界について自分の考えたことを、散文形式で表現するようになっている。
そして、犯罪者の手記として最も知りたいことは、当然ながら、なぜこのような凶悪犯罪を起こしたかであるが、この事件は典型的な「動機・理由なき殺人」と言われ(幼少期からの不遇が背景との分析は為されたが)、その原因は永山本人にすらわからず、秋山氏によれば、この手記は、「いったいそこに何が在ったかへの、なぜ自分がそこにいたのかへの、果てのない追求の手記」なのである。そういう視点で見た場合、最も気になるのは、ノート5の「この108号事件は私が在っての事件だ。私がなければ事件は無い。事件が在る故に私がある。私はなければならないのである。・・・死刑になるなら自殺した方が最良だと考えた・・・自殺は出来なかった。・・・世論の同情する私であるために出来なかった。」という文章なのだが、これは、その後も後を絶たない無差別殺人の犯人がしばしば口にする、「注目される事件を起こして、死刑になりたかった。相手は誰でもよかった」という考えと大きく違わないよ��にも聞こえる。
永山は、もともと知的作業に向いた知力を持ち、それ故に、驚くべき短期間で思索し、それを表現することができるようになったが、これは、間違いなく永山に特有のことであり、本手記に散りばめられた様々な思索は、他の動機・理由なき凶悪犯罪に通じるのだろうか。。。
本手記をどう読む(べきな)のか。。。現時点ではよくわからない。
機会があれば、永山の書いた小説を読んでみたいと思う。
(2024年5月了)