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バージェス家の娘スーザンの息子ザックが起こした事件をきっかけにさまざまなことが露になり、変化していく家族。『オリーヴ・キタリッジの生活』のような毒気を期待すると戸惑うかもしれない。スティングの"Englishman in New York"を思い起こさせる物語。
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ある一家の1年ほどを描いて、問題噴出なのにどこかユーモラスで、しかもあたたかい結末。
アメリカの抱えるさまざまな問題がびっくりするほど関わってきます。
バージェス家のジムとボブ、妹のスーザン。
長男のジムは、やり手の企業弁護士。
ボブはジムにばかにされながらも慕っている気のいい弟で、弁護士なのだが法廷には全然向かない。
二人はニューヨークに出ているが、メイン州に残った妹のスーザンから連絡が入る。
息子のザックが事件を起こしたため来てくれというのだ。
ジム夫婦は、社長夫妻と一緒の休暇旅行を優先して、ボブだけに行かせる。
ザックはモスクに豚の頭を投げ捨てたのだが、軽犯罪だからすぐ帰れるといわれて、ボブは内心途方にくれながらも逆らえない。
高校からスターでいまや成功したジムの俗物っぷりは笑えるほどで、夫婦仲はいいのだが、それも事件の推移と共に崩壊の危機に‥?!
スーザンは離婚して独り身。口が悪くてあまり性格は良くないのだが、それは母親に一番きつくあたられて育ったせいという哀しさも。
無口でどこか未発達な息子のザックのことを、いつも心配してきた。
バージェス家の父は事故で早く亡くなっていて、それも幼いボブが車をいじったせい。
このトラウマを抱えているボブは、どこか気弱でたまに放心する癖がある。
だんだんわかってくるのは、兄妹3人ともが、自分のせいだったと責めていたこと‥
ザックの事件は連邦犯罪のヘイトクライムと扱われる危険が出てきて、ジムも駆けつける。
田舎町にはソマリアからの難民が増えていて、見た目や風習の違いに、スーザンは違和感を覚えていた。
ソマリ人の視点もあり、暴漢に襲われる危険に脅える心理も。
ところが公判でザックを見たソマリ人は、その弱々しさに驚き、ただの寂しい子供だという説得に理解を示してくれるのです。
ジムとボブが中心ですが、ジムの妻、ボブの別れた妻や、かかわる人間達が皆生き生きとしていて、なんとも人間臭い。
抱えている問題は皆いずれは表面に出てくるもの、という印象。
大変なことになってしまった窮地が少しずつ解きほぐされ、全員に希望が見えてくる展開が感動的です。
「オリーヴ・キタリッジの生活」でピュリッツァー賞を受賞しているストラウト。
作品数は少ないのに、とても尊敬されている作家のようですね。
「オリーヴ・キタリッジ」はひとつひとつは短いのに濃くて、確かに読みでがありました。
田舎町出身の兄弟や家族の話も、アメリカ人の琴線に触れることでしょう。
読みきると案外、重くない、愛と希望に満ちた話でした。
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3人兄弟の成長ストーリー。あるべき姿に近づいていく過程が心の動きと共によく描かれていると思いました。幸せになっていく予感がラストから感じられてよいです。
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「オリーブ・キタリッジの生活」と
ガラッと違う登場人物たちの心理に
最初は、入り込めずにいたけれど中盤以降の
それぞれの思いが、じんわりと胸に来ました。
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ぴかぴかとまではいかずとも、それなりに磨き上げ手を入れていたガラス窓に、ぴしりと小さなヒビが入った。じわじわと広がっていくそのヒビをくいとめる法などあるはずもなく、不安に思ううちにそれはしまいには窓は砕け散ってしまう。
バージェス家の兄弟妹の生活が、それだ。とりあえず均衡を保っていたものがあれよあれよと崩れ落ちていく。
きっかけは妹の息子がモスクに豚の頭部を投げ入れたことから始まる。少し昔の小説であれば、この息子の心理を探ることに物語の核があったのかもしれないが、息子のその暴挙の理由は「なんとなく」なのである。こちらのほうがいまや現実的に響くのであるから恐ろしい。
前作のあとがきの、どんな「田舎町の日常にも、人の心の中まで見れば作家が書くべきものはある」という言葉が本作にもあてはまる。
子どもの頃は、理由もなく「今の生活がずっと続く」と信じていた。自分が家庭を持ち、子どもたちが腰周りにべたべたとくっついている頃も、そんな風に思っていたものだった。はたと今の現実に気づいたところで自分の気持ちがついていかない。そんな主婦に私は自分が重なった。
けれど、最後にはゆるゆると温かなものが流れてくれる。読んでよかった。
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「三分の二は逃げそこなった、と思っている。彼とスーザンは――スーザンには息子のザックも合算して――一家の父親が死んだ日から運命にとらわれた。どうにかしようとは思った。母親も子供のために頑張ってくれた。だが、うまく逃げおおせたのはジムだけだ」
あの日、四歳のボブと双子の妹スーザン、それに長男のジムは車に乗っていた。玄関前の坂道の上に父が車を停め、郵便受けの不具合を直そうと坂道を下りていったあと、車が動き出して父は圧死した。ボブには何の覚えもないが、前の座席にいたので、学校で「お父さんを殺した」と言われ、精神科に通ったこともからかわれた。いつもぼんやりとした不安が心に潜み、弁護士になった今でも法廷でのストレスに耐えられず、上訴支援(リーガル・エイド)の仕事をしている。
人懐っこいボブは誰からも好かれているが、スーザンとはうまくいかない。周囲の目から守ってやろうとして、母親はボブをかわいがった。スポーツが得意で、成績優秀なジムは愛されて当然の子だった。二人に比べると、スーザンは割を食った気がしている。心の底で、母親が自分に冷たいのは、本当は自分が父を殺したからではないかと疑っている。母に愛されなかったから、自分も息子のザックを愛せなかったのでは、と感じている。
ひとり、ジムは優秀な成績で州立大を卒業後、奨学金を得てハーバード・ロー・スクールに進学し、メイン州の司法長官事務所に勤めたあと州を出た。ソウル歌手が愛人を殺した事件を弁護し、無罪を勝ち取ったことがテレビで評判を呼び、今はマンハッタンにある大手法律事務所に勤務している。コネチカット出身の裕福な家の娘と結婚し、二人の子を育て上げ、ブルックリンにある閑静な住宅地パークスロープで夫婦二人暮らしだ。
三人兄妹は、スーザンがメイン州に残り、ジムとボブはニューヨークに出た。何もなければ、それぞれが過去を引きずったまま、残りの人生を送っていたかもしれない。ところが、それが起こった。ひとたびその渦中に飲み込まれると、それぞれの思惑とは別に三人は顔を合わせ、ともに問題解決に向かって力を合わせることになる。それが過去の確執を洗い流し、三者三様に傷を癒し、新しい人生を始めるきっかけをつかむ。
事の起こりは、ザックがモスクに冷凍の豚の頭を投げ込んだことだった。普通なら軽犯罪に問われるところが、シャーリー・フォールズにはケニアの難民キャンプから移住したソマリ人が大勢住んでいて、ヘイトクライムとして扱われる可能性がある。慌てたスーザンはこちらに来て相談に乗ってほしいとジムに電話するが、休暇旅行を明日に控えたジムは、妻の手前もあって即答できない。そこでたまたまジムの家にいたボブが代わりに行くことになる。
心優しいボブは、兄の気持ちを慮って引き受けたものの、自分にジムの代わりが務まるとは思えず、助けてくれよと言いながら車で郷里に向かう。案の定、久しぶりに会うスーザンはけんもほろろで、保釈金を払って家に帰ってきたザックとろくに話もさせてもらえない。それどころかコンビニで酒と煙草を買って帰る際、ソマリ人を轢きかけてパニックを起こし、ジムから借りた車を現地に置いたまま、飛行機でニューヨークに帰って来てしまう。
何年も会ってなかった兄妹が、一家を襲う難題に直面して久しぶりに一つになる。ところが、やってきた弟は役立たず。満を持して登場したジムが集会で演説し、意気揚々と凱旋してみれば、大うけの演説がかえって地元の権力者の反感を買い、甥っ子は連邦から公民権侵害で裁判を受ける羽目に。絶望したザックは家を出て行方知れず。さすがのジムも色を失う。めずらしく弱気になったジムは、ついボブに漏らしてしまう。それまで何度も口にしようとして言い出せなかった、あの日のことだ。
ジムは誰にも言えない秘密を抱えていた。それはボブにとって、足もとの大地が揺れるような驚愕の事実だった。打ち明けられたボブは衝撃を受けた。初めは半信半疑だったが、日が経つにつれ、重く受け止めるようになり、兄との間に距離を置いた。そうこうするうちにあれほどボブの感じていた不安は雲散霧消していた。その間、ジムをめぐる事態は急転していた。ジムは部下と不倫して事務所を追われ、着の身着のまま家を出るところまで追いつめられていた。
いわゆる「中年の危機」である。何もかも思うようにいかなかった。ジムが貧しい暮らしの中、頑張って勉学に勤しんだのは、政治家になって経済的弱者のために働きたかったからだ。ところが、金持ちの娘との結婚生活を維持するため、本来やりたかった政治家ではなく、ホワイトカラーの犯罪者を守る弁護士になっていた。ところが、成長した二人の子が家を出て行くと、あれほど守りたかった家庭は虚ろなものになっていた。
ようやく居所を探し当てたボブに連れられ、ジムはスーザンの家に迎えられた。しばらく会っていなかった間に、何をやっても鈍くてお荷物だったボブが自信を取り戻し、家族を牽引していた。ジムはジムで長年胸に巣くっていた自責の念から解放され、手放しで家族を頼ることができた。実父を頼ってスウェーデンを訪れていたザックが帰ってくることになり、スーザンも人が変わったように人当たりがよくなっている。一家の恢復の予兆が仄見える。
人は弱いもので、時に愚かしい真似もするが、それでも人生は生きるに値する。どんな苦境に陥っても、人は一人きりではない。今更ながら、家族、兄弟という血のつながりの強さを思い知らされる、エリザベス・ストラウトには珍しい、べたな人間賛歌。こんな時代、こんな世界だからこそ、弱さや愚かしさを嘲るのでなく、そっと寄り添いたいと強く思った。
アメリカという、移民大国が抱える人種問題の他に、離婚や不倫、階級差や貧富の差が生み出す問題がある。一度読んだらそれでお終いとはいかない。何度でも読み返したくなる。短篇を得意としてきたエリザベス・ストラウトの長篇小説である。大事な叙述がさりげなく配されている。初読時には見落としがちな、ちょっとした描写が、再読時には人物の心理を読み解く鍵であったことに気づく。そういうことだったのか、と横手を打ちたくなる。長篇小説ならではの愉しみをたっぷり味わえる小説になっている。
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ストラウトの小説は「自分の人生を(とくに過去を)いかに受け入れるか」をテーマとして読んでいる。だれにも育ってきた家族がある。どの家族にもいろいろな問題がある。それは大人になっても、ジムのように順風満帆な生活を築いても、あるいはボブのように親になれなくても、影のようにぴったりついて離れない。
メーン州のソマリ人コミュニティに対してザック(ジムとボブの甥っ子)が起こした事件をもとに物語が進んでいく。白人と移民、都市と地方、豊かさと貧しさ。対立軸をあげればきりがないし、そこから社会の分断が生じることもある。それでも家族は簡単に切り離せないし、ましてそこで育ったという過去は切り離せない。
母にきつくあたられて育ったスーザンが息子のザックにきつくあたってしまう負の連鎖についての一文
「もう遅い。いやいや遅くはない、と何かにつけて思いたくなるものだが、実際にはどんどん遅くなって、やっぱり遅いということになる」(p344)
年を取ってしまったこと、経過してしまった時間の重みをさらっと表す、ストラウトらしい文章にはっとする。