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著者いわく、
『サバイバル登山とは、食料や装備をできるだけ持たずに道なき道を歩く長期登山のことを言う』
しかし、
『近年、特に持参する食料に関しては、自己規制が緩む傾向にある。』
(う〜ん好感が持てる)
さらに、
『不帰岳非難小屋にふらふらと入り本能のままに一斗缶の蓋を開け、カップラーメンを食べる』
(そりゃそうでしょ)
そしてなんと、
『夕方やってきた一人の登山者に身分を気づかれ、
服部さんでしょ、サバイバル登山家の?
ダメじゃないですか、非難小屋なんか入ったら…とチェックが入る』
(トホホな感じにますます好感)
だけれども、
『ゲストではなく、ズルしないで登る、ズルしないで生きる。
それは自分が自分の人生の主になれるか、と言うことだと思う。』
と言うことらしい。
頑張れ、サバイバル登山家。
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サバイバル登山ではまった服部さんの新作。
最低限の装備で山に登るというスタイルを突き詰めてる人です。食料もイワナを釣りながら自炊し、電気製品は一切ゼロ。タープをはりたき火をしながら登る。
可能性のあることはいつか必ずおこる。たとえば足の下から竿がぼきっと折れる音が聞こえてきたり。95
元々そなわっている毒性(デンジャー)。リスクとはそこに自らの意思で近づく意味を含んでいる。213
登山客と登山者と登山家。せめて登山者にはなりたいものだ。
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物を極力持たず、自然界で生き抜く様を書いてはる。
へぇ。こんな生き方もあるんだねぇ。
読み物として面白い。
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純なるもの、汚れ無きものが尊重される現代日本においては、死とは徹底的に遠ざけられる概念だろう。
そんな時代にここまで原始的とも言えるサバイバル登山を貫く著者の姿勢に秘かに憧れる。文明の利器に頼らず、己の体力、思考力、技術で難所を切り抜けようとする一徹さには恐れ入る。一方で、人工物に甘えてしまう心の弱さも隠さないところが共感できる。
「生きることの必死さ」をガツガツと感じさせてくれる文体と体験記は大変面白く読めた。
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周りが引くくらい、壮絶にストイックな人かと思ったら、どうやら違った模様。煩悩が己の中で炸裂しまくってます。
http://www.ne.jp/asahi/behere/now/newpage139.htm
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サバイバル登山の定義は少し難しい所だが、著者である服部文祥氏によると、自分が許す可能な限り軽量な装備で、食料を現地調達しながらする登山、と言った感じだろうか。
本作には服部氏が実際に行った、北アルプス単独縦断11日間の記録が紹介されている。主食である米や、現地調達が不可能な基礎調味料類は持って行くが、基本的には採った山菜や川で釣ったイワナを食べながらの縦走である。
釣り方にもこだわりがあって、毛バリを使用したテンカラ釣りという方法だ。
釣りをする方ならわかるだろうが、エサ釣りの方が確実に多くの魚を釣る事が出来る。しかし毛バリを使用した方が、自分の能力が占める割合が高い、というのが理由のようだ。
時にはロープなしのフリーソロという危険な方法で、難所を越えることもあるらしい。サバイバル登山とは死と向かい合う事で、よりいっそう強く生を感じる行為であり、彼の言葉を借りれば、「あいまいな生命の輪郭に触れる瞬間」なのだろう。
かなりストイックな行為の反面、避難小屋に置いてあったカップ麺を無断拝借した事や、たまたま出会った知人に食べ物をねだった事など、俗世間的な一面も正直に書いているところが面白かった。
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≪目次≫
≪内容≫
逗子図書館で借りる。
全体としては「サバイバル」にはいま一つながら、ところどころに垣間見える文章に、「サバイバル」さが出てます。著者は、まだ「サバイバル」と「文明」に悶えているような気がします。
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サバイバルな登山とは何か。著者の私生活がサバイバルなのかははっきりしないが、今やブーム化された登山スタイルに対する徹底抗戦の精神が清々しい。
特に、第一章の日本海から上高地までの200キロの単独行は読み応え抜群だった。ほとんどの装備を持たず、食糧は現地調達で蛇や蛙、野草に岩魚を食す。危ない思考回路だと思いながらも、リアルファイトで山に挑む服部文祥に圧倒された。
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[ 内容 ]
日本海から上高地へ。
200kmの山塊を、たった独りで縦断する。
持参する食糧は米と調味料だけ。
岩魚を釣り、山菜を採り、蛇やカエルを喰らう。
焚き火で調理し、月の下で眠り、死を隣りに感じながら、山や溪谷を越えてゆく―。
生きることを命がけで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?その洞察に、読者は現代が失った直接性を発見するだろう。
“私”の、“私”による、“私”のための悦びを取り戻す、回復の書。
驚異の山岳ノンフィクション。
[ 目次 ]
第1章 登山からサバイバルへ(墜落;フェアの精神)
第2章 サバイバル実践―日本海から上高地へ(北アルプス単独縦断へ;衣食足りてロハスを知る!? ほか)
第3章 サバイバルの方法論(装備―そぎ落としてなお残るもの;食料―何を食べるかという戦略 ほか)
第4章 サバイバル思想(記憶の片輪;リスクと自由 ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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「本の雑誌」杉江さん激賞の一冊だけれど、やはり自分にとってはまったくの守備範囲外だった。アウトドアとか冒険ものの本って、好きな人が読んでこそ面白いものと、門外漢が読んでも興味深いものがあると思うが、これは前者だなあ。
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遭難するかもしれないという可能性がなければ登山ではない。装備を最小限にして自らの力で入山しルートを拓いていく。それが筆者のいう『ズルしないで』登山すること。
最後の章でフリークライミングと人工登攀について触れている。何の装備もなく壁を登れば墜落は死を意味する。そんな緊迫した中に身を置くことで見えてくる世界がある。
荒波に揉まれることでしか経験できないことをたしかに筆者は経験し生を掴み取ってきた。
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「人生はマナーでできている」の中で「ベジタリアンとひと口に言っても、様々でややこしいんです」(88頁)、肉は食べないが、魚は食べる(ペスコ・ベジタリン)。肉、魚は食べないが、卵や乳製品はとる(ラクト・オボ・ベジタリアン)…などなどと書かれており、登山とひと口に言っても…という印象を持ちました。装備をそぎ落として、日本海側から上高地までの最短距離を谷筋を歩くことで進む。食料も岩魚や山菜などの現地調達。山小屋は利用せず、宿泊は食料の調達が出来る河原が好ましい。本の中に書いてあった何をするにもそれを容易にする道具を探すことからはじめてしまう日常…そういう考え方から離れてみる。ミニマリストという言葉を耳にする昨今ですが、それより以前に、山で実践している著者がいました。
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この本に書いてあること、作者が編み出したサバイバル登山は、「山に登ること」の目的がよく表現されている。それは、生死の境目で自分の能力・判断をぎりぎりに試すこと、そこから生きている感覚を得る。ということ。
ただし、タイトルにもある「ズルなし」や「フェア」という表現には言葉の意味することとはずれた作者の独自用語だと思う。 文明の利器を使用することをズルなし、フェアじゃないと表現している。
この作者の魅力は、自分自身のポリシー(ある意味頑固で、排他的な嗜好)をストイックに信じていながら、客観的に自分のこと観察し、一般的な人から見ると滑稽に映ることを、理解して、自分を笑えるという知的な余裕があることだと思う。
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「恒常的なゲストという人生に何の魅力があるのか、私にはまったくわからない。」
と、表紙にあるが、思ったよりワイルド過ぎもせず、人間味あふれる内容で読みやすかった。
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東京大丸の書店で見かけて。ズルをしないで生きる、山登りという特殊な行為から人生全般に敷衍するまとめの部分は、強引ながら共感してしまう。しかし山登りの話はなぜこんない面白いのだろう。風呂を借りるのを断られたり、情けない部分も◎。