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からだは元々死体を表した語であった
と言うのに心底納得しました。前から「から」という部分があることを不審に思っていたので…「たま」の抜けた「から」だったのですね…
そして、身体と精神?魂?は分離不能なものであるという考え方にも共鳴しました。体調次第で意見はすぐに変わるもの…健全な精神は健全な肉体に宿ると西洋風にも言いますし。
心は腹に宿るという考え方が消えつつあるのが残念です。キレる人が増える原因の1つかもしれない。いろいろと考えさせられました。
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日本人(国家に対する臣民という意味合いではなく、日本という風土に生きる人々の意)のあり方というものを深く鑑みてみたい人向けの良書。
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コンピュータサイエンスの本を読んだ後だったので、より人間の身体ということについて、人間とは何かについて考えさせられた。人間の直感、感覚というのは科学に置き換えられるのか、その中でも日本の持つ独特の感覚はどう数値化できるのか?等々非常に興味深い。能楽についての興味も深まった。
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この時感じていたのと同じことがかいてあった!
http://yokonire-blog.tumblr.com/post/110799876787
日本人の身体は景色に溶けていく、のだった!
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亡霊であるシテが生きていたのは過去です。そのシテが現在に現われている。いや、彼女は江戸時代の能舞台にも現れていたし、そして未来の能舞台にも現れる。このシテは、能が続く限り、未来永劫現れるのです。
→人間の生き方の極地を「永遠」に置くと、それに至るプロセスはどのようであれ、結局はおなじことを繰り返しているのだろうと思う。
となれば、シテの住まうのは永遠の時空です。彼女の体内に流れるのは、その永遠から現在へと向かって流れる「遡行する時間」
こころを自分の指針にするな、自分自身がこころの師となれ
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人間は言葉で世界を認識して分割する。本書は徹底的に言葉にこだわって、日本人の身体観を見つめ直す労作。こちらにもある程度の教養が必要な一冊かも(^_^;)
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日本人が心身二元論になったのは近代以降であるとの指摘だ。ただし仏教では色心(しきしん)二法が説かれていた。色法(しきほう)が物質で心法(しんぽう)が性質である。続いて西洋と日本の体に対する見方の違いが示される。
https://sessendo.blogspot.com/2021/11/blog-post_40.html
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言葉と身体の結びつき
古典はやっぱり面白い奥が深い
もっと知識を深めたい
大誠堂書店(一宮)にて購入
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日本人(東洋人?)らしいステキな枯れ方のススメ。
です・ます調で講演をまんま収録したような体裁。
なので、著者の興味が赴くままに、とりとめもなく話が展開する感じ。
「能」を解説している部分が大変興味深いのに比べて、それに関連した事項は、ほとんど古典からの我田引水のような、どうとでもとれるような解釈ばかりで、まぁふんわりとした読後感でした。それも日本人らしいのかしら...。
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能楽師である著者が、日本の伝統的な身体観についての考察をおこなっている本です。
われわれが、西洋の科学的で分析的な身体のとらえかたになじんだ結果、自分自身の身体についてのもっとも直接的な知をうしなってしまっているのではないかという問題提起から、議論がはじめられています。そのうえで、著者自身がその伝統の一翼を担っている能についての例などを引きながら、分析的な身体についての知識によっては見えてこない、生きられた身体知のありかたが論じられています。
「生きられた身体」というテーマについては、市川浩や中村雄二郎、竹内敏晴といった論者たちが考察をおこない、近年では鷲田清一や内田樹などの思想家たちも関心を示してきました。本書の議論も、そうしたすでに長い議論の蓄積のある身体論と響きあう内容をもっていますが、日本神話から中国や古代ギリシアなどにおけるさまざまな事例をかなり自由に参照しながら、現代に生きる人びとが身体知のほんらいの豊かさにふたたび目を向けるようにうながしています。
「あとがき」で著者自身、「話は留まるところを知らなくなり、ほとんどもう一冊の本ができるくらいのものを書いてしまい、いつまでたってもまとまらなくなってしまった」と述べているように、やや奔放な議論の展開がなされているようにも思えますが、伝統的な身体知について考えるうえで興味深い切り口がいくつも示されているように感じました。
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からだというと、昔は死体を意味し、生きている体は、み(身)と呼ばれ、体と魂が一体化して捉えていたが、現代では体をモノとして扱うようになったという。
能をベースとして、古典から日本人の体の感覚を説明している。
はっきりとした境界線を引くのではなく、体の感覚や、建物の構造だったり、あいまいな部分を持っているのが日本の考え方なのだなと実感した。
印象に残ったのは、以下の部分。
和して同ぜず
和の関係は持つが同の関係は持たないという意味だが、今では和=みんなで同じことをすることと、同じにさせたがる。
老いについて、醜いものと感じている人が多いが、そもそも、若い=幼い、未成熟な状態を指しており、老いは生いに通じ、老いてこそ、芸の真髄を発揮できるという。
アンチエイジングに走るのではなく、老いても「花」を保って生きる=過去の栄光にしがみつかないことだという。
若い頃は、勢いに任せることができるが、老いてからは生き方が問われるということだと解釈した。
老いの部分について、唐突に語られる感じがして、著者は、この部分を強調したかったのではないかと感じた。