紙の本
自傷的自己愛
2010/03/03 11:06
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぱやぴす - この投稿者のレビュー一覧を見る
お金でセックスを買い、めくるめく快感を求めてSMに挑戦し、ウリセンとの擬似恋愛を求める赤裸々な自己追求記。
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3/7 なんだかなー。もう気持ち悪いなこの人。怖いもの見たさで読んじゃう自分がいるんですけども。。。
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うさぎさんは凄い。
人間の欲の海をななめからスッと一人でずっと深くまで泳ぐようなうさぎさんは凄い。
そのエネルギーを分けて欲しい・・・!
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この人の考えること、よく分かるなぁと思い、よく読む。
共感を呼ぶ本は、出合うと嬉しい。
でもある程度読むと、飽きてきたり不安になったりする。
それで今度は、違いを探し始める。
それで、あぁここが違うから、自分は大丈夫だって思って
なんか救われた気になる。
おかしな話なんだが。
違いを認識しつつ(私はこんな破滅的な行動はしない)
自分を投影していたはずなのに、(それでも彼女の言う「愚かしさ」はよく理解できる)
最終的にはその投影を捨て去ることで救済を得る。
その「自分は大丈夫」は、別にこの人を卑下して感じるものではなく、
ただ「違う」という認識だけ。
自分が囚われている愚かしさに終わりが見えない不安に対し、「違い」を「自身の終わりへの可能性」と感じるからなのだろうか。
(あぁ、でもそれって「中村うさぎは未だ救われていない」って目線だ。いや、救われるようなことがあったら、わたしは彼女の作品をもう読めないのだろうけど。救われないから書いてるとでもいうか。)
はてさて
太陽のもとで咲く大輪の花よりも、泥沼の中で凛と咲く水連に魅かれる
的なことが書いてありました。
だから、夜の街の王子様にハマったのだと。(多分そんなニュアンス)
暗喩に他ならないが、私はここに彼女との違いを見た気がしました。
私も多分、睡蓮に心ひかれる人間なのですが、
私は、睡蓮は、遠くから見てこそ美しいのだ、と思う。
睡蓮を近くで見ると、雄蕊雌蕊の生えているところには、「これから蓮根になるんだ。」という形状が見られる。それが睡蓮のリアル。わたしはそこに触れて、幻想を壊すことが、怖くてできない人間なんじゃないかな、と。
それか・・・「睡蓮のリアル」なんて、この人百も承知だと思うんだけど、私はそこまで深く関われないからそこに幻滅はしないかな。「あ、この人も人間か。」と。ただそれだけ。
関われない分思うのは、「夜の街」の泥沼具合と「睡蓮」の美しさ。
睡蓮は、泥の中でしか生きられないが、泥の中で生きることを選んだ「睡蓮」は、私は美しいとは思わない。だったら不当なまでの過剰労働で泥だらけ傷だらけになってる中で見出す美しさの方が私のイメージに近い。
この人は、夜の街の様々な内情を知ってるからこそ書けるのであろうが、
ネオン街の王子様を「泥沼の中の睡蓮」と例えられるほど想像力の及ばない私は、凡人の領域に住むそこそこの自意識のもとに、葛藤に耐えて生きていくのでしょうな。
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佐藤優氏の著書で紹介されていたので読んでみた。非常に軽い気持ちで読み始めたのだが、なんか、すごい。自分をここまでさらけ出せるのかということと、自分に対する洞察の深さに驚く。
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「女王様」こと中村うさぎさんが新宿二丁目の「ウリセンボーイ」を金で買って、彼らとの間に「本物の愛」は成立するのだろうかと言うまさに体を張ったエッセイです。
西原理恵子さんとはまた違った意味ですごい。 中村うさぎさんの本を本格的に読んだのはこれが初めてで、ショッピングの女王としてむちゃくちゃな買い物をして借金まみれになったり、もはや「工事」と言うレベルにまで自分の体を整形している、と言う話はちらほらと耳にしておりましたが、この本の中で彼女が敢行しているのは新宿二丁目のウリセンバーで春を鬻ぐ男の子を買いまくって「金が介在する彼らとの性の関係に果たして本物の愛は生まれるのか?」というまさに体を張った挑戦でまだまだ僕の知らない世界と言うものがあるんだなと言うことを彼女は教えてくれます。
あの界隈はお金さえあれば人間の欲望のほぼ全てがかなえられる所ですが、筆者と関係を持つ「ウリセン」の男の子たちとのやり取りが生々しくて、男の女の深遠と言うものを突きつけられる思いがいたしました。筆者はこの本の中で「盛り」を過ぎても自分と言う人間に欲情してほしい一心であれこれとあがくわけですが「ウリセン」の男の子が彼女とコトを始める前に
「AVみていいっすかぁ?」
と尋ねる場面が石田衣良さんの「娼年」や「逝年」の主人公である森中リョウ君の様な存在はやはり、フィクションの中にしか存在しないんだなぁと言うとコトを思い知らされたような気がいたしました。
結末はどうか、ご自身の目で確認いただくとして、いい悪いは別として、僕がそれをどうのこうのというつもりはまったくありませんが、彼女の書いていることは「余人を持って変えがたいものがある」と言うのが改めてわかったことと人にできないことをこうして記録してある、と言う意味で男女の深いところがあぶりだされているそういう意味でこの本は貴重な記録であると。これだけは自信をもってそういえます。
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共感できることがたくさんあった。
特に痛い女についての定義が好き。私も痛い状態になってるなと認識できた。今の自分の悩みにフィットする本だったから、読んでいて楽しかった。
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文庫の新刊コーナーから購入しました。
中村うさぎさんの本を読むのは初めてで。
タイトルからして、
とても赤裸々で内容も過激なものかと思いきや。
面白かったー。
自分が求めるもの、自分自身について、
真摯に向き合っている作家さん。
だけど、どーしようもない部分を持っていたり。笑
本当は賢者なのに、愚者を全面に押し出して
かなり振り切っている方。
とてもカッコ良い女性。
買い物依存症、デリヘル嬢経験、ホストとの恋に次いで、
「ウリセン」を「買う」ことにしたうさぎさん。
「さっき会ったばかりで、
しかも金でセックス売買している関係で、
愛なんか発生するワケねーだろ!
嘘も休み休み言うがよいわ、たわけ者!」
「本気の言葉だけ、本気の愛だけ、私は欲しい。
それが手に入らないなら、いっそ愛なんか、いらない。
獣みたいなセックスだけで結構よ。」
と言いながら、
ウリセンの男の子と恋に落ちていく。
あー。苦笑
自分の存在価値について、真正面から考えている作品。
前半部分は、体験記がメインで
後半部分は、心理分析も絡んできます。
どこまで行っても満足できなくて、
わかっているのに、自分から穴に落ちていって、
せっかく這い上がって穴から出たのに、
また落ちてしまう。
そんなループを描いてる作品。
人魚姫について描いてる部分が特に印象的。
「愛されなければ、海の泡」この世でもっとも価値のない存在。
ちなみに、
ウリセンの男の子との結末まで描いてるのは
2010年のあとがきが加筆されている文庫版だからみたいです。
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初中村うさぎさん。タイトルからどんな過激な内容かと思ったら、読みやすいわ共感できるわで面白かったです。
求められることが幸せと感じる女って沢山いるし、自分もそんな人間の一人だけど、そんな人って自分一人では幸せになれないんだな〜っと今更ながら実感。
でも人間って男だろうが女だろうが、大人だろうが子供だろうが誰かに認めてもらいたいって欲求は大なり小なり抱えて生きている。だからこそ生きていくのって難しいんでしょうね。
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はーおもしろかった。
個人的に好きなのは「甘い「さよなら」」というエピソード。
うさぎさん好みの完璧な外見をしてるのに、どうしてだかエッチな気分になれない不思議なウリセンの彼。
男に甘えるのが苦手なうさぎさんが、どうして彼の腕枕なら素直に受け入れられるのか、彼になら抱き締められて抱き締め返すことができるのか。説明ができない。
「彼は、私の心の中の「何か」を溶かす天才だ」と言う。
うさぎさんは、愛する人の中に自分を見、愛する人を抱き締めることで自分を抱き締める、そんな愛の形にうんざりしているみたいに見える。
たぶん、彼はその泥沼から遠いところにいる。愛する人を抱き締め、自分を抱き締めたいなら、もう少し彼のそばにいたらいいと思う。
が。
「だが、その「何か」が溶けてしまうのを、私は本当に望んでいるのか?」
…泥沼から抜け出すことを望んではいないみたいです。
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ホストにハマり、デリヘル嬢も経験した中村うさぎ(ここら辺は『私という病』に詳しい)、彼女はその後もウリセンの男につぎ込み、SMクラブで縄に吊るされ、人に見られながらのセックスも体験し…彼女の行動は一見すると(いや、しなくても)奇怪だ。なのだがなぜか清々しい。自分とは何者かーこの根源的な問いに体を張って挑む姿勢が格好いいと思うからだ。
「主体的」な私と「客観的」な私、この分裂した「自己」を中村うさぎは「女」を切り口にして考え続ける(逐一「いや自分が醜いなど分かっている!」というような自分への容赦ないツッコミをせずにはいられないあたり、いかに自分が主体的な自分と客観的な自分との狭間で揺れ動いているか、分かる気がする)。だがしかし、この悩みはなにも女に限ったことではない。「男」とか「母」とか万人が何らかに属するようなカテゴリーだけではなく、「容姿」や「性格」といった極めて属人的なものであっても、それにより決定される「キャラ」があり、その客観的な「キャラ」と主観的な「自分」の齟齬に悩む人にも、また通づる内容だろう。これらが一致していたり、あるいはなにも考えずにどちらかになびいてしまう方がある意味では幸せだろうが、そうはしない人には心に響く内容なのではないだろうか。この本は、戦いの記録なのである。
思うに、中村うさぎは「思考する人」であり、そしてまた、「妥協しない人」でもある。変に"悟ったふり"などしない。己で体得する、そうこの「体得」という言葉こそが彼女に一番しっくりする言葉である気がする(「何も得てなどいない」と、彼女は言いそうだが)。「大人になれよ」と時に人は諭したりするが、それはとりも直さず「思考するのを止めよ」ということと同義だ。考えず、ありのままを受け入れよ、と。それを拒み続ける中村うさぎは一見すると「幼稚」だが、真の意味で生きるのを諦めない「大人」なのである。だからこそ、中村うさぎには戦いを挑み続けてほしいと思うのだ。
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ここまで赤裸々に自分の性生活について語る作家が他にいるだろうか
嘘偽りもキレイゴトも全くないうさぎさんの文章は胸に深く突き刺さるものがある
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同年代の女性のセックスへの考えが判るのではないかと読んでみた。しかし、自分よりはるかに年下のイケメンにしか性欲を起こせない著者には共感できない。赤裸々な描写や、セックスの最中に相手に問われてオッパイの美容整形を話してしまえば、やっぱり萎えるだろう。著者自身が分析するとおり、自己愛が彼女を苦しみのスパイラルから解放されない原因だろう。女性との性行為を否定し、オナニーのみに耽る男を描いた筒井康隆の短編が頭に浮かんだ。本書のセックス感はあくまで個人の感想ということで……
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自分を認めてもらいたい、こんな自分を認めてもらえるはずがない。葛藤のなかで、それでも人生に対して諦念持つことなく生きたい。紆余曲折の放浪記。2019.4.28
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一般人が気楽に体験していいような体験談ではないけれど、根源のところにある「ホストにしょっぱいHをされて自分に対する自信が…」みたいな、「ああ、その感覚、わかる…」という部分があるから読み進められる、という感じ。
所謂ウリセンのトークその他の実態、を読んで行くと世の中こんな世界もあるんだなあ…と、うさぎさんの「虚しさ」みたいなものが追体験される瞬間はある